第四章

第13話 交戦①

「春ちゃん、休憩しようよ」

 外区に来てから三時間と少しが経過し、空の端にあいだいだいにじむ頃合い。ミラがヘッドホンを外しながら、道の真ん中に腰かけた。

「そうですね、ここまで来た事ですし、いつたん休みましょうか」

 見上げた道路標識は旧十八番街への入り口を示している。俺達にとって、ここからが未開の場所だ。

 折野はバックパックを降ろすと、中から水筒を取り出してミラに渡した。

「ありがとー!」

 勢いよく水筒を傾ける。中身は、ビタミン剤とクエン酸粉末が配合された折野特製のドリンクだ。

「流石にこの距離だと早めに出ても陽が暮れますね」

「四、五時間ってとこだな。夜まで探索して朝までに特区に戻る感じにするか」

「そうしましょう。十八番街中部付近はこんな感じです」

 折野がバックパックから取り出した黒いケースを開け、中にあるタブレット端末を操作して地図の画像データを表示させた。

 皇都西番外地の世界線から、西に向かい、大地世界との国境までの間に広がる外区。

 皇都側から、旧皇都西十七番街、十八番街、十九番街と三つのエリアに色分けされた地図の、十八番街中部を拡大する。

「分断作戦前には戦闘地域に指定されていませんね。目ぼしい施設は……総務庁内務局西十八番街支局、防衛庁警察局西十八番街支局、それに、国土交通庁交通管理局西十八番街支局くらいですかね」

「大地世界関係の企業は?」

「あ、すみません。大手なら幾つかおぼえていますが、小規模な所までは……今度リストアップしておきます」

「そしたら中央庁関係を洗おう。こういう時ネットが使えねえのが面倒だな」

 展開された画像データは、折野が自宅でタブレット端末に移したものであり、どこからか呼び出した訳ではない。

 タブレット端末は本来、インターネットに接続できる機能も搭載されている。しかし、画面左上、その通信状態を示すマークは、回線不良を示す赤色に染まっている。

 外区内は、基地局がない為に電波が通じない。三年前、初めてこの場所を訪れた時に携帯が通じない事を知った俺は、そう認識していた。しかし、折野と共に外区に来る様になり、有事の際にとBAR PLANETARIUMで購入した無線通信機を持ち込んだ。

