2-7 市長と敵

 長野市・松岡。


 東と南にそれぞれ一級河川・犀川と千曲川が流れる、郊外のベッドタウンである。


 ここ松岡の犀川流域に建つ、ゴミ処理場の排熱を利用した屋内温水プール「サンマリーン長野」は3年ほど前に閉館し、現在は新しい施設へと建て替えが進んでいる。


 来年3月にオープンを控えたこの施設の裏手、犀川の河川敷――ちょっとした林になっているその中にも、「ダンジョン」はあった。


 木々に埋もれ、ちょっとした丘のようになっている地形――倒木が折り重なる中に、直径5mほどの「魔界の入り口」が生まれている。塞ぐには少々やっかいな大きさであり、また人家から離れているため、周辺を立ち入り禁止とした上、「調査用」としてダンジョン課が確保している穴である。



「……で、これからこのダンジョンに入るわけですけども」



 リコが眉をひそめるようにして言う。その目線の前には、イサナとナナイ、金箱、そして――長野市長・和田ツトム。



「本気で一緒に入るつもりなんですか?」


「問題あるかね?」


「ないとでも思ってます?」


「ま、まあまあ……」



 市長に対しても全く物怖じすることのないリコを、イサナが抑える。その後ろでナナイは頭を抱えていた。



「なんでこう、偉い人って現場に来たがるんでしょうね……前ん時もそれでエラいことになったってのに。大人しくオフィスでセクハラでもしててくれればいいんですよ」


「色々と問題のある発言は控えろ、リコ」



 ナナイは前に進み出て、言った。



「とにかく、中は危険なんですからね。それに今日は特に……」


「調査ではないから、と言うんだろう? わかっているよ」



 ここ数カ月間、続けてきたダンジョン内の魔獣分布調査の成果は、わずかながらでもあがってきていた。それを受け、ダンジョン課は今回、「研究用サンプルの採取」に乗り出したのである。


 もちろん、これは先日、ドラゴンの肉が「食用に適する可能性がある」とする研究結果を受けてのものである。なるべく竜に似た魔獣の肉を採取し、極力新鮮な状態で保存、食用の研究を行う――それが今回の目的だった。



「なぁに、自分のことは自分で面倒を見るよ。迷惑をかけるようなことはしない」



 市長はツナギのような服を身に付け、リコから手渡された護身用の武器――殺菌スプレーである――を手に持っていた。



「金箱、市長の傍から離れないように」



 口をヘの字にしたまま、金箱は頷く。その手にはいつものハンドガンではなく、ライフルタイプのモデルガンがあった。魔獣を蜂の巣のするような武器を避けたためである。そのせいか、金箱のヘの字の口はいささか不満げだった。



「それじゃ、まぁ……行きますか」



 イサナが先頭に立ち、一同は入り口からダンジョンへと踏み込んだ。


 * * *


 倒木を掻い潜るようにして中に入ると、急に広い空間が広がっている。河川敷の林の中という外の様子を反映するかのように、一面が苔に覆われたじめじめした空間だった。



「ちょっと奥の方まで行きますからね」



 イサナは右腕の袖をまくりながら言った。この辺りには『蒼の苔原』という呼称がついている。細い通路ではないため見通しはいいのだが、各所に沼が点在するため、幹線を外れると地形がかなり複雑になる。


 ゆるやかな坂を下ったその先、「第二層」に至ると、熱帯雨林のような木々が茂る地帯となり、そこには今回の標的ターゲット――翼のない小型の竜、蜥蜴竜ドレイクが生息していた。



「でもさぁ……この辺りの魔獣ってなんとなく、毒ありそうじゃない?」



 イサナのすぐ後ろ、タブレットを手に、周辺のモニタリングをしながらリコが言う。



「確かに……食用に適するかっていうとアレなような……」


「ワニの肉は淡泊で美味いというぞ」



 リコの後ろからナナイが言った。それを聞いてイサナは首をかしげる。



「でも実際のとこ……ダンジョンの魔獣の肉って食べたいもんですかね……ワニだって微妙ですよ」


「まーねー、毒がなかったとしても、『瘴気』をたっぷり含んでるわけだし、身体にはよくなさそうよね」


「……まぁ、それをしっかりと確かめるための科学調査だ」


「『竜骨ラーメン』は評判になったじゃないか。怖いものみたさが魅力になることもあるだろう?」



 最後尾から和田の声がした。


 イサナはため息をついた。民間で評判になったものにあやかるというのは、行政の常套手段ではあるが――



「……まぁ、ダンジョンの生態系の調査を進めることには賛成ですけどね」



 そう呟きながらも、先頭を歩くイサナはそろそろ「第二層」へと辿りつく。周囲の瘴気が濃くなっていくのが感じられた。


 周囲が木々で囲まれだし、元々薄暗いダンジョンの中がさらに暗くなってくる。


 ――と、イサナは足を止めた。



「……どうかしたの、イサナ君?」



 後ろからリコが声をかける。



「……様子がおかしい」



 イサナの「能力」が瘴気を感じとっていた。しかも、周囲を囲まれている。



「魔獣か?」


「そうなんですが……この辺りに、こんな気配のやつはいなかったはず」



 今回の目的である蜥蜴竜ドレイクは集団で行動するようなことはないし、蜥蜴竜にしては気配が小さすぎた。それに――暴れている様子はあるのに、場所を動かない。そう、まるでなにかに、繋がれているような――



