第24話 夕陽、西に落ちて⑤
先行したミラは、巨人の攻撃を掻い潜って足元に滑り込むと、右足を思いっきり斬りつけた。
二
「ミラ! もう一発!」
俺の声に呼応して、ミラがマチェットをでかぶつの左足のアキレス
つまり、ハイリスクだ。
完全に動きの止まったミラに、
二挺のマチェットを力強く握ったミラは、決して手放さない。
だから、吹き飛ばされながらその刃は大男の左足をざっくりと斬り開く。
「よくやった!」
吹き飛んだミラは大量の血液を身に
ミラから標的を俺に変え、頭上から
痛みから踏ん張りが利かないのか、速度が先程よりない。
その拳を
二歩、三歩。
大きめの歩幅で頭部までの距離を縮めると、力いっぱい両手のポリタンクを放り投げた。
「ミラ! 斬れ!!」
先程大打撃を受けた後輩に対して、指示を出すのは、信頼感からだ。
戦部ミラは、
「ジョー先輩、人使い荒い!!」
口内から血液をまき散らしながら怒号を上げるミラは、空高く飛び上がり、俺の放り投げたポリタンクを斬り刻んだ。
空中で飛散したそれは、中身をばら
ガソリンが、大男の頭上から降り注いだ。
それらを振り払おうとしてバランスを崩して、大男は
踏ん張りが利く足は、今のこいつにはない。
ズタボロの脚力は、大きな体をそのまま後ろに倒壊させた。
同時に、その大きな
燃焼性の高いと思われる、防弾チョッキ。その馬鹿でかい発火点に火元を投げる。
「あ」
繰り広げられる
いや、それにしても、間抜けが過ぎる。
火元が、ない。
「しようがねえ」
しようがない。
本当に、しようがない。
下手くそな腕前が、頭部との距離を詰める。
巨人の体を歩み進んで、胸元の辺りから、ガソリンを
ホルダーから外したファントムが、照準を定める。
今日は、こっちが死線か。
「上手く
気化した燃料に、上手く弾丸で引火してくれればいいが、何分経験がない。
だから、半か丁かは、分からない。
上手くいかなきゃ、反撃される。
上手くいけば、炎上に巻き込まれる。
どちらにしても、死んでしまうだけだ。
間抜けな事に、敵を燃焼させる作戦で火元を忘れる様な
死んで当然と
だから、しようがない。
ただ、死ぬだけなんだから。
視界がゆっくりと流動していく。何度か経験がある。
ああ、死線上の景色だ。
命に死神が手をかけて、絶息と隣り合わせになる。
窮地だというのは分かっているのに、心の中は波紋一つないくらいに静寂が展開する。
耳鳴りが一瞬した後、一切外界の音が聞こえなくなって、自分の血液が流れる音が馬鹿でかくなる。
やっとだ。これなら、十分だ。
たっぷりと
トリガーに指をかけて、狙いを定める。
ああ、これで、大丈夫だ。
これで、俺は、やっと─
死ねる。
「驤一さん!!」
トリガーに力を込めたその
ぐい、と自由を奪われた上体は、そのまま後退する。
俺を抱きかかえているのが、腕の太さから折野だと分かる。
代わりに、俺が先程まで立っていた位置に、トーコが立っている。
声の主は、あの
刹那の展開に、思考は付いていかなくとも、言葉は出る。
「トーコ!」
憂心からの言葉に振り返りながら、トーコは指を
「さようなら─」
そう
言葉の後半は聞き取れない。
トーコが弾いた指から散った電撃が、火花となって大男に降り注ぐ。
俺達の離脱を待たずに、大男は炎上した。
火柱が一瞬視界を遮って、光のない外区の中を異様に照らす。
男は断末魔の叫びすら上げる事なく転げ回る。巨体がコンクリートに打ち付けられる音と、炎の燃え盛る本能に訴えかける様な不気味な音が静寂に
確かに命を奪っていく光が、宵闇に輝く。
「燃えますねー」
折野は燃え盛る炎に照らされた赤い顔を
「三角絞めで思いついた。打撃も斬撃も銃撃も望み薄なら、空気を奪っちまえばいい。それなら、燃焼が一番だ」
「火だるまになると、死因は窒息死かショック死ですもんね。どちらに転んでもってとこですか。それにしても、驤一先輩、火、忘れたでしょ?」
絶句を誘う間抜けを指摘され、黙り込む。
「僕、火がない事に気付いて、どうせあの人発砲にかけて着火を狙いそうだと思ったから助けに行ったんですよ。絶対自分ごと燃えちゃう事とか考えてるだろうな、と思って」
「お前気持ち悪いよ。何でそんなとこまで読むんだよ」
「驤一先輩が分かり易いんですよ、死にたがりだから」
「あっそう」
口を
男はのたうち回るのを止めた。
炎は夜空に昇る。
「ちょっと……誰か……」
その火柱から横にずれて、今日の敢闘賞、ミラが寝そべりながらマチェットを握った腕をひらつかせる。
「ああ、ごめん戦部さん! 今行くね!」
着地もままならない程に疲弊した体を気遣って、折野がミラに駆け寄る。
後で俺がどやされるのは確定だ。
すっかり沈んだ夕陽を背に、空を見上げる。
夜を眠らない皇都では拝む事の出来ない、満天の星。今宵は、昇る火柱の熱が空間に漂う。
トーコは、じっと火を見ていた。
自分を捕まえようとしていた男が燃えるその光景を、唇を
「なあ、トーコ」
これから、聞かなければいけない事が、沢山ある。
それはきっと俺達の根底を変える様な話になるだろうし、この国の深部に近づく事にもなるだろう。そう、確信している。
目の前の光景が夢だとは思わない。昇る炎の熱は本物だし、
「え、あ、はい。何でしょう?」
「やっぱ、敵でも
くゆる煙を見上げながら、俺は言った。
「……少しだけ……いい気分はしません……」
「そっか」
夕陽の沈んだ方を見る。
この国の暗部、外区の、更にその向こう。
この国の、本当の西端。世界から逸脱した、黒色の空間。
トーコに向き直ると、目を合わせて、言う。
「お前さ、どっから来たんだよ?」
分かりきっている。きっと、そうだと分かっている。
それでも、最初の一歩は確実に。
これからの、常軌を逸するであろう俺達の、最初は、静かに。
トーコは、揺れる赤を弾く大きな
少しの間を置いて、もう一度、俺の目を見た。
肉を焼く燃焼音だけの空間で、炎に照らされて
皇都の、閉ざされた方角。陽の沈んだ、地平線。
この外区の、更に向こう側。この国の、本当の西端。
「あっち……」
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