第33話 sideトーコ 死にたがり

「変だよ。だってジョー君、死にたがっているんだもん」

 私がそう言うと、ジョー君は体を起こして、私に見せた事のない表情を一瞬だけした。

 直ぐに優しい顔に戻ると、ジョー君が言う。

「それの、何が変なんだよ?」

「変だよ。だって、死にたいって思っているのに、どうして、私の事を聞いて、嫌な気持ちになるの? 何もかも、どうでもいいから、死にたいと思っているんじゃないの? それなのに、ジョー君は私の話を聞いて、嫌な気持ちになってる。それに、私の事を助けてくれた。それって、おかしいもの」

 ずっとずっと気にかかっていた事。

 落下する私を受け止めてくれた時から、ずっと。

「七年前に何があったか知りたいって言っているのに、どうして死にたいの? どうして、私の事を助けてくれたのに死にたいの? どうして、私の事で嫌な気持ちになるのに死にたいの? 死にたいって思うって事は、何もかも、自分も、人も、どうでもいいと思っているから。全部全部あきらめちゃったからでしょ? だって、そうじゃなきゃ死にたいなんて思わないもん。それなのに、ジョー君は─」

「待て待て、ちょっと待てトーコ」

 ジョー君はてのひらを私に向けて制止する。少しだけ、表情を崩して。

「まず前提が変だ。俺の〝死にたがり〟ってのは、俺が戦闘で無茶するからだ。それにムカついたミラと折野が、面白半分で言い出した事だ。俺は別に死にたい訳じゃない。ただ、死ぬ事に対してどうでもいいと思っているだけだ。人生に起こる事の全ては、しようがねえ。親父が死んだのも、母さんが死んだのも、そういう仕事をしていたからしようがねえ。ただ、納得はいかねえ。親父と母さんを知っている人は、誰もが二人をやたら強かったと言い張る。そんな二人が死んでしまったのが納得いかねえから、俺は真実を知ろうとしている」

 ジョー君は、何かを隠すようにまくし立てる。

「だけど、それを知る為にはあの場所に行かなきゃいけねえ。ちようりよつこの外区に。死線だらけの箱庭に入らなきゃいけねえ。俺が死ぬのも、ミラが死ぬのも、折野が死ぬのも、そういう事をしているからしようがねえ。納得してる。納得済みで、俺達はあの場所に行っている。探し物の途中で死んじまうのは、確かに後味が悪いが、しようがねえ事だ。だって、そうしなきゃ見つかるもんも見つかんねえからだ」

「そうじゃないよ。前提が違うのは、ジョー君だよ」

 どうしてか、そこだけをジョー君は隠そうとしている。

「ジョー君が死にたい訳じゃないって、噓じゃない。ジョー君は、ずっとずっと、死のうとしているじゃない」

 もう一度言って、またジョー君の表情が崩れる。

 怒っている様な、焦っている様な、今にも泣き出しそうな、そんな顔。

「私を助けに走っていた時も、最後に引き金を引いてガソリンを燃やそうとした時も、ジョー君、死のうとしてたもん」

「だから、それは、俺が前に出ただけだ。死ぬのが怖くない訳じゃねえ。だが、びびっててもしようがねえ。俺は、俺はただ、死の恐怖以上に前に進もうとしているだけだ!」

 そんな顔で、ジョー君は自分の勇敢を振りかざす。

「噓。噓吐き」

 でも、私には、分かるから。

 散々、見て来たから、どうしても、敏感なんだ。

「何が噓なんだよ! お前に俺の事が分かんのか!?」

「分かるよ」

 声を荒らげるジョー君の目を見て答える。即答に面食らったのか、ジョー君は口をつぐむ。

「研究所の実験にね、被験体同士の戦闘があるの」

 多分、私は今、笑っていない。ジョー君が嫌だと言った、研究所を語る時の、私の笑顔。

 だって、それだけには、いい思い出なんて一つもないんだから。

「単純に被験体の能力を確認するものから、戦闘スキルの向上とか、能力の応用を身に付けさせるものまでいろいろあるんだけれど、この時間がすっごく嫌でさ。だって、友達と戦ったりしなくちゃいけないし、痛いし、怖いし。だから、手を抜いたり、適当にこなそうとするんだけど、直ぐバレちゃうんだ」

