第2話 引きこもり大家


 柾の朝食を作り終え、いざ部屋に運ぶとなったとき、タイミング悪く柊のスマホに着信が入った。

 一瞬、せっかく作った朝食が冷めるのを気にした柊だったが、相手が柾であることを思い出すと躊躇いも消し去って電話に出た。


「――はい。……あー、それですか。今、部屋出てて手元に資料がないんで、ちょっと待ってもらえます?」

「うわ、柊さんが敬語だ」

「雪降るんじゃない? 雪」

「えー。そうかな?」


 柊の珍しい口調に驚く花菜に春斗が便乗する。

 確かに、今まで荒い口調だった柊が敬語を使うのはどこか新鮮な気はするが、彼も立派な成人男性だ。仕事をしていれば敬語も必要になってくる。

 すると、春斗の発言を春馬が否定した。ただ、それは「柊に対して失礼だ」という意味合いのものではないようだ。視線はほのかへと向いていた。


「ここじゃそれもありえなくないよ」

「「それな」」

「これが大人だ黙ってろ十九歳組」


 柊は声を潜める気配のない三人を通話口を押さえながらいつもの口調で叱り、和泉に向き直ると、「悪い。仕事の電話だからあとは任せた」と言って足早に共有ルームを出て行ってしまった。

 残された和泉は、難しい仕事ではないにしろ、初めてやる事に戸惑いを隠せず思わず春馬に確認を取る。


「あの、これって運ぶだけでいいんですよね?」

「うん。そう――あ! 俺らも手伝うよ!」

「えっ」


 最初こそ普通に頷いていた春馬だったが、急に何かを閃いたのか顔を輝かせて手を挙げた。

 それに不安しか感じず、感情も素直に口から短い声で出る。

 春馬は気分を害した様子もなく、無邪気に笑って言った。


「そんな警戒しなくても、何かする気だから安心して!」

「それ安心できないやつです!」

「大丈夫、大丈夫。人に危害は加えないから!」

「当たり前です! というか、人だけじゃなくて物にも加えないでください!」


 春馬は何故か自信満々で親指を立てて見せる。悪戯を申告してくれたのはまだいいが、申告するくらいならいっそやらないでほしい。

 朝食を終えたほのかと千鶴は、お茶を飲みながら微笑ましそうにその光景を見ていた。


「朝から元気ねぇ」

「賑やかだね」


 朝から騒がしいのはここのアパートならではだ。

 ただ、和泉が加わったことでその賑やかさはほんの少しだけ普段とは違うものになっている。

 花菜は何とかして双子を止めようとする和泉に諦めるように言った。


「和泉君。柾さん、本気出さないと起きないから双子連れて行って大丈夫だよ」

「ええ……」

「さー! 行くぞー!」

「ええええ……」

「大丈夫大丈夫。もう物に被害は与えないから!」


 春斗がひょい、と和泉の手から食事の乗ったトレーを取り、春馬が和泉を逃がすまいと腕を掴んで引きずる。

 こうなったら、双子が柾にいらぬことをやろうとしたときに止めるしかない、と腹を括って和泉は共有ルームを後にした。



   □■□■□



 柾の部屋は一階の端にある。

 途中にある柊の部屋の前を通ったときに彼が出てきてくれないかと期待したものの、扉は静かに閉じられたままだった。

 そして、隣にある柾の部屋の前に着いたとき、和泉は普通にチャイムを鳴らす春馬に驚いた。


(そっか。起きてたら驚かそうにも驚かせないもんな)

「あれー? 反応ないや。起きてないのかなー?」


 ここの住人はチャイムを鳴らさないと聞いたが、どうやら時と場合によって使うこともあるようだ。

 しかし、よくよく考えた和泉は「チャイムを鳴らすことに驚いてどうするんだ」と自分で自分に突っ込みを入れた。たった一日で随分と影響を受けたものだ。

 ただ、二人にも常識があるという認識は一瞬にして打ち砕かれた。

 一向に開く気配のない扉に春馬が手のひらを翳す。

 直後、手のひらの先から爆風かと思わせる勢いの風が発生し、扉はけたたましい音を立てて外れた。


「まっさきさーん! おっはよー!」

「物に被害!!」


 人や物に被害は出さないと言っていたはずだが、既に扉の蝶番が破壊されている。

 人が風を起こしたということより扉の破壊への驚きが大きい。

 だが、それでも双子は気にした様子はなく、すたすたと室内へと入って行っている。


(え? 俺がおかしいの? 扉の破壊は物の破壊に入らないの?)


