2-5 ダンジョン土地私有解禁法
「魔界土地経済特区構想……?」
ナナイの呟きに、和田はゆっくりと頷いた。
「そうだ。国内でも有数のダンジョンを抱えるここ長野市を、国家経済戦略特区とし、魔界技術開発の最前線とする構想……」
「そして、その特区では、ダンジョンの内の土地所有が認められる……ということですか」
ナナイは和田の説明を遮るように言葉を継いだ。和田はそれを聞き、再びニコリと笑った。
「さすがわが市役所きっての才媛、瀧沢君だねぇ。呑み込みがとても早い」
「……本気ですか?」
「もちろんだよ。部下を褒める時、私はいつも本気で……」
「そっちじゃありません」
静かに、しかし、失礼にならない程度には強く、ナナイは和田の言葉を遮った。
「ダンジョンの中の土地を民間に解放する……そんな、バカげた話を、本気で……?」
「……ダンジョンの中は現在、『存在しないはずの土地』だ。市としてもその『入口』を管理しているに過ぎない」
和田は増田の顔をちらりと見て、話し始めた。
「しかし、『存在しないはずの土地』なのに、入ることはできるんだ。そのことが今後、様々な問題を孕んで行くことは疑いがない。今回の『竜骨ラーメン』もそうだけどね」
「で、あれば、ダンジョン侵入の罰則規定を設けることの方が先なのでは? これは部長にも再三申し上げていることですが」
ナナイは増田の方をちらりと見て言った。増田は首をすくめる。
現状では、ダンジョンへの「立ち入り禁止」というのは飽くまで市役所が布告しているものに過ぎない。法的な拘束力があるわけでもないし、「誰の土地でもない」という以上、不法侵入として取り締まるわけにもいかない。
「もちろん、それはそれで必要だ。だがね」
和田は手を組み、デスクの上に肘をついて言った。相変わらず柔和な表情ではあるが、その目は笑ってはいない。
「魔界の土地という存在を『ある』ものとして考えるか、『ない』ものとして考えるか……これはそうした抜本的な考え方の問題だと思って欲しい。『ある』ものを『ない』として扱うのは、行政としては愚策だよ」
ナナイは真っすぐに和田を見返した。隣で増田が、ごくりと唾を呑み込んだ。和田市長は続ける。
「……この国の行政はとかく、新しく生まれた『ある』ものを『ない』ものとして扱いがちだ。保守的な思想の国だからね。変化を恐れるあまりに、『ある』ものを『ある』として考えるだけのことを、規制緩和だなんだとややこしい話にする」
和田は立ち上がり、壁に張り出された長野市の地図へと歩み寄った。
「『ダンジョン』という存在は、数百年に一度の革新かもしれない。なにしろ、使用可能な土地がいきなり、2倍にも3倍にもなるかもしれないのだ。私はね、この機会を『ない』ものとして考えてはならないと思うのだよ」
「……しかし、和田市長!」
ナナイは机に手を突き、思わず立ち上がる。
「ダンジョンは危険な場所です。魔獣や『モグラ』のような危険な存在もいますし、解明されていない事象が多すぎます」
「例えば『特能者』のように、かね?」
「……それも、ひとつです」
「荒須君、といったかな。ダンジョン課の……彼のこともそうだ」
「……? どういう……」
和田はナナイたちの方へと向き直った。
「ダンジョンを『ない』ものとして扱えば、彼は遠からず差別を受けるだろう」
「……!」
ナナイは絶句した。それは彼女が気づいていなかった――または目を逸らしてきた、不都合な真実だった。
「彼だけじゃない。他の『特能者』もだ。今はまだ数が少ないが……今後、増えていく可能性もある」
「……市内にも他に、数名の特能者がいます」
増田が横から、捕捉するように言った。
「わからないからこそ、管轄するべきだというのが私の考えだ。わかってからでは遅すぎる。少なくとも、ダンジョンを日本という国の中にどうやって位置づけるのか……その方針だけは、示しておく必要がある」
「……しかし、そこまで行くと地方の市役所のレベルでは……」
「ま、それはそうなんだけどもね。けど、中央に任せておいたらこの前みたいなことにもなりかねないからねぇ」
和田はからからと笑った。
「憶えておくといいよ瀧沢くん。地方からの陳情や現場の実態というのは、思ったよりも国を動かしてるものだでね」
和田は壁に貼ってある長野市の地図の上を、なぞるように指先で触れた。
* * *
日曜日。
北長野駅近く、サッカーや陸上の公式試合にも対応したスタジアムのある複合体育施設、通称「運動公園」の一画、弓道場にナナイはいた。
袴を穿いた足をバランスよく踏みしめ、弓に矢をつがえ――放つ。
ナナイの放った矢は、的を大きく外れて安土の中に刺さった。
ナナイはため息をついた。弓を引くのは久しぶりではあったが、それ以上に心が乱れているのを自覚していた。
先日、市長の言ったこと――「魔界土地経済特区構想」。
ダンジョンの土地所有を民間に開放する、という計画。
ナナイは「ダンジョン課」の課長である。ダンジョンのことについては、国内でもかなり詳しい方だと自負している。そのナナイからすれば、到底賛成できるような話ではない。
しかし――恐らくは中央の政権も絡んでいるこの計画。
もし長野市が特区として指定されることになれば、地元への経済効果は計り知れない。市長や増田が、それを狙っているのは明らかだった。だが、だからといってそれを「現場を知らない人間の妄想だ」と否定することも、ナナイには出来なかった。
ダンジョンを、社会の中でどのように位置づけるか――確かに、そのことについて正面から取り組んだ者はまだいない。強いて言えば、「戦線」と定義しようとしたあの坂上が初めてだったのではないだろうか。
逆に言えば、今のままでは遠からず、坂上の起こした事件のようなことがまた起こるのかもしれない。そうでなくても、「竜骨ラーメン」のように、市民がそれぞれ勝手に「ダンジョン」を利用し、定義しようとし始めているのが現状だ。
2本目の矢を手に取る。的に向かい、弓を頭上に構えて、矢をつがえ、引絞る――その時、ナナイはつがえた矢が折れまがっていることに気がついた。
(……「ない」ものと考えるか、「ある」ものと考えるか、か)
曲がった矢などない、と考えていたナナイは、放つ直前までそれに気がつくことが出来なかったのだ。先入観があるはずのものを隠し、問題の発覚を遅らせる。その危険性については、ナナイだってわかっているつもりだ。
だが――だからといって、全ての矢を事前に点検するのが正解というわけでもないはずだ。増してや、ダンジョンは巨大に過ぎる。どうやって行政を定義づけるのか、あまりにも情報が足りないのではないか――
ナナイは矢を構えたまま少し躊躇した。3本目を取りに行くのは面倒だった。そのまま、矢を放つ。その一射はやはり、まっすぐ飛ばずにまた、安土に突き刺さった。
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