 私は戦うのが好きではなかったから、苦痛だけの時間だった。

「バレちゃうと、変な注射を打たれるんだ。そうすると、気付いた時には実験が終わっているの。一番初めにその注射をされた時は、気が付いたら、目の前に知らない子が倒れてた。広い実験室の中に、私とその子だけで。その子は動かなくなって」

 今でも決して忘れる事のない、光景だ。

「意味が分からなかったけど、他に注射を打たれた子の実験を見て、直ぐに分かった。興奮剤か何かなんだ、それ。無理矢理、戦わせられるんだ。意識がなくなるくらい好戦的になって、戦わせられるの。だから、私は、知らない間に、同じ境遇の、知らない誰かを殺したんだ」

 手に、何の感触も残っていないのに。

「それは嫌だったから、我慢して戦った。そうすれば、殺す事だけはないから。だから、我慢して、頑張って、戦ったんだ。不思議なんだけれどね、嫌な時間って、頭が凄くえているんだよね。全部全部覚えているんだ。嫌な時間の全部。戦う時の相手の視線、息遣い、癖。嫌な時間に限って、見えないものが、聞こえないものが、感じないものが、全部まとめて頭の中に入って来る。そんな、最悪の経験」

 思い出したくなくても、忘れたくても、いやおうなしにこびり付いて離れない記憶のおかげか、所為なのか。私には、嫌という程、分かってしまう。

「だから、分かるんだ。戦う相手の気持ちが。戦うのが大嫌いで、私みたいに仕方なく戦う人。私と違って、戦うのが大好きな人。目を見れば分かるの。その人がどういう人か。死んでもいいやとか、死ぬのが怖くないとか、死ぬ恐怖よりも、戦いたいって人は、そういう目をしているの。バチバチとしていたり、ギラギラしていたり、ふわふわしていたり。そういう、ミラさんみたいな人は、直ぐ分かる。とても怖いから、絶対に間違えない。でもジョー君は違う。ミラさんや、そういう人達とは違う目をしてる」

 全部を、諦めた人の目。

「研究所の中が苦痛で苦痛で、嫌な子はね、死にたくなるんだ。でも、研究所の中は監視だらけだから、自分で死ぬことなんて出来ない。そんな素振り見つけたら直ぐに止められちゃうし、きっと、ひどい目に遭わせられるもの。だけど、唯一あるんだ。大丈夫な場所が。戦う実験の時に、相手に頼むんだ。殺して欲しいって。実験で死んでしまうのは、仕方ないから。それはただの成果だから。一瞬で殺せば、研究所の人も止められない」

 言わなくたって、分かるようになる。

 死にたがっているのが、分かるようになる。

 全部を諦めちゃった目なら、もう、嫌という程見て来たから。

 一番近くで、見て来たから。

「だから、分かるの。ジョー君はそういう目をしている。私の一番苦手な目。見間違う訳ないもの。だって、大嫌いなんだもん。あの場所で、一番嫌いな事」

 私は、そんな目をした子を、助けられなかった。手にかける事が出来なかった。生きてもらう事しか、出来なかった。

 私が弱いから、何も出来なかった。

「ジョー君は、死にたがっているよ。私には、分かる」

 だから、どうすればいいか分からないから、何も言えなかった。

 ただ只管ひたすら矛盾しているジョー君の言葉に、疑義を抱いていた。

 ジョー君はまた、感情が混在した行き場のない顔をする。私の苦手な目をしながら、唇をみ締める。

「だって……当たり前だろ」

 ジョー君は、唇を震わせて言う。

「お前みたいな奴には分かんねえと思うけどな、いきなり居なくなるんだぞ!? 自分の全部だった、自分の一番大事にしていた人が、いきなり居なくなって! 当たり前にずっと傍に居たのに、ある日突然、もう居ないなんて言われて! 意味も何も分からなくて! その癖、世界は知らんぷりして回りやがる! 俺の、俺の大事なものがなくなっちまったのに、周りは、何も変わらずにだ!!」