 和泉は混乱しつつも双子を追って中に入る。

 すると、春斗が入ってすぐのリビングのテーブルに食事を置き、春馬が向かって右手側の部屋のドアを開けようとするところだった。


「柾さーん。朝で――うわっ!?」

「もー、朝から何の騒ぎー?」


 春馬が開けるより早く、ドアは内側から開けられた。

 ぶつけないようにと咄嗟に避けた春馬は、中から出てきた柾に「柾さん、なんで起きてくるの」と言って口を尖らせる。

 起こしに来た人の言う台詞ではないが、大方、柾の部屋に入って悪戯をする気だったのだろう。

 柾はそんな彼の思考を分かっているのかいないのか、軽い口調で謝った。


「ごめんねぇ。ちょっとお布団が離してくれなくって、って、うわああぁぁぁ! 玄関壊れてる!」

「てへっ」


 いつもより見通しの良い玄関を見た柾は、本来あるはずの扉が外れていることに声を上げた。

 しかも、やった犯人である春馬に反省の色は見受けられない。

 壁に立てかけられた扉を見て、柾は春馬へと視線を移した。長い前髪のせいで表情は分からないが、怒っているのは間違いないだろう。


「もう! 壊しちゃ駄目って言ったじゃないか!」

「え? まだ壊れてないって。ほら、原型留めてるから、蝶番さえ直したら使えるよ?」

「いや、そういう問題じゃないと思いますけど……」


 確かに、扉自体は曲がっていたり傷がついているわけではない。扉を固定していたネジなどを直せば元通りになるだろう。

 だが、元はといえば扉を普通に開けなかったから外れているのだ。

 少しは反省したほうがいいのでは、と思う和泉だったが、扉を確認した柾は怒りの色を一瞬にして鎮めた。


「あ、ホントだ。じゃあ、また柊に直してもらおうっと」

「いいんですか!?」

「壁の粉砕に比べれば随分可愛いもんだよー」

「粉砕!?」


 アパートで竜巻でも起こしたのか。

 双子は気まずそうに視線を逸らしているが、柾は気にせずに扉を再び壁に立てかける。

 そして、テーブルに置かれた朝食を見ると喜色を浮かべた。


「わぁ! 朝ご飯だー」

「和泉君が柊さんと作ってたよ」

「そうなんだ? ありがとう」

「あ、い、いえ……」


 ここは半妖が住むアパートだ。いちいち気にしていると身が持たないのかもしれない。

 住む以上は慣れないといけないのだろうが、慣れる日は来るのかと気が遠くなりそうだ。

 和泉は一つ溜め息を吐くと、いつの間にやら席に座って朝食に手をつけていた柾の角を挟んで斜め前に座って、念のため訊ねる。


「あの、柾さん」

「ん?」

「昨日は歓迎会をしていただいてありがとうございます。それで……体調とかは大丈夫なんですか?」


 単なる引きこもりだから起きてこないだけと言われていたが、本当にそれだけなのかと少しの不安はあった。特に、二日酔いでダウンした光輝を見た手前では。

 今の様子では平気そうだが、顔が見えない以上、隠されていては気づけない。

 何故か柾が出てきた部屋のドアの前に立っていた双子は、和泉の言葉に驚いたように顔を見合わせていた。

 柾はご飯を飲み込んでから、小首を傾げて答える。


「体調? 体調なら万全だよ。今すぐお布団に入って熟睡できるくらいには」

「いや、そこは普通、走れるくらいとかって言うとこじゃ……」

「和泉君は僕に死ねって言うの?」

「え!? そんなこと言ってませんよ!?」


 元気さを表すなら動く方向で例えるのではと思ったのだが、どうやら柾の場合は違うようだ。

 特に気分を害した様子はないが、柾は淡々と言葉を続ける。


「僕にとって外に出るっていうのは、そのくらいの事なんだよ」

「じゃあ、昨日の歓迎会も無茶をさせたんじゃ……」

「アパート内なら平気だよ」

「あ、そうか。……え? じゃあ、なんで部屋を出ないんですか?」


 せめて、食事くらいは出てきたほうがいいのではないか。

 よく世話を焼いているらしい柊も仕事をしている以上、いつも面倒を見られるわけでもないのだ。

 ならば、出来る範囲のことは自分でやったほうがいい。

 だが、柾の口から出たのはそれを根本から否定するものだった。


「だって、動くのって疲れるでしょ?」

「…………」


 絶句とはこのことか。

 もはや言葉が出てこず固まる和泉を見かねてか、歩み寄ってきた春馬が和泉の肩を軽く叩いた。


「和泉君、人が良すぎるよ。まぁ、引きこもりを見たことないなら仕方ないかもしれないけど」

「この人は『惰性型引きこもり』だから、改善しようにも難しいよ」


 春馬や春斗が驚いていたのは、和泉が本気で柾の体調を案じていたからだ。

 さすがに一年もここにいれば柾の人となりはある程度分かる。今回もいつもの引きこもりだと。

 柾を心配した和泉は、テーブルに突っ伏しながら呻いた。


「うう……。一瞬でも申し訳なくなった自分を殴りたい……」

「ええ!? 自分を傷つけちゃ駄目だよ!」

「春馬さん……」


 例え本気で言ったことではないにしろ、体を大事にしてという気遣いは嬉しい。

 感動から春馬を見れば、彼はのんびりと箸を進める柾を指さして力強く言った。


「殴るなら目の前の人を殴ったら良いよ!」

「んん!?」

「君達は本当に、慣れた相手だと容赦ないよねぇ」

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