§2 守るものと、守るもの

特能者

「……どこにいるの? お兄ちゃん……暗いよぉ……怖いよぉ……」



 少女が泣き叫ぶ声が、暗闇の中にこだましていた。



「俺はここにいるよ……ほら、こっちに来い……」



 イサナはその少女の目の前にいて、そう声をかけるのだが、少女には届いていない。



「お兄ちゃあん……お兄ちゃあぁぁん……!」



 ただ泣き叫ぶばかりの少女に、イサナは手を伸ばす。しかし、その手は全く、彼女には届かなかった。近くにいるのに、だ。



「俺はここだ、ミヤビ……」



 イサナは少女に呼び掛けた。


 すると突然、少女の輪郭が崩れだし――少女は、大きな翼の生えた異形の魔獣へと、その姿を変えていった――



 そこで目が覚めた。


 布団くらいしか物らしい物がない、殺風景な部屋。衣類でさえも、無造作に段ボールの中に入っている。その他には家具のひとつもない。


 イサナはもそもそと布団から起き出した。





 「裾花ダンジョン」の前には、地面にロープを引っ張っただけの簡易的な駐車場が設けられている。


 そこへその日は、山の中に似つかわしくない高級車が停まっていた。



 衆議院議員・塚本ゴウジ。


 大学時代にはアメフトをやっていたという、そのがっしりとした体躯をくゆらせ、第一層を奥へと向かっていく。周囲には3名のSPと、坂上もつき従っていた。



「これだけの規模の『魔界の入り口』を塞ぐためには、億単位の経費がかかります。また、それに対応できる大きさの混沌晶石カオスキューブは希少であり、現実的ではありません」



 その隣で解説する役目は、結局ナナイがやっている。「こういう時の応対は女性がするものだ」というわけのわからない慣習のせいで……とナナイがボヤいているのを、イサナは聞いていた。



「同じ経費をかけるなら、今後に役立つものを、というのが当市の考えです。地元経済が潤うだけでなく、全国的なダンジョン、魔界研究開発にとっても……」


「……ここの職員に『特能者』がいると聞いたのだが?」



 藪から棒に、塚本が尋ねた。



「……はい、彼がそうです。本日の視察にも同行いたします」



 ナナイは後ろにいたイサナを示した。



「……どうも」


「……登録は?」


「0046。『能力』が出てから東京で検査を受けたんで、その時に」



 イサナは襟を開いて、能力抑制の手術跡を見せた。



「無登録ではないのだな。安心した」



 「特能者」は魔界の入り口出現と併せて、全国に出現し始めていた。政府は専門の機関を設立し、「特能者」の実態把握に努めているが、把握できているのは全体の半数ほどに過ぎないと言われている。もっとも、その機関でさえも天下りの温床となっているという話さえあるのだが――



「私も昨日、彼の能力を目にしました。いやぁ、見事でしたねぇ」



 坂上が調子よく話を合わせる。それが合図であるかのように、塚本は踵を返し、再び奥へと向かった。ナナイは何か言いたそうな顔をしていたが、黙ってそれに従う。イサナとしては、特に言うべきことはない。坂上が冷たい目線を向けているような気がしたが、気のせいだっただろうか。





 視察団の一行は、二重のゲートをくぐり、昇降機を使って第二層へと降り立った。今日は短機関銃で武装した県警の対魔獣部隊も配備されている。



「ここから先は瘴気が濃くなります。魔獣も活発になりますので……」



 ナナイがそう言いながら、視察用のルートに沿って進んでいた時だった。


 その男が、いつの間にかそこに立っていることに気がついたのは。



「……!?」



 カーゴパンツにTシャツ、逆立てた赤っぽい茶髪という出で立ち。まるで駅前をぶらつくかのような雰囲気で、さも当然のようにその男はそこにいた。しかし、武装警察官が警備するダンジョンの第二層という場所からすれば、あまりにも異様であることは、すぐに理解できる。



「なんだお前は!? どこから入った!」



 警察官の一人が男に銃を向ける。他の警察官が、取り押さえようとして周囲を押し包もうと動いていた。



「どこから入った、はこっちのセリフだぜ……」



 男はそう言って、ニィッと笑った。


 顔の周りに、なにやら文様が浮かび上がるのを、イサナは見た。その眼もまた、まるで爬虫類のような――



「離れて! 『特能者』だ……ッ!」



 そう叫んだイサナの声と、男が息を吸い込むのが同時だった。



 カッ!



 それがどのようにして起こったか、認識できたものは少ないかもしれない。しかしイサナは、男の口から炎の球が吐き出されるのを、その眼ではっきりと見た。

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