2-3 闇の中にいるもの

「とりゃぁっ!」



 イサナが気合いと共に「魔神の拳」を振るい、犬の頭をした2足歩行の魔獣を打ち倒した。そのまま裏拳を返し、周辺に何匹かいた個体を薙ぎ払う。殴られて吹き飛んだ犬頭鬼コボルドの後から、赤い毛並みの狼のような魔獣が躍り出る。



「のわっ!」



 「魔神の拳」を振り切って無防備な体勢となっていたイサナはそれに対処することができず、魔犬ヘルハウンドにのしかかられるような形になって押し込まれる。



「う……っ!? 熱い……!?」



 魔犬の吐き出す息がイサナの顔にかかり、なんとも形容のしがたい匂いと高温がイサナの頬に叩きつけられる。



「イサナ君!」



 横合いからリコが、ノズルを伸ばした散布機のような器具を向ける。



 バシュッ!



 ノズルの先から、魔犬に向かって対魔獣用殺菌消臭剤ファブリーズの噴霧が放たれた。魔犬は悲鳴を挙げて飛び退り、イサナから離れる。



「大丈夫?」


「……だめだ、さがって!」



 イサナに駆け寄ろうとするリコをイサナは制止した。その時、離れたところに着地した魔犬が、そのあぎとを開く。



「……やっぱり!」



 イサナは魔犬に向け、「魔神の拳」を開いた。



 オォォン!



 魔犬の口から、声にならない吠え声が発せられた。その声と共に、その口から熱波が放たれる。



「きゃっ!」



 少し離れたところにいたリコも、その熱波の煽りを受けて両腕で顔をかばう。イサナの足元にわずかに生えていた雑草が、白い灰となって崩れるのが見えた。


 熱波が止み、リコは顔を上げる。イサナは同じ姿勢で、そこにいた。片膝をつき、右腕を前に突き出し――「魔神の拳」の掌を、敵へと向けて。


 イサナの着るYシャツには、すすのひとつもついていない。目の前に掲げられたその「魔神の拳」の掌の中に、魔犬の吐き出した高熱の息はいた。



「……ぃよいしょぉっ!」



 イサナは立ち上がりざま、突き出した拳を振りかぶり、魔犬に突進する。そしてそのまま、その「魔神の拳」の掌に掴んだ熱波を叩きつけるように、魔犬へと平手を打ちおろした。



「……すごいね、その能力」



 周囲の魔獣が片付いたのを確認し、リコがイサナへと歩み寄りながら言った。



「使える局面は限られてるけどね」


「それがあれば、それこそドラゴンとでも渡り合えるんじゃない?」


「どうかなぁ……遭ったことないし」



 イサナはそう言いながら、焼け焦げて倒れた魔犬ヘルハウンドの身体を「魔神の拳」の指先で貫く。



「おお、でかい」



 イサナが取りだした「混沌晶体カオスキューブ」を見て、リコが喜びの声を挙げた。



「それがあれば完成するかなぁ、新システム」


「上が使わせてくれればだけどね」


「それよねー」



 ため息混じりそう言いながらリコは、タブレットを開いて記録をつけていく。この「蒼の平原」の区画で出会った魔獣は、犬頭鬼コボルド魔犬ヘルハウンド、あとは名状しがたい形状の小型生物――生物になり損ねたような形のまま蠢いている有機体のもので、毛が生えたり、鱗がついていたり、脚が一本だけついていたりする――くらいだった。



「とりあえず、『裾花ダンジョン』周辺の魔獣の分布はある程度わかってきたけど……やっぱりこんなの、キリがないよ」



 タブレットに展開したダンジョンの地図と、魔獣の分布状況を眺めて、リコがボヤく。



「けどさ、やっぱりそこまで大型の魔獣はいないよね?」


「そうねぇ、一番大きなものでも、牛頭人ミノタウロスくらいだったかな。瘴気が薄いと、消費カロリーの大きいやつは動けないんだと思うのよね」



 つまり、第三階層から下へいけば、もっと大きく、強力な魔獣がいるのだろう。


 ダンジョンの第二階層も、入り口から離れると、先ほどの魔犬ヘルハウンドくらいの魔獣も出てくる。しかし、第一階層では魔獣は減り、その凶暴性も薄れていく。「入り口」に近くなればより瘴気は薄くなり、その周辺にいる魔獣は地上の動物程度のものになる。


