あたしと子猫ちゃん

「はぁ…」


 自分の部屋の扉を開けるのに、気が重いなんてあたしには初めての経験だった。金曜日の夜、あたしが座敷童さんに告白を受けたその日と同じように。


 控えめに主張された1番風呂に、嫌な予感というか直感は否めなかった。それでもあたしの勘なんていう不確かなもので却下するわけにもいかず、OKを出したのだった。


 その予感のためにお風呂上り。トイレや居間、台所と納戸まで覗いてみたが姿はなく、座敷童さんの部屋に声をかけたが反応はなかった。これで寝てるから、とかだったらいいんだけど。そうではない場合、あたしの部屋にいるのは確定だろう。


 部屋に入るのは気が重かったが、いつまでも入らないわけにはいかず。かれこれ10分ほど右往左往してから覚悟を決めた。よし、入ろうと。


 かつて、これほど自分の部屋に入るのに覚悟を決めたものがいただろうかと不安になったがそれは置いといて。がちゃりとドアノブを捻って、あたしは一思いに扉を開けた。


 正直、ベッドの上で三つ指つきながら迎えてくれた女装姿の座敷童さんが目に入った瞬間。光の速さで、扉を開けたことを後悔したのだけれど。

 扉をもう一度閉めたくはなったものの、座敷童さんがふと顔を上げてしまったので断念した。


「あ、あー…」


 結論から言おう。今日の女装姿も大変可愛らしいです、座敷童さん。可愛いというか美しかった。神々しい?


 繊細な模様が刺繍として施された胸元、鎖骨まで見える大胆なデザイン、長く細い腕にはオペラ・グローブをはめた、白いストールで肩を隠した純白なウエディングドレス姿の座敷童さんだった。あ、お化粧はしてなかった。


 まぁ、座敷童さんにはいいとこ口紅くらいしか必要がないほど肌は綺麗だが。しかも、座敷童さんがよく買うようなコスプレ系のものではなく結構本格的なやつだった。それを着こなしている座敷童さんに三つ指つかれて出迎えられるあたし。


 なにがどうしてこうなったのか、誰か説明してくれ。思わず天を仰いで声を期待したが誰も答えてはくれなかった。まぁ答えられたら答えられたで誰の声だよって話になるんですけどね。


 それはともかくとして、座敷童さんだ。

 顔を上げてベッドの上であたしをじっと見つめる座敷童さんと目線を合わせれば、恥じらうように頬を押さえて顔をそらされる。乙女か! 


 とりあえずいつまでも扉の所にいるわけにもいかないため、中に入って後ろ手に扉を閉める。きぃ、ぱたん。軽い音を立てて閉まったそれに内心ため息をつきながら、座敷童さんがいるベッドの前まで行く。


 あたしの視線にもじもじと身体を揺らして、手持無沙汰に手をいじくりながら、座敷童さんは大人しくあたしを待っていた。そんな座敷童さんの乗ったベッドにのぼり、座敷童さんの前まで行く。


「またですか?」

「こ、今度は寝てないから!」

「そういう問題じゃないです」


 うら若き乙女(あたしのこと)の部屋でこうして待っていることが問題なんだっつーの。はぁ、とこれみよがしにため息をつけば、びくりと跳ねる白い身体。

 おそるおそる上目にあたしを見た座敷童さんがうぅ…とうめき声を漏らす。

 だからうめきたいのはこっちだって。


「こんなことしていると、本当に食べちゃいますよ?」

「た、食べてほしいって言ったぜ!」

「冗談ですよ」


 どうやって食べるというのか。座敷童さん余分な肉とかついてなさそうだから、ほぼ骨と皮しか食べるところなさそうだし。骨からいいだしがとれますってか? 何というエコロジー骨の髄まで使いつくすなんて。


