2-11 例え魔界であったとしても
「……で、なんで勝っちゃうんですか」
権堂のアーケード街からすこし外れた柳町側の路地裏、居酒屋の座敷で卵焼きを突きながら、リコが言った。
その正面に座る和田は頭を掻きながら恐縮してみせる。
「だってねぇ、僕だって戸隠流宗家としてのメンツってものがねぇ……」
「その宗家ってのが話をややこしくしたんでしょうよ」
手酌で徳利から地元の日本酒「真澄」を注ぎながら、リコが鋭く突っ込む。和田の隣で、部長の増田が冷や汗をかきながら、和田とリコを見比べた。
「そ、曽根原君、市長にそんな物言いは……」
「その市長の奢りって言うから、もっといい店期待してたんだけどなぁ」
「き、君ねぇ!」
増田は思わず声を上ずらせ、リコの隣に座ったナナイに助けを求める。
「瀧沢君、君、部下の教育をだね……」
「はぃい? なんすか部長ぉ?」
既に赤い顔になっているナナイが、肩肘をついて身を乗り出した。
「ああ、遅かったか……」
頭を抱える増田の前で、ナナイは盃を煽った。
「おかみさーん! この『佐久乃花』ってやつ、これうまい! もう一本!」
「あー、あたしもそれにしよっかな」
「あんたはこっちにしなさい! 飲み比べするから!」
長野市役所のトップと実質のNo.2を前に、まったく臆せず徳利を空けまくっているナナイとリコの横で、イサナは苦笑いをしていた。美谷島と金箱は既婚者なので、既に帰宅済みである。
和田はからからと笑いながら、イサナの方に目を向けた。
「君も、私が負ければよかったと思うかぃ?」
「ん……」
イサナは盃を飲もうとして、空になっていることに気が付いた。すかさず、和田が徳利から酒を注ぐ。
「ああ、すいません市長……」
「まぁ、いいからいいから」
なんだかんだ、イサナは平の市役所職員である。さすがに市長から酒を注がれるのは恐縮した。しかし、和田が身に纏う雰囲気に触れると、どうも巻き込まれてペースを持っていかれてしまうのだ。先ほども美谷島が、「これが達人の身に纏う気か」と、感嘆しきりだったのを思い出す。
「……あの場の立ち合いで、嘘はつけませんよね」
イサナが盃を一口飲んで言った言葉に、和田はにっこりと笑った。
「君はまだ甘いな。嘘、奇襲、騙しは
「え、それじゃ……」
「さて、どうかな」
和田は笑いながら、盃を差し出した。イサナは慌てて徳利を手にし、酒を注ぐ。
盃を煽る市長を見ながら、イサナは考えていた。ここ長野市の地は、古くから伝わる伝承などの多い土地である。ダンジョンに限らずとも、そうした古いものと新しい文明との狭間で、今回のようなせめぎ合いが行われてきたのだろう。土地に伝わる古いものは、ただの観光資源ではないのだ。いつだってそこには、人の暮らしが刻まれている。
「それが例え、人に害成す魔界であったとしても、か……」
ひとり呟き、イサナは盃を空けた。
「おいイサナ! 誰が酔って人に害を成すってぇぇ!?」
「あ、課長は害はないけど面倒なんで水を飲んでください」
「ナナイと呼べ、ナナイと!」
増田がナナイを羽交い絞めにして止め始めた横で、リコがけたたましく笑っていた。
* * *
週末があけて月曜日。
ナナイは自分のデスクで顔を伏せ、身動きひとつしなかった。
「課長、どうしたの?」
「美谷島さんたちが帰ったあと、市長相手にやらかしまして……」
「ああ……」
イサナと美谷島が目をやった先で、リコがナナイのデスクにお茶を置いた。ナナイは相変わらず動かない。
「……とりあえず、戸隠流の方は話がついたんだろ?」
「変わらず市長が宗家ってことになりましたが、だからって積極的な協力は期待するな、ということではあります」
「それは仕方ないな。今後も理解を得られるように努めよう」
「ですね」
それに、とイサナは思う。強引に施策を推し進めるだけでなく、地域住民がなにを望んでいるのか、なにが怒りを買うのか、事前にしっかりリサーチもしなくては。今回だって、市長が戸隠流につながりがなかったらもっとこじれていたかもしれない。
そしてそれは、戸隠流やその他の市民だけではない。あの「モグラ」たちを相手にするのも、きっと同じことだと、イサナは思う。
イサナはミヤビの顔を思い浮かべ、右手を見た。今回はこの拳を向けないままで済んだ。しかし――あのリョウジや、坂上のような過激派を、そして『特能者』を相手にするのなら、今回のようにはいかないかもしれない。
今のままではダメだという、漠然とした不安感をイサナは感じていた。
* * *
「魔界土地経済特区構想、か……」
暗闇の中で、岩に腰かけた男が呟いた。男の前には、黒装束に身を包んだ別の男――小平が立っている。
「案外早かったな。さすが和田のじいさん、と言うべきか」
「やはり役所は信用ならねぇ。耳障りのいいことを言っておいて、結局こうだ」
岩に座った男は、目の前の男を見上げた。忍術使いだというその男の身体には、なるほど油断のない緊迫感が漲っている。しかし――その発想は所詮、田舎者だ。狭い範囲のことしか視野にない。
「わかった、悪いようにはしない。利害は一致しているようだしな」
「……追って連絡する」
そう言って振り返り、去る小平の背中を見送りながら、長身の男はオールバックの長い髪を振った。そうだ、利害は一致している――お前がそうやって、狭い視野のまま動いている限りは。
「……第2ラウンドといこうじゃないか、長野市役所のみなさん……」
男は、心底楽しそうな笑みを口元に浮かべた。
<長野市役所ダンジョン課 第二部・完>
長野市役所ダンジョン課 輝井永澄 @terry10x12th
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