 BAR PLANETARIUMは、特区に存在する非合法な何でも屋だ。

 欲しい物ならば金を積めば何でも手に入ると称されるブローカーが経営するその店で、俺達は装備の全てを手に入れている。

 そんな店で購入した、あくまで通信手段として入手したアイテムが、外区の特異性に拍車をかける。

 外区内では、無線通信すら出来ない。この中を全て網羅した訳ではないから、範囲は未知数だが、少なくとも俺達の行った場所までは大規模なジャミングが仕掛けられている。

 国が完全に封鎖し、一切を中に入れることのない場所は、何故だかジャミングされているのだ。

 それがいつの頃からかは分からない。だが、少なくとも俺がこの場所に来た三年前には既にそうだったと考えていいはずだ。

 誰が、何の為に。

 七年の間、世界も皇都も知り得なかった外区の中、そして大地世界。

 大地世界側から一切のアプローチがないのは、このジャミングが大地世界にまで及んでいるからなのか。

 そうだとしたら、ジャミングの真相は皇都側にあるのか。それでは何故、皇都が。

 七年の間、皇都がこの外区にアプローチを仕掛けないのは、この環境のなのだろうか。

 そうだとすれば、ジャミングの真相は大地世界側にあるのか。それでは何故、大地世界が。

 本源が何にせよ、俺と折野にとってはこの外区に〝何かある〟という確信に近づく一つの要因になる。

「ぷはー春ちゃんのこれしいよね。世界で一番美味しいかも」

「お前数時間前と言ってる事違えじゃねえか」

「ははは、そうですね。でも、そう言ってくれると、作るがあります」

 夕暮れの無人の街。道路のど真ん中で談笑する俺達の影が伸びる。

 歪な環境である事さえ除けば、当たり前の黄昏たそがれの筈だ。

 いや、歪な場所に嵌り込んでいる俺達もまた、歪なのだろうか。

「ねえねえジョー先輩」

「何だよ」

「前から思ってたんだけどさ、移動の時、自転車とか電気バイクとか使わないの? 免許あるなら、電気自動車でもいいけど」

 そう言ってミラは周囲を見渡す。

 七年前、突然の出来事から放棄された外区は、避難勧告の後そのまま、場所によっては道路に電気自動車が放置されている。

 電気スタンドこそ機能していないだろうが、移動手段として活用出来る選択肢は、街中に放置されている。

 確かに、俺だって使える事ならばとは思う。今日も移動だけで数時間を使っている訳だ。時間短縮が出来ればそれに越した事はない。

「お前運転出来んのか?」

「電気バイクなら免許持ってる! 学校でこの間取った! ジョー先輩は?」

「持ってねえ。リニアでどこでも行けるし。折野は?」

「一応持っていますよ。この間、学院の教習で取りました。たしかに戦部さんの言う事はもつともですが、他人の物ですからね……」

「いや、そんな事言ったら、私達外区に無断侵入してるし、人だって殺してるじゃん。何言ってんの」

「そ、それはそうですが……じょ、驤一先輩……」

 早々に丸め込まれた折野が、救援を欲した視線を送って来る。

 ゴリ押しでなければミラに折野が言い負かされる事は少ないのだが、事今の会話に関しては分が悪い。余りにもミラが正論だ。

「まあなんだ、俺も使える事なら使いたい。移動に時間をかけるのはもつたいねえし、短縮出来れば探索の時間は増える。簡単な話だ。静音化されているとはいえ、電気自動車と電気バイクで無人の街を走ってみろ。この箱庭の中は基本無音だ。目立ってしょうがねえよ。俺達の戦術は奇襲速攻。俺が知っている場所なら、地の利も使うが、基本はそれだ。でかい音を立てて移動する訳にはいかねえよ」

 肩をすくめて説明してみせると、折野は窮した表情から一転、俺を馬鹿にしたようにわざとらしい感嘆の声を上げながら手をたたいた。

「流石驤一先輩ですね。素晴らしいです。すごい凄い」

「馬鹿にしてんだろお前」

「してませんよ。本当に合理的だなあと思います。ただ、そういう思考回路をお持ちならばもう少し交戦中も僕の指示に従って動いてくれたらなあと感じただけですよ。あくまで感じただけです。僕の独りよがりです」

「ぐ……余計な地雷を踏んだか」

 これでもかという無機質な声と作り笑顔を混ぜる折野。

 作戦行動中の俺とミラの独断専行に関して、折野は心底怒っている。

 特に、俺にはミラと違い、その行動に裏打ちされた実力がないので、こうして隙あらば嫌みを挟まれる有様だ。

 折野に対して後ろめたくなる唯一の瞬間である。

「まあ、そういう訳だ。音の重要性はお前も分かってんだろミラ」

「成程なー! 凄いねジョー先輩、偉い偉い!」

 納得したミラは、何故か折野を真似て、俺を馬鹿にした態度で手を叩く。

 恐らく、俺が折野に押されているのを楽しんでいるのだろう。

 非常に気に食わない。

 ミラにこけにされるのは、頭に来る。

 ならば、聞き流そうとしたミラのほころびをつまみ上げてやろう。

「まあそれは置いといてよ、ミラ、お前使った事あんだろ?」

「ん?」

「そこら辺のバイクとかチャリぱくった事あんだろ?」

「え、何で!?」

 突如の俺の指摘に、ミラは胸をかれた様で、身を竦めた。

 どうやら図星だ。

「折野はこっちに来てから半年、一度も『そこら辺の電気バイクや電気自動車を使いましょう』なんて口にした事がねえ。まあ、こいつは馬鹿真面目だから仕方ねえんだが、それにしても盗みの発想は経験者特有だ」

「移動にいっつも時間使ってたら誰でも言うよ! 普通だよ!」

「確かに、それを口にする事自体は普通かもしれないな。毎回毎回、外区での移動にこんなに時間を使ってたら、自然な発想だ……だが、問題はタイミングだ。お前は今、初めて言った。俺達と出会って二か月目でだ。もしも普通ならば、数回目で言う筈なんだよ。移動もっと楽にしませんか? とな。だが、ここまで口にしなかった理由は、お前がその行為に後ろめたさを感じているからだ。私はしていたけど、ジョー先輩達はやっていないのかも。それなら、もし口に出したら引かれてしまうかも。そういうかつとうを繰り返し、俺達の関係もそれなりになったのを見越して、ついにしびれを切らしてしつを出したな! お前、南部に一人で行った時はしょっちゅう使ってただろ!」

「やめて!! 私の心をのぞかないで!!」

 ミラは耳をふさぐ様にヘッドホンをかけ、頭を抱え込む。

「驤一先輩! 何もそこまで追い詰めなくても!」

「勝手に袋小路に飛び込んだだけだろ。それに、ミラの分際で俺に挑むのが悪い」

「挑まれてました!?」

 首を傾げる折野の横で、俺は胸を張る。

 かんぺきに言い負かしてやった気がして、気分がいい。

「うぅ……やられた……私はダメ人間……私はダメな子……顔も憶えていないパパママごめんなさい……」

「戦部さん! 気を確かに持って! ここは治外法権だから!」

「ほー、折野の癖にそういう事言うんだな。正義感ブレてんぞ」

「今は有事の際です! 戦部さんを慰める為の方便です!」

 ひざを突いて倒れるミラの肩を揺さぶり、折れた心の修復を折野が試みる。

 折野は優しい奴だ。しみじみと思う。

「あ、でもさ」

 そんな折野の気遣いが実ったのかどうなのか、ミラは思いついた様な声を出すと、ヘッドホンをかけ直しながら立ち上がった。

「音が出て敵に気付かれちゃうとかなら、自転車ならいいじゃん。そんなに音出ないし」

 近くに乗り捨てられていたクロスバイクを指差しながら、ミラは言う。

 俺はその代案に、まゆひそめて答える。

「だめだ。あれが一番だめだ」

「何で!?」

「いいか、あれはな─」

 徒歩移動である最大の所以ゆえんを話そうとした瞬間、ミラは口元に人差し指を立てた。

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