 ジョー君は声を荒らげるけれど、ひとみの中は、相変わらず。深く、深く、黒いまま。

「もうどうでもいいと思ったよ! そんな風に俺の人生から何もかもを奪うなら、俺はもうどうでもいいって! いつまでたっても子離れしなくて、その癖仕事仕事で家に居ない事ばっかで、それでも一緒に居ればうざったく俺に構う二人が居なくなって、もうどうでもよかった! 死にたいと何度も思った! でも、親父と母さんは、一生懸命に生きろと言った。俺のおぼえている両親の数少ない言葉の中の一つだ。だから、自分で死んだら、親父と母さんに悪い気がして……それに、堂島さんや、室実さんに、ひよりさん……両親を慕っていた人達が余りにも良くしてくれるもんだから……もうどうでもいいのに、そういう訳にはいかなくなった。その人達の手前、死ぬなんて出来なかった。だから、今日まで生きて来た……」

「それなら、どうして死にたいなんて思うの?」

「初めて外区に行った時、ここなら、親父と母さんの事が、何か分かるかもしれないって思った。何も分からないよりは、少しでも何か分かればいいって思って。でも、探しても探しても、何度足を運んでも、只管無人のむなしいはいきよが広がるだけで、分かる事なんて一つもない。結局、俺の手には、母さんがのこした銃しかない。何も、何も分からないままだった。でも、実際はただ漠然と生きているだけだったからどうでもよかった。ただ、知れたらいいなと、僅かに思うくらいだった」

 ジョー君の声が、力をなくしていく。

「去年の初め頃、誰も居ないはずの外区に〝敵〟が現れて戦闘になった。俺の事を誰かも確認せずに、問答無用で、いきなり。護身用に持っていた母さんの銃と、衛学でたたき込まれた技術で、必死になって戦ったよ。その時の相手も、状況も、ろくに憶えてねえけど、何とか勝って、生きてるって一息ついた時に思った。びっくりするくらい、何ともなかった」

 ああ、多分、そうだ。

「確かに硝煙の匂いがして、マガジンから弾が減っていて、俺の横に死体が横たわっているのに、俺は、何とも思わなかった。焦っていたからとか、必死だったとか、そういうのじゃなくて。自分が引き金を引いた事に対して、何の感慨もなかった」

 この人は、きっとそうだ。

「変わらない気分で朝を迎えて、日を置いて、また外区に行って、そうして、また〝敵〟と戦った。その時に確信した。俺は、どうでもいいんだと。人の命なんて、本当にどうでもいいんだと。電子レンジのスイッチを押すのと同じくらいの気持ちで引き金を引けたよ。それを繰り返していく内に、もう一つ気付いた。俺は、俺の事も、やっぱりどうでもいいって。相手に銃口を向けられても、首筋にナイフの切っ先を突き付けられても、衛学の教室で授業を受けている時と何ら変わらない。俺にとっては、どうでもいい事だった」

 私と、同じ〝だった〟。

「だから、ここでなら、死んでいいと思った。誰にも迷惑をかけずに死ねるし、親父と母さんが死んだ真相を探して力尽きたなら、それなりに、意味もあるなって思った。名前も知らない誰かに殺されたら、しようがないなって、そう、思った」

 私と同じ、他力本願の甘ったれだ。

「ここなら、納得して死ねると、そう思った。分かんねえだろ、こんなの。俺とトーコは、何もかも、違うんだから」

 何もかもというのは、境遇だけじゃなくて、きっと全部なんだろうなと思う。とても冷たい言い方だったし、ジョー君の目は変わらず全部諦めた目だったから。

「俺は、全部、どうでもいいんだよ」

「噓だ」

 私が力強く言い切ると、ジョー君は不思議な顔でこちらを見た。

「どうでもいいなんて、噓」

「本当だよ。今だって、俺は死にたいって思ってる」

「それは本当かもしれない。でも、全部どうでもいいなんて噓。諦めたフリをしているだけ。だって、本当に死にたいんだったら、何もせずに殺されればいい。でも、貴方あなたはそれをしない。全部どうでもいいなら、私なんか助けなければいい。私の話に、心を痛める必要なんて、全くない」

 何もかも、私と同じだ。

「私もそうだった。あの研究所の中で、毎日死にたいって思ってた。自分が何のために生まれたのかも、どうして生きているのかも分からない毎日に、死にたいってずっと思ってた」

