第9話 朝②

「おはよ」

 不意に肩をたたかれ、振り返る。

 そこには、皇都防衛庁防衛局の実戦装備をした室実さんが立っていた。

「何見てんだ〝酒匂〟。外区?」

「相変わらず不気味な場所だなと思って」

 室実さんにそう答えると、ベンチから立ち上がる。

「室実ちゃんおはようございまーす」

「し・き・お・う・じ・きょ・う・か・ん、な。おはよ戦部」

「あは、ごめんなさい。見て下さい! 私、新聞読みながら来たんですよ! 頭良くないですか?」

 結局一面の記事にしか目を通していない新聞紙を広げる。

 室実さんは、しわほとんど付いていない新聞を見て察したのか、優しい笑顔で言う。

「おー頭良いぞ戦部、凄い凄い」

「あは、もっと褒めて下さーい!」

「じゃあ物知りな戦部に教えて貰おうかな。外区が出来たのはいつだっけ?」

 室実さんの口角が吊り上がり目が細まって、優しそうだった笑顔は醜悪に形を変えた。

 人をいじる時の顔だ。

「戦部は頭良いんだもんなあ。分かるよな?」

「そ、それくらい分かりますよ! 七年前ですよね!」

「正確には?」

「え? えっと……」

「六年と五か月前。二〇〇八年の五月十日に皇都分断作戦が終了した」

「ししし、知ってますよ。私、新聞読んでいるんですから、それくらい分かります」

 ミラにとって、新聞とは読めば相当に成績が向上するものらしい。

 その思考が既に残念なのだが、ミラはその一点に対してやたら誇らしげだ。

「そうか。それくらい分かるか。じゃあ第二問」

「第二問!?」

「皇都分断作戦の原因は?」

「それは流石に分かります! この国に住んでいる人なら皆答えられますよ!」

「おお、ハードル上げたな」

「新興宗教『だいかい』による独立宣言ですよね?」

「大体合ってるけど減点だな。テストに書くなら、大地世界による独立宣言及び武力を伴った独立運動。ここまでで完答だ」

「ええー厳しい……」

「これくらい当たり前。お前頭良いんだろ? なあ?」

 室実さんは更にあくどい表情でミラを攻める。

「第三問、大地世界が自分達の領土を主張した、境界線の名前は?」

「えと……国境線?」

「世界線。第四問、今私達が居る西番外地の、分断以前の名前は?」

「えっと……えっと……」

「西十六番街。第五問、立ち入りが禁止されている外区に侵入した場合の─」

「いやあああああ!」

 室実さんの攻撃に屈したミラは、突然の奇声と共に駆け出すと、新聞紙をゴミ箱に突っ込んだ。

 何かしらの限界を迎えた様だ。

「あんなにいじめなくても……」

「だって戦部リアクション面白いんだもん、仕方ないだろ。あいつ可愛いよなあ」

 吊り上がる室実さんの口角は、俺やひよりさんを弄る時のそれと同じだ。

「驤一は、まだ気になってる?」

 ミラが居なくなって、室実さんはいつもの様に俺の名前を呼ぶと、外区を指差しながら言う。

「気になってるって?」

「外区の事」

「ん? 別に何とも……何で?」

「憶えてない? 七年前、驤慈さんと一花さんが殉職したって聞いたら、驤一、あっちに行くんだってずっと言ってたから」

「ああ……」

 室実さんに言われて、回想する。

 何でもない一日だった。何でもない朝が、両親を見た最後だった。

 いつもと変わらぬ昼下がり、突如として独立を宣言し、武力行使を始めた大地世界。

 彼等の主張する世界線を中心に、当時の皇都西十七番街から十九番街は混乱に陥った。

 その鎮圧活動から前線に立ち続け、一度も家に帰る事のなかった二人は、皇都分断作戦中に殉職した。

 室実さんやひよりさんだけでなく、両親に連れられて出会う大人は口を揃えて両親を褒めていた。

 凄く強いんだとか、凄く優秀なんだとか。

 だから、そんな両親が死んだのは納得出来なかった。

 それは、当時だけではなく、時間を重ねれば重ねる程に思う。