 っていうかあたしにカニバリズム的な趣味はないし、そっちの意味で食べてくれって言ってるならお門違いだ。あえて詳しくは言及しない方向で。ではなく。


 きっぱりと言い切ったあたしに、桃色の目を潤ませながら顔をうつむかせる座敷童さん。その美麗な顔は泣きそうに歪んでいて。あまりにも可哀想というか哀れというかマニアなら垂涎ものというか。とにかく悲壮を誘った。


 でもあたし女の子なんですけど。花も恥じらうはずの乙女なんですけど。えー。でもこんなことで座敷童さんを泣かせるのもなぁ。ちょっと。あー、どうしよう。え? ううーん。あ。


「まぁ、ちょっとくらいなら。期待に応えられるかもしれません」

「え? う、うん?」

「だめですか?」

「い、いや。ぜひ! がっつりいってくれてもいいんだぜ!」

「それはちょっと」

「そ、そうか」


 きゅっと目を閉じて、体の震えにわずかに揺れるウエディングドレス。どう見てもキス待ち顔でした。ありがとうございます。そんなアホなことを考えながら、あたしは座敷童さんの顎に手をかける。


 ぴくん! と座敷童さんの身体が小さく震えたが、気にせず、あたしは座敷童さんの顔に自分の顔を近づける。やがて、吐息同士が触れるほど近づいたあたしは。


 案外まろい白い頬に、がぶりと噛みついた。


「いっ!?」

「…座敷童さん」

「な、なん…なんだ」

「あのですね、食べられるっていうのは、きっとこれよりもっと痛いんです。あたしはあたしの座敷童さんに痛い思いなんてしてほしくないし、大事にしたいんです。あなたのことを」

「き、君…俺のために」


 いや噛んじゃったけど。痛い思いさせちゃったけど! でもこれくらいの痛い目見ないと座敷童さん何回もしでかしそうだし。せめて相手があたしなら何とか対応できるかもだけど、他の人だったりしたらそのままぱっくりいかれちゃう未来しか見えない。あれ、なんだろう。胸のところがもやもやする。でもまぁ。


「美味しかったですよ、ごちそうさまです」


 ぺろりと自分の口の端をなめながら言えば、それを見ていた座敷童さんがぼふん! と首筋まで赤くなった。あ…う…と意味のないうめきを漏らしながら、座敷童さんは白いオペラ・グローブのはまった手で顔を覆った。乙女か! 本日2度目だ。


 別に美味しくもなんともなかったが、あの肌が唇に気持ちいいことがわかってあたしは満足だった。今度もし食べてほしいと言われたら同じことをしようと思った。ところで。


「だいたい何でこんなことしてるんですか」

「それは…その。君を好いているから、で。その、大丈夫だ平安時代からある風習だから!」

「それを現代に持ち込まないでください」


 っていうか平安時代から男が女装して女のベッドに入る習慣があるの? なにそれこわちか。だいたい女装だって男臭くない座敷童さんがやるからこそ耐えられるんであって、そこら辺のやつがしたら犯罪だって。いけないって。視界の暴力だって、絶対。


 ってかあれか。夜這いの習慣のことを言ってるのかな? なんだ、びっくりした。いや、まぁそれを現代に持ち込まれて困るっていうのは変わらずなんだけど。かと言ってこのまま帰すのもなー。食われてもいいって相当な覚悟で来たんだろうし…。あ、そうだ。


「座敷童さん、一緒に寝ます?」

「そ、そんな! 嫁入り前の娘が男と同衾するなんて!」

「あなた何しに来たんですか?」

「だ、だって! 犬猫ならともかく、君となんて」

「あら、じゃああなたはあたしを夢の国に誘ってくれる子猫ちゃんですね」

「うぐっ!」

「夢の中で逢いましょうか、子猫ちゃん」

「っ!」


 こうして座敷童さんは驚異的なジャンプ力であたしのベッドを降り、そのまま見事なドレスさばきで部屋を飛び出していった。



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