あたしと恋人
「さっきは見苦しいところを、すみませんでした」
「いや、君の恋人だなんて光栄だぜ」
ふわり。そんな表現が似合うほど穏やかに、柔らかく座敷童さんは笑った。天使かよ。思わず内心呟きながら、その笑みがあまりにもまぶしくてあたしは目を細めた。
窓から一番遠い奥まったところ、人々の視線から逃れるようにカフェに入ったあたしたちは。人目につかないようにか観葉植物が視線を遮るその席へと腰を下ろしたのだった。
すぐにお冷とおしぼりを持ってきてくれた店員さんにお礼を言い、そのままオムライスをデザート、ドリンク付きのランチセットで頼んだ。ドリンクはオムライスと一緒に持ってきてくれるように言って、座敷童さんはあたしたちのやり取りを興味深げに黙って聞いていた。
去っていく店員さんの背中を見送りながら、まだお昼前で比較的人が少ない店内を物珍しそうにきょろきょろと見る座敷童さんに。あたしは再び口を開いた。
「それにしても、ありがとうございました。茶番に付き合わせてしまってごめんなさい」
「え」
「え?」
ぴしりと座敷童さんが固まる。お冷の入ったコップの中、からんと透明な氷が静かに音を立てた。えっていうか、え? なにかそんな衝撃を受けるようなことがあるのだろうか。もともと青井くんに言い訳するために付き合ってるという設定じゃなかったっけ? え? あたし間違ってる?
あ。言い忘れたかもしれない。あの茶番をやり過ごすためだけの恋人役だったって。え、ってことは座敷童さん、ずっとあたしのこと恋人だと思って付き合っていてくれたのだろうか。なにそれ申し訳ない。
「ちゃ、茶番?」
「はい。あたしと飴呑さんが恋人役だなんて、飴呑さんに失礼ですよね」
すみませんでした、とあたしは深く頭を下げた。本当に申し訳ない。もしかしたら嫌々付き合ってくれていたのかもしれないのに肝心なことを言い忘れていたなんて。十分な説明をしなかった、あたしが悪い。
しばらくの間頭を下げたままだった。10分くらいだろうか、全く反応がないなとそろりと視線をあげて、ぎょっとした。
「飴「お、俺は」呑、さん?」
「君のことを好いていて、君と恋仲になれたなんて浮足立ってしまった。はは、茶番か」
先ほどまでの天使のスマイルはどこへやら。ぼろぼろと口もとはわずかに微笑んだまま、座敷童さんは大粒の涙をこぼしていた。時折、ひっくとえづきながら。そんな座敷童さんを呆然と見つめることしかできないあたし。
そうだよ。座敷童さん、あたしのこと好きだって言ってくれてたじゃない。忘れてたわけじゃない、ただあまりにも座敷童さんが普通すぎるから…ううん、こんなの言い訳だ。あたし、座敷童さんのこと大切にしたいって言ったくせに、こんなに傷つけちゃったんだ。
自分の浅はかさに眩暈までして、視界が黒くなった気すらした。馬鹿だ、あたし。自己嫌悪に黙り込んでしまったあたしに、いまだ涙を落としながら座敷童さんは苦笑いした。
「こんなにも君を想っているのに、伝わらないもんだな」
「あ…」
「君が他の男…いや、女でもか。他の奴と会話しているのを見るのと、こんなにも胸が辛い。君の言葉に一喜一憂してしまう。君といるだけで、幸せになれる。これを恋と呼ばずして、何をそう称するというのか」
「飴呑さん…」
涙声のまま、座敷童さんは必死に教えてくれようとしていた。恋という感情を。それはきっと、あたしが「愛も恋も知らない」と以前言ったからで。その健気さに、あたしも涙がでそうだった。
座敷童さんはこんなにも必死に恋を教えようとしてくれている。ひどいことをした、あたしなんかに。胸が痛くなってうつむいていると、ふとあることに気が付いた。
胸が苦しい、態度に言葉に一喜一憂してしまう、一緒に居るだけで幸せ。さっき、慈さんと座敷童さんが親しくしているのを見て、あたしは何を思った? 羽根さんが訪ねて来た時のことは? 名付け親だって言われて、2人が離れてあたしはほっとしたんじゃなかったか。今更、座敷童さんがいない生活をあたしは出来るのだろうか。どくんと心臓が大きく音を立てた。
ばくばくと跳ねる鼓動とぐるぐる回る思考で考えていれば、座敷童さんがお冷と一緒に来たおしぼりで目元を拭いて。にこっとあたしに笑いかけた。小さな子が強がっているようなその笑顔と、頬に残る涙の筋、赤い目元が痛ましかった。
「頼む、君にその気がないのなら。俺を振ってくれないだろうか。心配しなくていい、振られたら振られたできちんと家人として接するさ」
「飴「頼む」…」
深々と頭を垂れる座敷童さん。その下のテーブルにはぱたぱたと涙の玉が落ちていって。なにしてるんだよ、あたし。大切にしたいって言った。ようやく答えも掴んだ。それなのに、こんなことさせるなんて、言わせるなんてなにしてんの。
そっと座敷童さんの肩に触れる。びくりと大きく揺れて、申し訳なく思った。同時に、どんなに細くても薄くても男の肩だ。ぞわりと服の下、腕に鳥肌が立つがそんなことはどうでもいいの。
あたしは、あたしは。座敷童さんに伝えなくちゃいけないんだから。必死に恋を教えてくれたあなたへ、あたしが返せる精一杯の心を渡さなくては。
「あたし、今気づいたんです。本当に鈍くて、自分でも馬鹿じゃないかって思うんですけど」
「き…み?」
「飴呑さんが他の人と仲良くしているのを見るの嫌です。胸がもやもやしてたまらなくなります。あなたがいるから、毎日が幸せだって思えるんです。あなたがいない日々なんて、もう考えられないくらいに。だからきっと、この感情は恋と呼ぶのでしょう」
ちょっとずつ、おずおずと顔をあげた座敷童さんの目は赤く潤んでいて。まだ涙が止まっていないのがわかった。それに罪悪感を募らせながら、そんな顔をさせてしまったことに胸が痛む。
「遅くなってすみません。千の言葉も万の誓いも足らないほどに、あなたが好きです。あなたを傷つけた、こんなあたしでよかったら。どうか恋人になってはくれませんか」
座敷童さんの麗しい顔の前に手を差し出す。一瞬ためらうように手を止めてから、座敷童さんは花咲かんばかりの泣き笑顔で、あたしの手を取ってくれた。
ほろりとあたしの目の端にたまった涙が一筋、床に落ちて弾けた。
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