 だから普通に考えて、一般人が「ドラゴンの骨」など入手できるわけがないのだ。ダンジョン課でさえ、把握しているのは第二階層の一部分までに過ぎない。それくらい、「魔界」は広大な土地だった。



「……じゃ、やっぱり地上に現れたドラゴンって……」



 ――イサナもリコも、知っていた。


 強力な魔獣が、ダンジョンの浅い階層にも現れ得る可能性を。


 『モグラ』――視察に訪れた衆議院議員・塚田ゴウジを襲撃した、ダンジョンに住む人間たち。彼らの多くは「特能者」であり、その内のひとり、ユウと呼ばれる女は魔獣を意のままに使役する力を持つ。


 もし彼らが、第一次裾花ダンジョン事件のころから暗躍していたのだとすれば――



「やっぱり気になるよね」



 なにより、『モグラ』の中には、イサナの幼馴染、ミヤビもいるのだ。


 人間である彼らと、どう渡りあっていくのか。いずれ決めなくてはならない時が迫っていた。



「……?」



 リコがふと、足を止めた。



「どうしたの……?」



 イサナは振り返ってリコを見――そして、その視線の先を見た。


 黒い影が、そこに佇んでいた。


 天井の低い、広めの部屋のようになった場所だった。その部屋の中央の、暗闇の中に、その人影があった。



(魔獣……じゃない)



 魔獣であれば、特能者であるイサナがその瘴気を感じるはずだ。目の前の人影からはそれを感じない。だとすれば――



「……『モグラ』か!?」



 イサナがそう声に出すと同時に、影が奔った。一瞬で、イサナとの距離を詰めて目前に迫る。



 ガッ!



 咄嗟に身を捻ったイサナの肩に、その影の放った拳が突き刺さる。



「くっ……!」



 さらに動く気配を感じ、イサナは身体を逸らした。影の放った蹴りが鼻先を掠める。体勢を整えるよりも速く、影はイサナの眼前から姿を消し、横へと奔っていた。


 ――と、再び影がイサナの眼前に迫った。



 ドムッ!



 上段に放たれた拳を避けたつもりが、次の瞬間、腹部に拳がめり込むのをイサナは感じていた。



「くっ……!」



 そして次の瞬間には、再び影の中に溶け込んでいる。その人物は黒い道着のようなものを着、頭からも黒いものを被っているようだ。スピード以上に、闇に溶け込むその装束が距離感やタイミングを掴ませない。リコが手元のマグライトで影を照らそうと試みるが、影はその光をも巧みにかわし、奔る。



「くそっ……!」



 イサナは『魔神の拳』を出現させた。右腕を身体の前に構える。


 ――と、『魔神の拳』を見たその影が足を止める。動きに追いついたマグライトの光の中で、影はその両の手を組み――漫画に登場する忍者のように、印を結んだ。



「……アーク」



 男が呟くように言葉を発した瞬間、イサナは全身の力が抜けるのを感じた。



「……え?」



 ふらつく足元を踏みとどまり、相手に向き直って再び構えた時――イサナの『魔神の拳』は消えていた。



「……イサナ君!?」


「なんだ、これ……?」



 もう一度『魔神の拳』を使おうとしても、なにも出ない。イサナの身体の中にあるスイッチが、接続を遮断されたかのように反応しなくなっていた。


 影が、印を結んでいた両手を解き、腕をだらりと下げた。そして、次の瞬間――



 ――ヴンッ!



 影が奔り出すタイミングを掴めないまま、イサナは地面に組み伏せられていた。



「ぐぁぁっ!」



 腕の関節をぎりぎりと締めあげられ、イサナは悲鳴を上げる。



「このぉっ!」



 リコが横合いからノズルを構え、薬剤の噴霧を放つ。しかし次の瞬間、男は既にそこにいなかった。噴霧を吸い込んだイサナが咳き込みながら、その場にへたり込む。



「だ、大丈夫……!」



 リコを制しながら、イサナは立ち上がり、男を探す。しかし、部屋の中にはただの暗闇だけが、静かにたゆたっていた。

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