 あの場所で、一番長い間思った事は、それだったかもしれない。

「そうやってずっと過ごしていく内に、私はジョー君と同じ目になった。死にたいっていう目になった。戦闘実験で、殺して欲しいって願う子達と、同じ目になった」

 私が毎日鏡で見た、一番苦手な目。

「でも、そういう物欲しそうな最悪の目をするだけで、決して口には出さなかった。あくまで、あくまで仕方なく殺されてしまう事だけを願っていた。私の気持ちじゃなくて、他人の意思で、どうしようもなく死にたかった。どうしてか分かる? 私は、本当は死にたくなかった。生きていたかった。冷たい地下の研究所で、生まれた意味も分からないまま死んでいく事になんて、到底納得が出来なかった。でも、どうする事も出来ないから、だから、人の手で、無理矢理終わらせて欲しかった。無理矢理、納得しようとしたんだ」

 どうしようもない箱庭に捨てられた私は、そうやってえんせい的になっていった。

 苦しいだけの毎日を繰り返して、繰り返して、繰り返して。

 そうして、私は変わった。

「でもね、ある日、研究所の人が持って来た漫画を読んで、変わったんだ。漫画の中の主人公がね、学校に行って、好きな人と出会って、手をつないだりして、とっても幸せそうで。たかが空想のお話だって思うかもしれないけど、私には、とてもまぶしく見えた。とても、うらやましく思えた。私も、そういう風に生きたかった。そう思ったんだ。そしたら、今の私の境遇はおかしいって。何で、勝手に造られて、勝手にいじられて、好き勝手に苦しめられて、つらくて、それで、何で私が、あきらめなきゃいけないんだって。私だって普通が良かったのに、どうしてって。そう考えたら、馬鹿らしくなった。諦めちゃう自分が、一番、よくないって思った。私は多分、その時から変わった。絶対に生きていてやろうと、思ったんだ」

 ページに詰められた台詞せりふが、涙でにじんでいったのを憶えている。

「ジョー君は、そんな頃の私と、似てる。同じだ。だから、分かる。ジョー君が死んじゃいたい気持ちが、すっごく分かる」

「分かるから、何だよ? 説教して、講釈垂れて、同情でもしてくれてんのか? それで、俺も、お前も、何になるっつーんだ」

 ジョー君は、はち切れそうな気持ちで私をにらみ付ける。

 感情が行き場をなくして、でも、その癖、ぶつけ所がない事を知っていて。

「ううん、そうじゃないよ」

 だから、私は偉そうに言う気なんてないんだ。

 私が言いたいのは、もっと単純な事。

「それから、私は少し明るくなって、研究所でも楽しい事が増えた。友達と話したり、本を読んだりさ。死にたいとか嫌だって考えている子と、頑張って生きようって、沢山話した。でも、それでも死にたい、殺して欲しいって気持ちが変わらない子も居て……だから、そんな子と戦闘実験で会った時は、抱き締めて、電気で痛くない様に気絶させていた。直ぐ終わらせてあげる事しか出来なかった。気持ちが分かるから、殺せるものなら殺してあげたかった。死にたい気持ちは痛い程分かるから。でも、私には、そんな勇気はなかったし、何より、生きていて欲しかった。そういうジレンマを克服するすべは分からなくて、だから、問題を先送りにしてあげる事しか出来なかった」

 私はベッドから降りると、ジョー君の隣に座った。

 吐息が聞こえる距離で、真っ暗なジョー君の、大嫌いな色をした目をじっと見た。

「だけど、今は違う」

 そう言って、ジョー君を抱き締めた。

 小さな私のたいでは、とてもジョー君を包み込む事なんて出来ないから、はたから見たら抱き着いているようにしか見えないだろうけれど。

 気持ちの上では、包容する様に、力強く。

「私は、ジョー君に生きていて欲しいと思う。死なないで欲しいと思っている。昨日会ったばかりの私が、こんな事を言うのはおかしいかもしれないけれど、でも、本当に心から強く思っている」

 ジョー君の胸に押し当てた耳から血液の流れる音が渦巻く。

 私が、生きている音だ。

 耳を押し当てたジョー君の胸から、鼓動が伝わる。

 ジョー君が生きている音だ。

「ジョー君、私を助けてくれてありがとう。だから、私も、ジョー君を助けたい」

 死にたい気持ちは痛い程分かるけれど、私は初めて、わがままを言った。

「私は生きていたいと強く思うから、だから、助けて貰えて本当にうれしかった。今度は私の番。私が、ジョー君を助けてあげる番。もしも、七年前の事が知りたいというのなら、お父さんやお母さんの事を知りたいというのなら、私も手伝う。手伝わせて。私は、ジョー君に生きていて欲しい」

 相手の気持ちを考えずに、私の気持ちだけを、伝えた。

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