2-8 市民の声

「戸隠流忍術……?」


「忍者ってこと……?」



 イサナとリコ、ナナイと金箱はそれぞれに顔を見合わせた。和田が、そこへ口を開く。



「……君たちの報告を聞いてな、同門の仲間たちが関わっているのではないかと思ったのだ。それでついて来た。黙っていてすまない」


「誰が同門だ! この裏切り者が!」



 小平こだいらと呼ばれた男が怒鳴った。



「一族の名誉と伝統を、国に売り渡した貴様を、宗家と仰ぐつもりはない!」



 周囲の男たちからの圧力が増した。みな、小平の言うことに同意しているのだろう。唯一、ヒデちゃんと呼ばれた老人だけが、悲しそうな目で和田とイサナたちを眺めていた。



「和田っち……考え直してはもらえんか?」


「……それは話が逆だ。今こそ、我々の技を世に役立てねばならないのだ」



 和田の返答を聞き、老人は目を伏せた。



「我らの意思を見せれば、手を引いてもらえるかと思ったがの……」



 そう言うと老人は背を向けた。



「今日のところは手を引く。しかし、今後は本格的に敵対することになる」



 老人のその言葉を合図として、黒づくめの男たちはそれぞれに姿を消した。


 * * *


「つまり、市長は忍者の里の出身で、彼らはその同門だと……」



 市役所に戻り、ミーティングスペースに一同は集まっていた。先ほどは参加していなかった美谷島も輪に入っている。



上水内かみみのち郡、旧戸隠村。忍者の里として知られる、長野市の重要な観光資源だね。そこが僕の故郷でねぇ」



 市長はお茶を一口飲んで言った。



「市内の高校に通ってたが、いやー通学には苦労してね。なにしろバスが1時間に2本しか……」


「それで、なんでその忍者たちが、我々の妨害に動くんです?」



 和田の昔話をばっさりと遮って、ナナイが問うた。和田はちょっとふてくされたような顔を見せたが、すぐに真剣な顔に戻った。



「……それを話すには、少し歴史の話をしなくてはなるまいね」



 そう言って和田は、お茶のお代わりを要求した。



「戸隠は忍者の里として有名だ。しかし、伊賀や甲賀ほどには活躍の記録が残っていない。それがなぜだか、わかるかね?」



 おかわりの熱いお茶――どうやらリコがわざと熱くして淹れたらしい――を飲みあぐねながら、和田が言った。



「中央から遠く、活躍の機会がなかったからでは……?」


「もちろんそれもある。しかし、もっと大きな理由があるのだ」



 口をつけるのを諦め、和田は湯呑みをテーブルの上に置いた。ナナイがその顔を覗き込み、言う。



「それは……?」


「ダンジョンだ」


「え……!?」



 ダンジョン課の一同は顔を見合わせた。和田は言葉を継ぐ。



「戸隠流は、人を相手とした技ではない。それは魔獣を……いや、ダンジョンを相手取り、魔界で生き抜く術であったわけだ」


「ちょ、ちょっと待ってください!」



 横からイサナが口を挟む。



「それじゃ、ダンジョンってそんな昔から……?」


「ここ数十年で現れたものだと思っていましたが」



 美谷島がイサナの疑問を受けて言った。



「いや、確かにここ数十年はダンジョンが常に現れている状態だけどねぇ。しかし、文献を紐解けばどうやら、過去にもたびたび、現れていた時期があったようなのだ。特に平安の昔には、都にまで魔獣が現れたのではないかと思われる記述もある」


「つまり、その時期に戸隠流が成立したと……?」


「信州の地は元々、山岳信仰の影響が強い地だから。そうした技や知識が、修験道などを経て忍術に繋がったという説がある。この地ではそれが、魔獣と戦う術となったのだね。知っての通り、現代においてもここ長野県北部は、全国でも有数のダンジョン発生地だからね」



 金箱がお茶を飲みながら、ぼそっと「忍術の、記述……」と呟いたが、誰もそれを気に留めなかった。皆が和田の次の言葉を待っていた。



「……ダンジョンが現れ始めたのは、30年ほど前だったか。私は驚いた。なにしろ、口伝で伝えられてきた『魔界』が本当に現れたのだからねぇ。それは仲間たちも同じだったよ」



 和田が口を開き、話を始めた。


 戸隠流を継いだ和田たちは、その技を試すために、何度もダンジョンの中に踏み入ったのだという。もちろん、ダンジョン課などが出来るはるか前のことであり、まだ世間的には都市伝説だったころだ。


 最初の内は、自分達の技、そして伝承されてきた知識が試せることに無邪気に喜んでいた和田たちもだったが、その内にダンジョンは増え、世間的にも認知されるようになっていった。



