2-4 外来種

「黒ずくめの男……?」



 裾花ダンジョンでの調査を引き揚げたイサナとリコは、別のところへ「魔界の穴」の対処へと出かけていた美谷島と金箱と合流し、裾花川沿いの中華そば屋「ふくや」へと食事に来ていた。


 チャーシューで表面が埋め尽くされた「夜泣きそば」が運ばれてくる。醤油ベースの香ばしい香りが立ち昇った。美谷島に言わせれば、これは「ラーメンではなく中華そば」だということらしい。



「それはやはり、『モグラ』の一味か?」


「……わからないけど、多分違うと思います」



 その美谷島の問いに、イサナは割り箸を割りながら答えた。横からリコが顔を挟む。



「ケンカ吹っ掛けといて、途中で帰っちゃったもんね。なにしに来たんだろ?」


「それに、『特能者』でもなかった」



 そして、なんらかの方法でイサナの『魔神の拳』を封じ、体術でこちらを圧倒した――



「能力を封じる能力って可能性もあるよね」


「だとしても、目的がわからんな。まるでこちらを試すような……」



 美谷島とリコのやり取りを聞きながら、イサナは無言で麺を啜る。先日の竜骨ラーメンとは対照的に、柔らかい旨味が口の中に広がった。



「……美味いっすね、これ」



 醤油ベースだがまろやかで、脂身の乗ったチャーシューは柔らかいがしつこくない。派手さはないが、さすがに長年地元に愛される味、というところか。



「豚骨やら背油やら、ラーメン屋はやたらと増えたけどな……個人的には、ああいう外来種にこういう地元のラーメンが押されるのは忍びない」



 長野市では一時期、ラーメン店の出店ブームが起こったことがある。行列のできる人気店が出来たのを皮切りに、地元マスコミが流行を煽り、旧オリンピック会場を使って開催された「ラーメン博」には数万人を動員し、「ラーメン激戦区」と一部では話題になるほどだった。


 現在ではブームはひと段落したが、それでも美味いラーメン店の情報は地元民の話題のタネである。都内へと進出していくラーメン店も多い。



「外来種か……」



 イサナは湯気を顎に当てながら呟いた。



「……ダンジョンにとって、俺たちは外来種なんですかね?」



 美谷島とリコが麺を手繰る手を止めた。



「それを言うなら、ダンジョンだってこの街にとっては外来種じゃん?」


「……それは、そうかもしれないけど」


「いずれにしろ、市民にとっては身近な危険でしかない。対処と調査は必要だろうよ」


「……個人的には」



 美谷島の横で黙って麺をすすっていた金箱が、突然口を開いた。



「……ダンジョンにあんまり深入りするのは、どうかと思う」


「金ちゃん、韻、踏んでないよ」


「……」



 再び黙ってスープを飲み始めた金箱を見ながら、イサナは昼間出会った「黒づくめの男」のことを思い出していた。


 少なくとも、あの男が自分達を歓迎していたとは思えない。あれが『モグラ』の一味であったとしても、そうでなくても――ダンジョンに人の手が入ることを快く思わない人間は、確かにいるということだ。


 無理もないことだと思う。


 今回の事の発端である「竜骨ラーメン」が、実際にドラゴンの骨を使っているにせよ、そうでないにせよ――ああいうものが出てくるということ自体、人間がダンジョンをも喰い物にしようというしたたかさの表れだろう。そしてそれは、ダンジョンの生態系を破壊する、ということなのかもしれない。


 そうでなくても、調査捕鯨船に体当たりを敢行するような過激な環境保護活動家がいるご時世だ。今後、長野市役所ダンジョン課は、そういう現場の最前線にあたることになる可能性がある。


 ましてや――ダンジョンの中には「先住民」たる『モグラ』がその権利を主張しようとしているのだ。



「ダンジョンがもっと、のものだったら、話はわかりやすいのかもしれないけど」


「……それじゃ、坂上と同じだ」


「でもさぁ、政治的な話はあたしたち地方公務員の手には負えないよ?」



 リコと美谷島のやり取りを聞きながら、イサナはチャーシューに齧り付く。金箱は既にスープを飲み干していた。


 * * *


「このタイミングで、ですか……」



 その頃、ナナイは市役所内の部長室で増田と対峙していた。その手には、「魔界生物の生物学的調査に関する中間報告」と題するレポートが握られている。



「……この件、なぜ今まで表に出て来なかったんです?」


ドラゴンの標本など前代未聞だ。検証にもその結果の扱いも、慎重になるのは当然じゃないかね?」


「しかし……」


「不満かね?」



 ナナイはしばらく、レポートの文章と増田の顔とを交互に見比べたあと、はっきりと口にした。



「……不満というより、恣意的なものを感じます。このタイミングで……ドラゴンなんていうレポートが出てくるなんて」


「……出てきたものは仕方ないだろう」



 増田はナナイから目を背けるようにして、椅子を回した。



「部長!」


「ひっ!」



 直後、デスクに手を突いて身を乗り出すナナイに気圧されて、増田は情けない声を挙げる。



「……仕事は仕事、不満を言うつもりはありません。ですが……」



 背もたれにうずもれていく増田に、ナナイはメガネの奥の鋭い視線を向けた。



「教えてください。市は一体、ダンジョンをどうしようとしているんですか? 我々のミッションはなんなんですか?」


「……それについては、僕の方から説明しましょ」



 不意に、背後から聞こえた別の男の声に、ナナイは振り返る。そこには、口ひげを湛えた小柄な初老の男が立っていた。



「市長……!」



 増田が慌てて立ち上がる。そこにいたのはまさしく、長野市長・和田ツトムその人だった。



「瀧沢くんとは久しぶりだね」


「は、はい……!」



 ニコニコと笑う和田に、ナナイは頭を下げながら、上目遣いで和田とその後ろの扉を見た。ドアが開く音も、入ってくる気配も感じなかった。なのに、この市長はいつの間にこんな近くまで――



「まぁ、楽にしてよ……っしょっと」



 和田は部長室の手前のソファに腰掛け、ナナイたちにも座るよう手で示した。促されるまま、ナナイと増田もその正面に座る。



「さて、と……。増田君は既に知っていることだが、一緒に改めて聞いてもらおうか。これからの『ダンジョン課』の働きだけでなく、自治体全体の……ひいては、国の行く先を決めるかもしれないことでもあるからね」



 和田はニコニコとしていた顔を急に引き締めた。彫りの深い顔立ちが露わになり、ナナイは一瞬、魔獣と対峙している時のような「圧」を感じた。


 和田の口ひげの下から、言葉が発せられる。



「『魔界土地経済特区』構想……またの名を、『ダンジョン土地私有解禁法』についてだ」


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※ふくや……ラーメンというよりも中華そば、または夜泣きそばと呼ぶのが正しい。かつては長野市立図書館下にも店舗があった。

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