第十一章

第36話 指切りの約束

「もしもし驤一先輩ですかー?」

「お前が番号の呼び出しを間違ってなけりゃ俺だ」

 六限までの授業を終え帰宅した俺は、夕食を済ませベッドで横になっていた。

 ミラからは夕食を終えてからトーコを帰すと連絡があったので、一日振りの一人の時間。

 そんな折の電話だった。時刻は午後十一時半。

「トーコ外に出すのお前の考えらしいな? ミラから聞いたぞ。何考えてんだ?」

「それについて電話しました。今日は本当に疲れました」

 電話の向こうで、折野はおおためいきを吐いた。

「実は今日、戦部さんとトーコさんを尾行していたんです」

「はあ?」

 想定外の言葉にとんきような声が出る。

「どういう事だよ?」

「いえ、トーコさんの事を信用していない訳ではなかったんですが、もしかしたら、と思って。お昼からミラさんの家に行くまでの間だけですが、何か外部に連絡を取ろうとしたりとか逃げ出そうとする素振りがないかを見ていました。後は、実は皇都の事を知ってるんじゃないか、とかね」

「で、結果は?」

「白だと思いますね。一日では分かりませんが、そんな素振り一切ありませんでしたし、只管ひたすら皇都の街に面食らっている様子でした。あ、そういえば、今日の買い物って驤一先輩のベッド貯金ですか? 結構使ってましたよ」

 最後の言葉も気にかかったが、それ以上に折野の行動力に驚嘆する。

「お前色々と怖えな。らしいっちゃあらしいけど」

「トーコさんは僕達の目的上、確かに重要な存在ではありますが、その分僕達の弱点でもあります。兎に角、皇都の中でトーコさんをかくまい続けるのも難しいでしょう。外出こそ何とかなるかもしれませんが、何かのきっかけで中央庁関係の施設の厄介になった時にこの国に存在しないトーコさんの事がばれてしまえば、僕等もろともお仕舞です。それこそ病気になった時などに打つ手がなくなります。皇都にある病院は全て国営で身分証の提示が義務付けられています。風邪程度ならば良いですが、大病や大きな怪我をもししてしまったら……」

