あたしと口紅

「君、紅を塗ってくれないだろうか」

「紅? どこにです?」

「口以外にあるのかい?」

「あぁ。爪もあるんですよ。マニキュア…爪紅つまべにって言えばわかりますか?」

「あぁ、爪紅か。盲点だったぜ」


 先ほどまで不思議そうに首を傾げていた座敷童さんが、おぉ! と左手で右の手のひらをぽんと打つ。頭に電球でも輝くのが見えた気がした。


 打ったほうの手、左手には筆? が握られていた。なんだろう、あの筆。月曜日の夜、あたしの部屋で。ついているLEDに座敷童さんの白い髪が照る。相変わらず綺麗な髪だった。


 ベッドに寝転んで参考書を開いていたあたしは起きあがって居住まいを正す。あたしの足元に腰かけていた座敷童さんの隣に並んで座った。


「座敷童さん、今日のお着物はいつもと違うんですね」

「お、わかってくれるかい?」

「はい、こんなに可愛いお着物、初めてみました」


 嬉しそうに立ち上がって、その場でくるりとまわって見せてくれる座敷童さん。

 白い布地を基礎にピンクやオレンジといった様々な花柄の布をつぎはぎに使った、カラフルで見目も可愛い着物だった。


 白い花が散ったオレンジ色の帯にはガラス玉の帯留め、袖と裾にはフリルがあしらわれた、着物ドレスとはまた違った趣のお着物だった。


 1回転してくれたので小さく拍手をすれば満足したのか、にこっと笑ってからまたあたしの隣に腰を下ろす。


「それで。紅、塗ってくれるかい?」

「構いませんけど。座敷童さん、ご自分でやったほうが綺麗にできるんじゃないですか?」

「う…で、でも。その…君がいいんだ」


 思い出されるのは先日のお月見。可愛らしい着物ドレスに月光が照らす白い肌、ちょこんと薄い唇を彩っていた綺麗な紅色。


 はて、確かに座敷童さんはお化粧が初めてとか言っていたが、あれほどの技量があればあたしなんかに頼らなくてもいい気がするのだけれど。


 首を横に傾けたあたしに、座敷童さんはなんか金色の下地に椿の花が装飾された貝殻と筆を差し出す。貝殻の方はさっきは握っていたらしく気付かなかったわけだ。


「何ですか? これ」

「京紅だ。唇に塗るものなんだ」

「あぁ、口紅なんですね。これ」


 なるほどと頷いてそれを受け取る。にしても口紅を入れる容器すらこんなにおしゃれさんとか座敷童さんは一体どこに向かっているのやら。あ、可愛い路線ですよね。知ってました。


 思わず内心敬語になりながら受け取ったそれをまじまじと見ていると、座敷童さんが照れ臭そうに頬を掻く。照れる仕草すら可愛いとかどういうこと。


 くっ、なけなしの乙女力もとい女子力が痛む! まぁ、座敷童さんの前にはあたしの女子力なんて塵みたいなものでしょうけどね! 言ってて辛いな、これ。


 それはそうと京紅。こんなものあるんだなと見てから、ぱかりとあけたら内側が真っ赤でした。これを唇につけるのかと納得しつつ、ベッドを降りて場所を移動する。


「き、君?」

「なんですか? あ、もっと足開いてください」

「な、なぜそんなところに」

「このほうがやりやすいからですけど?」


 むしろそれ以外の理由でなぜあたしが男の足の間に跪かなければならないのか。甚だ遺憾である。それはともかく。


 水分を含みしっとりと濡れた筆先で貝殻の赤いところを拭うようにこすれば、色が筆先に移る。それを確認して準備万端と座敷童さんを見上げると、顔を紅並みに赤くして両手で顔を覆い隠していた。おい、塗れないだろ。


「座敷童さん」

「ま、待ってくれ。3、3分…いや、5分でいい!」

「のびてるじゃないですか」


 両手で恥じらうように顔を隠し、いやいやと首を横に振る座敷童さん。っていうか3分が5分に伸びるとか何言ってんのさ。あたしは座敷童さんの左手を貝と筆を持っていない方の手でがしりと掴む。手というか手首か。


 あいかわらず折れそうなほどに細くて、ちょっと戸惑った。掴んだまま無理やり手を顔から外させる。まさか実力行使されるとは思ってなかったみたいで、あらわれた座敷童さんの顔、その桃色の瞳が大きく見開かれた。


 その勢いでもう片っぽの手も外させて、紅を含ませた筆を鉛筆持ちすると、座敷童さんが声を上げた。


「き、君」

「大人しくしててください」

「んっ…」


 そっと唇に筆先をのせれば、真っ赤な顔をした座敷童さんが、きゅっと目を閉じた。痛いことはしていないはずなのになぜ? 


 意味が分からないながらもとりあえず流して、そろそろと唇の端まで丁寧に紅を塗っていく。最後にティッシュで唇を軽く押さえて、完成だった。


 ティッシュで押さえた唇の上に、あたしは人差し指の腹を当てる。

 目を閉じていた座敷童さんが、その熟れたトマトのように赤い顔のまま、目を見開いた。その様子が、可愛くて。


「あんまり…」

「!?」

「可愛いことしてると、食べちゃいますよ? お姫様」


 ちょっと意地悪げに微笑んで見せれば。どこまで赤くなるのだと聞きたいくらいに赤を深めた座敷童さんが、そっと唇から指を離したあたしの手を捕まえて、口を開いた。


「ありがとう、そ、それと…が、頑張るから! 俺の君」


 とぱっとあたしの手を離すと、そのままあたしの部屋から逃げるように立ち去った座敷童さんに。あたしの手に残された京紅と筆を見ながら、あたしは呟いた。


「頑張るって、何を?」


 ふと、疑問と共に笑いがもれてしまったのは仕方のないことだった。

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