「……ヤバい! 引き返しましょう!」



 そう叫んだ瞬間、が一斉に解き放たれるのをイサナは感じた。



かねさん! 市長を頼みます!」



 イサナは「魔神の拳」を発動させ、一番近い気配のひとつへと駆け出した。


 木々の間、枝葉を潜りぬけたその先――そこにその気配の元、一角兎獣アルミラージがその牙をむき出しにしていた。



「キシャァァァッ!」



 奇声と共に、魔獣がイサナの喉元へ跳びかかる。その首に縄が巻かれ、その先が切断されているのをイサナは見た。それはつまり――



「ぬああっ!」



 瞬間、イサナは思考を切り替え、その腕を振るった。「魔神の拳」による右フックが、一角兎獣アルミラージの頭部を砕いた。



「次っ!」



 振りまわした拳の勢いそのままに、イサナは次の気配の元へと駆け出した。


 * * *


 ガゴォッ!



 ナナイのスリング・ショットから放たれた銀弾が、一角兎獣アルミラージの角を叩き折る。


 その背後では、金箱が手に持ったライフルで一発ずつ、襲いかかる魔獣を確実に撃ち落としていた。


 リコと和田はその後ろに隠れながら、森の入り口側へと下がる。しかし、全方位を警戒しながらでは、そんなに早く移動できなかった。



「リコ! この辺りにこんな魔獣、いたか!?」


「……いえ、そんなはずは……」



 そう、これは事前の調査では確認されなかったはずの種類だ。それが、こんなに多く――


 ナナイもまた、一角兎獣アルミラージの首に巻かれた縄には気が付いていた。



「やはり、情報が漏れていたというのか……?」



 次の弾をスリングに構えながら、ナナイは考えた。しかし、まずはこの局面を脱しなくてはならない。特に、市長はなんとしても無事で帰さなくては――



(ここで危険な目に遭ったとなれば、また市のダンジョン施策が変わることになるか)



 そんな不謹慎な考えが一瞬頭に浮かぶ。



「……ナナイさん!」



 後ろ側から聴こえてきたイサナの声で、ナナイの思考は途切れた。



「イサナ! 何体倒した?」


「4匹。左後方はだいたい排除しました」



 前方を警戒する目をそらさず、肩越しにイサナの答えを聞き、ナナイは頷く。



「市長! 一気に抜けますよ! ついてきてください!」



 ナナイは後方へと声をかけた。それはもちろん、リコと金箱へ知らせるためでもある。


 それと同時に、身体に力をためてタイミングを測る――しかし、ナナイのその試みは意外な声で遮られた。



「……いや、それは不用心ではないかね?」



 え?


 ――ナナイは自分の耳と目を疑った。最後方にいたはずの和田が、いつの間にか隣に立っていたのである。ナナイの後では、同じく目を丸くするイサナがいた。


 と、和田の身体がひるがえった。


 次の瞬間、木の上から一角兎獣アルミラージが2匹、鳴き声と共に落下する。落下した魔獣の額には、苦無くないが深々と突き刺さっていた。



「むん!」



 再び、長野市市長・和田の手が素早く振るわれる。その手から、鈍色にびいろの光の矢が、ナナイたちの左後方へとまっすぐ飛び――


 

 カッ!



 木の中の1本に、苦無が刺さる。その一瞬前、その木から跳び退る影があった。



「……お前であったか、小平こだいらの」


「……さすが和田の跡取りよ。俺の隠形おんぎょう術を見破るとはな」



 小平、と呼ばれた黒づくめの男が答えた。和田はさらに、周囲を見回して声を上げる。



「他にもいるのはわかっている! 姿を見せてくれ! まずは話がしたい!」



 ――と、どこに隠れていたのか、あちらこちらから黒装束の男たちが姿を現した。

 その中のひとり、小柄な男が前に進み出て、覆面を外した。



「……獣を使うやり方はお前じゃないかと思ったわぃ、ヒデちゃん」


「ほっほっほっ、そういう和田っちこそ、技は衰えていないようだの」


「和田っち、って……えっとつまり……?」



 完全に話から置いていかれているダンジョン課の面々の中で、かろうじてリコが疑問を発した。

 ヒデちゃん、と呼ばれた老人が片眉を上げ、言う。



「知らぬのも無理はない。そこにおるお前らの市長は……戸隠流忍術和田派宗家・和田ツトムその人だでな」

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