「それで私は思ったのだ。今こそこの技を、世のために役立てなくてはならないと。だが……その考えは仲間たちに理解されなかった」


「……なぜです?」



 先ほどから真剣に聞き入っていた美谷島が身を乗り出して訊いた。武術家として、思うところがあるのかもしれない。



「忍びの技、知識は一門の外に伝えてはならないとされていたんだね。その昔、魔界は忌むべきものだと考えられていた。その『けがれ』を仕事として引き受ける忍者たちは、一種の賎民でもあったんだ。だからその技術は、独占的でなくてはならなかった」


「そうか……それで『ダンジョン』そのものから市民を遠ざけたいわけですね?」



 ナナイの問いかけに、和田はため息で応えた。



「長い年月の間にその真意が歪み、ダンジョンに対する『穢れ』と『畏れ』の意識だけが根強く残ってしまったんだね。伝承を正しく理解していない者も多い」



 和田はイサナの方を見た。



「例えば、君の『能力』だが」


「え……?」


「戸隠流では、魔獣の肉を食べることで『能力』が発現すると信じられている」


「……!」



 全員の視線がイサナへと集まる。



「イサナ君、魔獣食べたの……?」


「食べてない! 食べてないったら!」


「そう、それは迷信なんだ。特能者については検証が進んだ結果、その可能性は薄いという結論に至っている」



 和田の言葉にイサナはほぅっ、と息をついた。和田は話を続ける。



「時代は変わった。ダンジョンに対しても科学的なアプローチをしていかなくてはいけない。私は仲間にもそう主張し、忍者の伝承と知識、技を提供して科学に役立てようと説得したんだ。だが……ダメだった。それで私は里を出たんだ」


 

 田舎では現在でも、科学や教養よりも民間伝承の方が権威を持っていることがままある。中央の政治や行政、学問に対する不信も根強いのだろう。



「そういえば……市長って確か、『魔界技術開発公社』にいたことがあるって」



 ナナイの言葉に、和田はドヤ顔を見せて言った。



「『瘴気』とかの魔界科学の黎明期に、知識を提供したのは僕なんだよ」



 それで、中央ともその辺りのパイプが強いわけだ――「ダンジョン土地私有化特区構想」などに関しても、そうした事情があって長野市に降りてきたということか。ひとつの謎が解けると共に、ダンジョン課の一同はこの、60がらみの小柄な男に、これまでにない畏怖の念を感じていた。



「里同士がそれぞれに生活していた昔なら、里を守る我々忍者がいればよかったんだがねぇ。現代じゃそうもいかない。ダンジョンという存在は、社会秩序を崩壊させかねない。広大な土地があるという事実だけでもね」



 和田は一息ついて一同を見まわした。



「だからこそ、ダンジョンという存在を社会の中に位置づけねばならない。それも早急にだ。そのために、僕は市長になってこのダンジョン課を設立した。だけどもそれは、かつての仲間たちへの宣戦布告にも等しかったんだね……」



 飄々とした態度を崩しはしないものの、和田の笑顔は哀しみに満ちていた。


 それで、戸隠流の忍者たちはダンジョン課に対し、妨害をしかけてきたというわけか――今までは様子を見ていた彼らを、「竜骨ラーメン」に端を発するここ最近の活発な調査が刺激したのだろう。



「しかし……これは難しい問題です」



 美谷島が身を乗り出して一同を見まわし、言った。



「例えば神社なんかの移設の際にも、住民から反対運動が起こることがあります。地域の伝統や、そこに根付いた心性というのは、無視するわけにはいかないものだ」


「そうだ。地域住民の皆さまの理解を得るのは行政の基本だ」



 抵抗する住民に対し、警察を動員して排除するということも可能だろう。だが、それでは解決にならないのだ。むしろ住民からの反発は増してしまう。それは行政の敗北なのだ。



「そうですね……少なくとも俺、『魔神の腕』で人間殴るのは嫌っす」


「……それに、正直相手にしたくない手練ぞろいだしな」



 イサナと美谷島が、揃って低いトーンで言った。



「だけどどうすんの? 向こうは本気で妨害してくるよ? ダンジョンの中も詳しいし、あの人たち……」


「……相手は忍者、一体何人じゃ……」



 リコと金箱の声も聞きながら、ナナイは和田を見た。


 辛い立場だろうと思う。事なかれ主義に徹して伝統と先例主義を守っていれば、昔の仲間と争うこともない。しかしこの男は、戸隠流和田派宗家としても、市長としても、その責任に立ち向かおうとしているのだ。故郷の、この地方の、ひいては、この国の、これからのために――



「……考えがあります」



 ナナイは唇をしめらせて、言った。

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