第七章
第25話 月夜の密会①
「痛い……脇腹に響く……」
「もう少しだから頑張ってね戦部さん」
「春ちゃん乗り心地悪い」
「運んであげてそれ!?」
「お姫様抱っこにしよう」
「恥ずかしいよ!」
激戦の負傷に
ミラは
なので、折野のバックパックは俺が背負うはめになった。
時刻は零時目前。光のない外区の景色は、月明かりの星空に照らされて今日も不気味だ。
満天の星を上回る景色を映し出す皇都ではお目にかかれない
あの国の中では、到底目にする事の出来ない星空。
夜を眠らないあの街では、決して見られない。
俺達が、独り占めしている光景だ。
そう信じて止まなかった上空は、実際のところ、あの出自不明の彼等も共有していたし、俺の隣を歩くトーコも、現在進行形で目の当たりにしている。
結局俺達は、足早にあの場を去った。
あいつらの仲間が来ないとも限らないし、その中でミラが戦力として考えられないのは痛手だからだ。
この世に在らざる光景はしっかりと目に焼き付けたけれど、結局のところ
「だって、春ちゃんがお姫様抱っこしてくれたら、トーコを負んぶ出来るじゃない! 頑張ってよ春ちゃん!」
「何で!? トーコさん自分で歩いているだろ!?」
「春ちゃん分かってないなー! 女の子には色々あるんだよ! ね、トーコ」
いつものノリで騒ぐ二人に、突如トーコが巻き込まれる。
「え、あ! だ、大丈夫です! それに、ミラさん大怪我してるかもしれないんですから、負んぶなんて……私、どこも怪我してませんし」
「いやあ、お客様だからね。丁重に扱わないとと思って。あと、ミラで
「あ、す、すみません……」
元来た道を戻るここまでの間に、分かった事といえばそれだけだ。
トーコという名前と、先日誕生日を迎えた十六歳で、ミラと同い年である事。
そして、トーコが、外区の向こう側、大地世界から来たという事。これだけ。
ただ、それだけの情報も、ミラが居なければ引き出せなかっただろう。
衛学の中でも、年齢、学生、教官を問わずコミュニケーションを取る事に
恐らく皇都外の血がそうさせるのだろう。その分け隔てなさは、ここでも遺憾なく発揮された。
トーコが何を知っているかは分からない。けれど、聞きたい事は山程ある。
それでも、ここまでの帰路が当たり障りのない時間になったのは、四人の誰もが、状況の整理に追い付かないからだ。
あの場を離れれば離れる程、あの時間から時が経過すればする程、非現実的だった光景に対して思考が巡る。
到底受け入れられるようなものではなかった。
今までの人生をひっくり返す様な、常識を崩落させる様な、そういう体験だった。
ただ、現実にあの熱や緊張感を目の当たりにしたものだから、そういうものであったのだと理解するしかない。
どうしようもない現実を拒否する
だから、俺達の思考が追い付かないのは、あの光景に対してではなく、これからどうするか、についてだ。
好奇心が
トーコに対して
何を聞けばいいのか、何から聞けばいいのか、誰にも分からない。
そうやって、無言に近い時間を過ごして、俺達は特区へと戻る下水路への入り口に戻って来た。
「戦部さん、ちょっと降ろすね」
「優しく! 優しくしてね!」
折野は背負っていたミラを降ろすと、建物の中に隠した
「取り
「無理。脇腹めっちゃ痛い。着替えさせて」
寝転んだまま手を横に振って痛みを訴えるミラ。
「お前、来た時は
「背に腹は替えられない! で合ってる?」
「合ってる合ってる」
適当にあしらいながらミラの着替えを始める。
腰に付けたホルダーとマチェットを取り外す。
「ミラ、タンクトップ脱がすけど、トーコにやって
「大丈夫大丈夫。スポブラだから、春ちゃんしか興奮しないし」
「人のフェティシズム断定しないで貰えますか!?」
すかさず折野が自身のカバーをする。素早い。
俺は引っ張り上げる様にタンクトップを脱がす。
小振りな胸部を覆った黒い布と、星空が照らす白い肌が
痛みで脂汗が浮かぶ肌は、特異な
引き締まった体はその胸を筆頭に余分な脂肪がなく、きめ細やかな肌質も
そんな白い肌の左脇腹が、ドス黒く変色している。
大きな黒い
「うわー、お前これ絶対折れてるわ」
あまりの惨状に思わず声が漏れてしまう。
「やっぱり!? やっぱり折れてるよね!? そういう痛みだったもん!」
「戦部さん静かにして。バストバンドないから、包帯できつめに縛っておくね」
折野は手早く包帯をミラの腹部に巻き付ける。
「顔はどうする?」
「巻く」
「下は?」
「着替える」
骨折箇所の処置を終えると、折野はミラに上着を着せ、左目を覆う様に包帯を巻く。
その後コンバットパンツとタクティカルブーツを脱がせると、そそくさと着替えを済ませる。
その間されるがままで
折野は良い親になる気がする。
子供が悪事を働いた場合は想像したくないが。
「折野看護師、流石だな。肝心の下がスパッツだったのが残念だったが、むしろお前にとっては丁度いいか」
「何で驤一先輩まで僕をスポーティーな嗜好にさせたいんですか!」
「ノリ」
適当に折野を
「さて、何から話せばいいやら」
無理矢理にいつもの空気感で会話を続けているものの、いつかは切り込まねばならない事だ。
俺に合わせて、トーコと折野も腰を下ろす。ミラは相変わらず寝転んだままだ。
トーコは不安そうな目を俺達とは決して合わせない。
致し方のない事だ。
この場にすら、無理矢理連れて来た様なものだ。あの場に残るという選択肢がなかったとはいえ、見ず知らずの三人の中に放り込まれたのだ。
あの場では多少話せたとしても、今は俺達同様、何から何まで整理がつかないのだろう。
だから、腹を割るなら、こちらからだ。
コミュニケーションにおいて、最も愚直な
「取り敢えず、俺達の事から話すよ」
俺は、トーコの顔を見て言った。
視線をミラと折野に向けると、二人もそれしかないといった表情をしている。
これしか、ないのだ。
トーコに視線を戻すと、いつの間にか、顔を上げて俺を見据えていた。
俺達と似た様な表情をしていた。
覚悟を決めた様な、そんな顔。
「ちょっと待って下さい」
そんな目をして、口を開く俺を制止した。
「すみません、先に謝ります……その、皆さんは、私に何か聞きたくて、それで、ここまで私を連れて来たんですよね?」
心底肩身が狭そうな声色で、トーコは俺達に尋ねる。
「ん、そうだけど、そんな構えないで。何も取って食おうって訳じゃねえんだ。俺達が聞きたいのは、本当に─」
「いえ、だから、その、すみません……」
トーコは
「私……何も知らないんです。多分、皆さんが知りたい事なんて、一つも……」
満天の星だけが見守る月夜の密会は、静かに幕を開ける。
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