昔話

第3話 十一年前、酒匂驤慈、自宅

「親父は、仕事で死んじゃうかもって思った事ある?」

驤一じょういち、本当に呼び方親父に変えたんだな……」


 漫画の影響か、それともクラスメイトの影響か。息子の成長を感じ取れる要因ではあるけれど、よわい八歳の子供に親父と呼ばれるのは、いささか違和感があった。


「で、あるの?」

「んー何回か、ある」


 ソファーに腰かけて、回想しながら答える。

 久しぶりの休日の、ゆったりとした時間だ。


「えー、じゃあ母さんも?」


 驤一はダイニングのテーブルに突っ伏しながら、キッチンに居るいちに言う。


「あるよー、沢山」


 一花は、昼食をせっせと作りながら答える。匂いから察するに、バジルの何かが出る事は間違いない。


「あるのかあ……嫌だなあ。親父と母さんが死ぬのは、嫌だ」


 職業上、常にとは言い過ぎかもしれないが、死とは隣り合わせである事が多い。俺と一花本人はうの昔に納得済みだが、まだ八歳の息子に理解させるのは難しそうだ。


「何だお前、またどうじまのおじさんに吹き込まれたか?」

「この間、親父と母さんが帰って来ないの嫌だって言ったら、驤慈と一花は死ぬかもしれない仕事を一生懸命やっているんだから我慢しろって言われた」


 たけめ。人の息子に余計な事を。

 もつとも、剛也なりの優しさからの発言なのだろうが、驤一はまだそれの真意まで解釈する様な年齢ではない。まだまだ、素直なままだ。


「大丈夫大丈夫、父さんも母さんも滅茶苦茶強いから、死なない死なない」


 息子へのさいな反抗に、自分を父さんと呼称する。


「本当?」

「本当本当」


 実際に軽口なんかではなく、それに見合うだけの実力も自負もあるが、それ以上に、息子を安心させたい気持ちと、が勝った言葉だった。


「じゃあ大丈夫かー」

「大丈夫大丈夫、心配すんな」


 驤一に言いながらテーブルに移る。僅かに見える一花の手付きが、調理を終えた様相だったからだ。


「はい出来ましたー食べよう食べよう」


 一花は完成したジェノベーゼを持ってテーブルに並べる。


「これ俺あんまり好きじゃない!」

「驤一、好き嫌いするとパパみたいに強くなれないよー。はい、いただきます」

「いただきまーす」


 一花が言うと、驤一も直ぐに続いた。


「いただきます」


 俺も遅れて言う。何でもない、休日の昼間。

 こういう幸せが、いきなりなくなる事もある。驤一の言葉で、再認識させられる。


「ま、でもさ、死んでも、後悔しないよね」


 唐突に、一花が言うものだから、思わずせてしまう。


「げほっ……な、何言ってんの花ちゃん」

「だってそうじゃない? ジョー君が居て、驤一が居て、私はずっと幸せだもん。思い残す事なんてない。今死んだって、幸せなまんま。やりたい事も沢山やった。私の人生は、きっと意味あるものだったもの」


 笑いながら言う一花の言葉に、鼓動が跳ねる。

 ああ、確かにそうかもしれない。


「ジョー君は?」

「んー……俺も幸せ。確かに、後悔はしないかもね。生きた意味はあるかもね」


 今の幸せを思いながら、答えた。


「えー! だめだよ! 俺は!? 俺が居るじゃん!」


 驤一は手を止めて声を上げる。多分、今の話を真に受けたのだろう。

 もちろん、俺と一花の言うそれは、万が一の場合だ。もし本当にそうなった場合、ギリギリのところで後悔はしない程人生を生きたという意味だ。

 勿論、驤一を残して死ぬなど、もつての外だ。


「大丈夫。驤一を残して死ぬ訳ないでしょ。ね、ジョー君」

「うん、勿論」


 一花もたがわず俺と同じだった様で、強い気持ちでそう言った。


「それならいいけど」


 驤一は安心したのか、口周りを汚しながらフォークを口に運んだ。

 この子にも、そう生きて欲しい。

 どんな道を歩んだとしても、どうか。


「驤一も、そうやって生きるんだぞ」


 少し早いかもしれない言葉を告げる。


「ん? 何?」

「自分の人生に、納得が出来る様に頑張れよ。何もしないであきらめるなんて事せずに、死ぬ時は、前のめりに死ねるように、頑張る」


 俺の言葉に驤一はまゆひそめる。


「ジョー君、驤一には早いでしょ」


 一花は笑いながら驤一の頭をでる。

 確かに、余りにも早過ぎる言葉だ。


「んー、よく分かんない」

「あはは、そうだよな。父さんの話、難しかったな。まあ、あれだ。簡単に言えば、一生懸命生きろ、って事」

「それなら分かる!」


 極限にまで言葉をみ砕くと、驤一は手を挙げて答えた。


「そうか、分かるか」

「分かるよ!」


 その様子を見て、一花は笑っていた。

 俺も、笑った。

 何でもない、幸せな、昼下がりだ。


(つづく)

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