あたしと爪紅


「君、今ちょっといいかい」


 こんこんと控えめに叩かれたあたしの部屋の扉。木曜日の夕食後、それぞれの部屋へと引き上げた後の出来事だった。座敷童さんが遠慮がちにあたしの部屋を訪ねてきたのは。


 扉越しの言葉に、ベッドの上で参考書を開いていたあたしは入室を許し、中に入ってきてもらった。おずおずと中に入ってきた座敷童さんの片手には共同(といってもほとんど座敷童さん専用)のタブレットが抱えられていた。


 いつもの真っ白な羽織に真っ白な着物。今夜の座敷童さんは女装する気はないらしい。はて、どうしたというのだろうか。


 ベッド上で居住まいを正しながら不思議に首を傾げていれば。そんなあたしのベッドの端、隣に座りながら座敷童さんがタブレットを差し出す。


「紅を、塗って欲しいんだ」

「口紅ですか?」

「いや、今回は爪紅つまべにだぜ」

「あぁ、マニキュア。いいのありましたか?」


 差し出されたタブレットの画面はネットスーパーの化粧品コーナー、ずらりと写真で並べられたカラーマニキュアのページだった。この画面で持ってくるということは、まだ決まってないのだと思っていいのだろうか。


 タブレットから顔をあげて座敷童さんを見れば、きまり悪そうに苦笑いしていた。


「んー…どれもいまいち面白みに欠けてな。一緒に選んでもらおうかと思ったんだが。あぁ、君さえ良ければな」

「おしゃれに面白みが必要かどうかは悩ましいですけど、1つ色んなマニ…爪紅を実際に見れる方法がありますよ」

「おっ、なんだい?」


 苦笑から一転、目をきらきらと輝かせて、座敷童さんはあたしを見た。その変わり身の早さにちょっと呆れ笑いが口をかすめたがすぐに引っ込める。


 こういう、ころころと変わる表情は座敷童さんの長所の1つである。うちの座敷童さんがこんなにも可愛い。どこかで見たことのあるフレーズが頭に浮かぶものの、それを流して。


「ママに頼んで、部下さんから道具をお借りしましょう」

「ま?」

「お母さん、です」

「君はご母堂のことを母と呼んでいなかったかい?」

「あれ言ってませんでした? あたし養女なんですよ」

「え!? き、聞いてないぞ!?」


 わたわたとあわてる座敷童さんが可愛くてちょっと笑った。というか和んだ。まぁ、言ってないしね。と1人頷いていると、笑われた座敷童さんはむっとしてあたしを見る。


 見下げる形になっていないのは、座敷童さんの座高があたしとそう変わらないからだろう。身長は座敷童さんの方が高いというのに…つまり足が長いという。自慢か! 飛び散った思考で自らの座高を呪いながら、まずい話題だっただろうかと気遣わし気にあたしを見てくる座敷童さんに。ひらひらと片手を振った。


 本当に気にしてない。物心ついたころに養女に出されてわけだけど、別にママやパパと不仲だったわけじゃない。ただ「普通の生活を体験して来い」くらいの軽いノリで出されただけだ。


 養子に出てからも、あたしに不足がないか部下の人たちを使って調べたり、あたしに直接聞きに来てくれたり。あると分かればいつでも味方になって対応してくれる。


 逆を言えば養女に出されるまであたしはそんな「普通じゃない」生活を送っていたわけなんだけれども、それはそれで幸せだったから別にいいのだ。今は関係ないし。


 ちなみに、あたしが養子に出された先の家を追い出されたときも抗議してくれたみたいだし。優しいママなんだ。仲だって良好な。だから。


「そんなに気にしなくても。ママとは仲いいですし、心配しないでください。たぶん道具も貸してもらえると思うので、ちょっと待っててくださいね」


 心配そうに顔をのぞき込んでくる座敷童さんに笑顔を向けると、そのきれいな形をした眉がへにょんとハの字に下がった。


 手持ちぶさたにタブレットをいじくっている座敷童さんを横目に、手元にあった端末を手に取ると、座敷童さんに断ってからアドレス帳を開きま行を出す。「ママ」のところで通話のアイコンを押して、耳に当てる。数度のコールでぷつっとつながった音がした。


「もしもし、ママ? あたし、艶だけど。ネイル道具借りたいんだ。雅琵みやびさん、貸してくれるかなぁ」

「雅琵のやつか。構わんぞ、あたしが許す」

「本当? ありがとう! 輸送システムで送ってもらっていい? 住所はLIN〇で送るから」

「あれか、便利だよなぁ。まぁわかった、終わったら連絡してくれ」

「うん、わかった。ありがとう、じゃあね!」


 ぷつんと切れた音を最後に端末から耳を離すと、座敷童さんが驚いた顔であたしを見ていた。ぱちぱちとその長く白いまつ毛を瞬かせて。それを見つつママにLIN〇で住所を送る。


 なんぞ? 特に変わったことをした覚えはないんだけど。あ、通話が珍しかったとか? そういえば初対面の時も珍しそうにしてたし。あ、それとも結果が気になるのかな?


「貸してくれるそうですよ」

「…」

「座敷童さん?」

「君が敬語じゃないところを、初めて見た」


 どこか熱に浮かされたようにぼんやりと座敷童さんがこぼす。うん、まぁママの他に敬語以外で喋った人なんていないからね。見たことあるって言われたら逆に「どこで!?」っていう話になるから。びっくりだよ。


「そうですか?…変、です?」

「っ! い、いや。すごくよかった! 俺にもそうして欲しいくらいだぜ!」

「あー…ママ以外に敬語なしで喋ったことないので、ちょっと難しいかもです」

「そ、そうか」


 しょんと肩を落とした座敷童さんの背中をぽんと叩けば、しゃんと背筋が伸びる。せっかく綺麗な背筋をしているのだから伸ばさないともったいないとあたしは思う。そういうあたしは少し猫背が入ってしまっているから余計に。

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