 確かにそうだ。

 この世に居ないはずの人間を匿う事は、容易ではない。それこそ、昨日の様な状況では職務質問の一つで追い詰められてしまう。

「確かに、何か考えないとな」

「はい、考えましょう。明日あした驤一先輩の家に集まりましょうか。時間は……学校もあるので、夜でどうでしょう?」

「分かった。俺も授業あるから、二十一時半だ。二十一時半きっかり。ミラにそう伝えておけ」

「うん? わ、分かりました。二十一時半きっかりですね」

 独自の時間感覚を持つあの女には、そう伝えないとだめだ。

「それじゃあ、また明日」

「あ、折野」

 今日一日頭を回っていた言葉が、今も耳鳴りみたいに響いている。

「お前さ、もしも俺が死んだらどうする?」

 似合わない馬鹿みたいな台詞せりふを、また言ってしまう。

「はい? 何ですかそれ、心理テストですか? それとも驤一先輩、構ってちゃんだったんですか?」

 朝と同じ台詞には、朝と同じ返答がなされた。

「いや、違えよ。何となく。朝ミラにも聞いたんだ」

「やっぱり構ってちゃんじゃないですか。ちなみに、戦部さんは何て言ってました?」

「ムカつくって」

 今朝の返答をそのまま伝えると、少し間を置いて、びりついた音声が耳をつんざいた。

「あははは! はは! 戦部さんらしいですね、あはは!」

「何笑ってんだよ。そんなにおかしいか?」

「いえ、そうじゃなくてですね……あはは、まあいいです。僕も同じにしておいて下さい」

「はあ?」

「それじゃあ」

 折野は何を思ったのか、一方的に電話を切った。

 携帯をソファーに放り投げると、ベッドに寝転ぶ。

 雲をつかむ様だった折野の態度が気になって、天井を見てほうける。朝から色々考えていたからか、脳みそがどっと疲れた。

 まぶたを閉じたところで、玄関チャイムが鳴る。エントランスのインターホンではないから、来客の想像は容易たやすい。

かぎ開いてるよ」

 体を起こしながら言うと、扉が開く。そこには、トーコが立っていた。

 紺のスニーカーにカーゴパンツ、それにボーダーのトップスを合わせ、リュックを背負ったで立ちで、マリンキャップをかぶっている。

 家を出た時と違う服装だ。折野の言っていた買い物の一部だろう。

 そして、一番変わったところと言えば、肩まであった髪の毛がばっさりと切られている。

 ショートカットに変わっていた。

「た、ただいま」

「おう、おかえり。ミラは?」

「マ、マンションの前まで、送ってくれた」

「ん?」

 トーコの態度がどこかよそよそしい。

 雰囲気が重いというか何というか。

 トーコは靴を脱いで部屋に入ると、ソファーに座った。

「服、買ったのか?」

「はい……ミラが選んでくれて。あの、お金ありがとうございました」

「ああ、気にすんな……髪の毛切ったんだな。似合ってるよ」

「えへへ、ありがとうございます……」

 ぎこちなく笑うトーコの様子がおかしいのは明白だった。

「今日、楽しくなかったのか?」

「あ、あの!」

 トーコは一転表情をしく変えて、俺の目を見る。

「そこ! 座って!」

「え? あ、ああ……」

 言われるままにソファーに座ると、トーコも俺の隣に、ほとんど距離を取らずに座る。

「ジョー君って、いつまで生きられる?」

「はあ?」

 大凡おおよそ予想だにしなかったその言葉に反応が遅れる。

「そりゃお前……この国の平均寿命的に……」

「私は、分からない」

 俺の返答を待たずに、トーコは続けた。

「多分だけれど、私は、あとちょっとだけ」

 強い表情で、続ける。

「研究所の人達が言ってたんだけどね、〝上手に造れなかった子〟は小さい頃に死んじゃうんだ」

 当時を思い返すように、寂しげなひとみをするのに、語気は弱めずに、トーコは口を開く。

 突然の話に動揺は収まらないが、トーコの表情を見て、話を止めるなんて野暮は出来なかった。

「研究所の人達は、〝上手くいかなかった〟って言いながら、死んじゃった子達の体をどこかに運んでいった。昨日まで布団の中で一緒に本を読んでいた友達が、次の日の朝には隣で動かなくなってるの。そうやって沢山友達が死んで、悲しくて悲しくて。研究所の人達が〝上手くいかなかった〟って言って、どんどん、死んでいくの。一緒に生まれた友達も、私より早く生まれた人達も、私より後に生まれた子達も、死んでいくの」

 自分も、死の瀬戸際に立たされた事は幾度もある。幾重にも張り巡らされた死線が作る修羅場を、紙一重で潜り抜けて来た。

 でも、そんな状況とは全く違う。

 俺は自らの選択で、その場に居る。でも、彼女達は違う。

 選択の余地もなく、ただ、放り出される。

 いやおうなく、そのらくいんを生まれた時に押されている。

「研究所の人は、〝上手に造れなかった子〟は直ぐ死んじゃうけど、〝上手に出来過ぎた子〟も長生き出来ないって言ってた。現に、能力が強力だったりした子は、皆に褒められてたけど、死んでしまった。じゃあどういう子が生き残るのか。私の髪の毛を切ってくれていた友達は、耳が聞こえなかった。私と同じ部屋に居た、弟みたいな子は、味覚がなかった。同じ部屋の妹みたいな子は、いつも言葉足らずだった。そういう子を見て、研究所の人達は、〝少し失敗したから大丈夫そうだ〟って言ってた」

 トーコの話に、鼓動が速まる。

 夜中の言葉が、頭を巡る。

 目の奥が、ひりつく。

「そういう子達で、大体十五年から十八年くらい。今までの事例ではそれくらいで、私達の世代からはもう少し延びているかもしれないけれど、大体それくらいだって言ってた。そんな中で、私は、〝特に問題のない状態で、十六歳になった〟」

 問答無用に放り込まれる袋小路で、逆さまにされる中身の見えない砂時計。

 トーコは、そういう状況だという事だ。

「お前、それって……もう、いつ死んでもおかしく─」

「うん。今直ぐにでも、私は死んでしまうかもしれない。皆段々弱っていったから、まだ大丈夫だとは思うけれど、いつ症状が出るかも分からないし、症状が出ずに倒れる事だってあるかもしれない。私は、私達は、そういう〝造り〟をしている」

 つまりこの子は、そういう事だ。

「私は、生まれた理由も分からず造られて、人の都合で苦しめられて、死にたいと思って……それでも、やっぱり生きていたいと強く思っても、もう、行き止まりは決まってて」

 一度落とされた絶望からい上がったにもかかわらず、もう一度落ちる事は最初から決まっていて、それでも、この子は生きて、生きて、そして笑っていたのだ。

「だから、あの日は我武者羅だった。外に出られるかも。そう思った時には、外に飛び出していた。只管走って、逃げて、そして、ジョー君に助けられて……だから、研究所の外に出てから、全部が幸せ。今こうして、誰の監視の目もない中おしやべりしているのが、とても幸せ。暖かい布団で寝て、温かいご飯を食べて、友達と買い物に出かけて、ただいまと言ったら、お帰りと言ってくれる人が居て……私は幸せ。皆にとってはさいな事でも私には良かったの。最高に幸せ。そんなぜいたくの中で、私は思った」

 頭の真ん中が、熱持つのが分かる。

 俺と同じだったと言ったこの子は、俺なんかとは、似ても似つかない。

「研究所の中に残っている子達を助けたいって、そう思った。逃げ出した時は必死でそんな事考える余裕もなかったけれど、私と同じ境遇の皆を、助けたいと思った。でも、私一人の力じゃどうしようもないからっ……それなら、私を必要だと言ってくれた皆ならって。だから、今日ミラに言ったんだ。私の事を手伝って欲しいって。私も、皆の為に頑張るから、ミラも、私を手伝ってって」

 返答なんて、聞くまでもなく分かる。

 ふらつきそうなくらいに熱くなった頭でも、それくらいは分かる。

「ミラは何て言ってた?」

「私に任せてって、言ってくれた。だからね、ジョー君」

 それくらい分かるから、だから、俺が言う事も決まっている。つばを飲み込むと軽く痛い程渇いたのどを鳴らして、答える言葉は決まっている。

 相変わらず俺はまかせの甘ちゃんかもしれないけれど。

「昨日よりわがままだけれど、言うね。ジョー君も、私を手伝って。私の事を助けて。私と皆の事を、助けて欲しいの。だから、だからね、ジョー君、生きていて。私もジョー君を手伝う。七年前の真相を暴こう。だから、一緒に生きていよう。一緒に、頑張って生きていよう」

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