 たかだか宗教団体が武装したくらいの出来事で、両親が死ぬだろうか。

 この学院に入って、更に想いは強まる。両親を知る人から聞かされる話は、どれも両親が防衛庁防衛局の中でも卓抜していたというものばかりだ。

 だから、納得がいかない。

 だから、俺はあの場所に行くのだ。

 両親の死には、何か他に理由があるのではないか。

 当時から、あの事件の最中から、この国は、あそこに何かを隠しているのではないか。

 外区に行く度、外区で想定外に遭遇する度、その懐疑の念は深まっていく。

「子供の時だったからね。外区に行けば、親父と母さんに会える気がしてたんだよ。はは、単純だろ」

「私にとっては、驤一はまだまだ子供だからね。驤慈さんや一花さんの代わりに遊んであげたり、宿題見てあげてた頃から変わらないよ。私もひよりも、まだまだ驤一が心配なんだ」

 室実さんは、優しい目をして、俺を見る。

「室実さん、俺ももう十九だよ。流石に大人になったさ」

 外区に行って、俺は、多分きっと大人になった。

 同輩達が訓練で駆動式のターゲットを撃ち抜く中、命に向けて引き金を引いている。

 けんじゆうのグリップを握る時間と、ボールペンを握る時間とに相違がなくなって、人をあやめる事にも抵抗がなくなってきた。

 意外な事に、最初の瞬間を憶えていない。

 ただ、自分が想像していたよりも容易たやすく人命が絶えていくんだな、とごとの様に思った。

 両親が死んでから、やはり俺は欠落したらしい。

 多分俺はもう、室実さんやひよりさんの知っている酒匂驤一ではない。

 そのくせ、世話を焼いてくれているこの人達を、傷つけたくないと都合の良い事を考えている。

「両親の事は受け入れている。今俺が防衛庁防衛局を目指しているのは、親父と母さんみたいに、この国を守りたいって思っているからだよ」

 だから、俺は噓を吐く。

「そっか」

 言いながら、室実さんは外区の壁を見つめる。

 七年前に完全に放棄されたその先を。

「室実さんとひよりさん、学生なのに作戦に参加してたんだろ?」

「私が作戦に参加したのは、最初だけ。大地世界が独立を宣言した時、たまたま私とひよりは当時の西十八番街にあった演習場に居たから、そのまま数合わせで鎮圧作戦に駆り出されたの。まあ、数合わせって言っても、作戦に参加した学生は私とひよりとあと友達一人だけだから、私等が超天才だって話になるんだけどね」

「三回生の時だっけ?」

「そう、あんたの一個下の時。突然だった。私等は、普通に授業をしていただけだった。本当に、突然」

「でもすごいよ。今でこそ歴史の出来事として俺達はそれを認識しているし、今は衛学ではそういう事態を想定して授業をしているけど、室実さん達の頃は違うだろ? 大戦の時も含めて、領土内で戦闘行為が行われた事のない国で、突然実戦に駆り出される胸中なんて想像出来ねえよ」

「その中で成果を挙げちゃう辺り、天才過ぎるよね」

「自分で言う?」

「言うよー。その時の成果もあって、四回生終わって防衛庁に特進したからね。驤一、来年だよ。私等を越せないよ」

「越せる気しないし、越す気もしないし」

「何だよーやる気出せよ。まあ、別にいいんだけどね。私等の技術も、あんたの技術も、全部全部びるのが一番いいんだ。私等が学んだ一切は、使われない世界でいるのが、一番」

 室実さんは笑いながら言った。

 到底笑ってはいられなかったはずの当時を、俺は知らない。

 ただ、そういう修羅場を潜った人の言葉だから、重みがあったし、だからこそ、大切な室実さんのそういった大事な思いを、心底踏みにじっている自分の行動に、心が暗然とする。

 それでも、俺は行く。

「そろそろ集合時間。行くよ驤一」

「うん」

 あの場所に、行かなければならない。

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