剛腕
「あ、ちょっと待って~!」
イサナとナナイと共に奥へ向かおうとする坂上を、リコが呼びとめた。
「これ、つけてってください」
リコが差し出したのは、小さなピンバッジのような形状のものだった。
「……これは?」
「ダンジョン内専用の
「うちの独自開発なんです。この曽根原が作りました」
「……へぇ」
「備えあれば憂いなし、ですよ!」
鼻をふくらませているリコに、坂上は素直に感心の目を向けていた。
「それじゃ、いきましょう」
ピンを襟に付けた坂上の先に立って、ナナイが歩き出した。
*
第一層は広大な空間だが、第二層に至る道筋は限られている。第一層の奥に、二重のゲートによって守られた通路がそれだ。
ナナイが専用のセキュリティ・キーを使ってそのゲートを開き、奥へと歩を進める。
ゲートの向こう側は、巨大な断崖になっていた。目の前の通路は途切れ、その先は言わば、絶壁で構成される壮大な吹き抜けになっている。
「この吹き抜けの下が『第二層』です」
「……どうやって降りるのかなこれは?」
「こっちに昇降機を設置しています」
むき出しの鉄骨で設置された昇降機に乗り、一同は第二層へと降り立つ。赤土に覆われた、荒れ地のような場所だった。
「上の方は瘴気がだいぶ薄れていますが、この辺りに来るとだいぶ濃くなってきます」
ナナイが瘴気計を見せながら言った。
「当然、魔獣も活発になってくるわけです」
「どこにもいないじゃないか、魔獣なんて」
「姿が見えてから警戒したんじゃ、遅いですよ」
「……確かに」
「こっちの方に、比較的安全な場所があります」
「見栄えはするかね? 視察的に」
「それはご自身で判断してください」
ナナイは先に立って進んだ。イサナは二人の後から、ぶらぶらとついていく。
「長野市全域に広がっているとは聞いていたが……こう広いと、乗り物かなにか必要かもね。セグウェイとか」
「検討しておきます」
「美人の課長さんとはぜひ今度、別の乗り物に一緒に乗りたいけど」
「検討しておきます」
坂上はべらべらと喋りながら進んでいく。キャリア官僚の出身だという話だったが、案外と軽い性格らしい。
「まぁでも、済まないとは思ってるよ。議員のわがままにつきあわせて……」
「いえ、ダンジョン開発推進派の有力議員の申し出を、無下には出来ませんから」
「……利権にまみれた剛腕タイプの族議員でもかい?」
坂上の意外な言葉に、ナナイは振り向いた。
「地元の建設業者、商工会議所に警察。大規模な公共事業を行い、地元に金を落とす利益誘導政治。ダンジョン開発推進ってのは結局、そういう箱モノ行政のための方便だ。そうだろ?」
「……魔界技術開発公社の方の言葉とも思えませんね」
「個人の意見さ。ここの自治体を僕は、心配しているんだよ」
戸惑った顔のナナイを見て、イサナは感心した。このクールな課長さんの、この表情を引き出すとは、なかなかのやり手と見える。
「ダンジョンは今や、利権の最前線だ。うちの公社だって、本当は天下り用に作られたんだ。だが、本当にそれでいいと思うかい?」
「……別にいいんじゃないっすか?」
答えたのはイサナだった。坂上は振り向いてイサナを見た。
「地元への利益誘導のなにが悪いんですか? 公共事業ひとつで、どれだけの家族が何年喰っていけると思います?」
坂上は驚いたような顔をしていた。イサナは続ける。
「俺たち役所の仕事は結局、利権をぐるぐる回すことによって成り立ってるんですよ。俺だって、それで喰ってる内の一人ですし」
「……しかし、それによって成り立っていた社会は最早限界に来ている。それはわかるだろう?」
「それをどうにかするのは、あなたがた中央の人間の仕事ですよね。俺たちにとっては、目の前の仕事とか、近くにコンビニが出来るかとか、道路の雪がちゃんと片付けられるかとか、そういうことの方が重要なんすわ。地方公務員はそれをまわすための歯車っすよ」
坂上の口元が、冷笑するかのように歪んだ。
「イサナ!」
不意に、ナナイの鋭い声が飛んだ。
瞬間、イサナは坂上に掴みかかる。
「なにを……っ!?」
イサナによって押し倒された坂上の頭上を、なにかが飛んだ。
「ゲェェッ……ッ!」
イサナの背後で、名状しがたい呻き声のようなものが上がった。振り向いて見ると、蝙蝠の翼を生やした毛のない黒い猿のような生き物が、肩口を砕かれて地面に転がっていた。
イサナは顔を上げた。正面に、ナナイが立っている。
左手を前に身体を半身に構え、その手にはスリング・ショットが握られていた。
ナナイの右手が、素早く次の弾をつがえ、目の高さに引絞って、撃つ。
坂上の頭をかすめて飛んだ弾丸が、もう一匹の
「こっちへ!」
イサナは坂上を物陰に引っ張っていった。
その間にナナイはもう一発、弾丸を撃っている。その一発は別の
「あれ、なんだ!?」
「ああ、鉛の弾丸を銀でコーティングしてるんです。魔獣にはよく効くけど、高いんですよね」
悠長に解説をしていたイサナはその時、別の気配に気がついた。反対側から濃い瘴気が漂ってくるのを感じる。
「あ、これやばいやつだ……」
「え?」
訊き返す坂上には答えず、イサナは立ち上がり、前方を睨んだ。
そこに立ちはだかる巨大な影、濃い瘴気の主――牛の頭をした巨人が、巨大な斧を携え、闇の中から姿を現していた。
「坂上さん、さっきは歯車だなんていいましたけど……」
イサナは、シャツの袖をまくりながら言った。
「俺、それ悪くないって思ってるんです。だって、必要とされてるわけでしょ?」
イサナはそれに対抗するように、右の掌を
次の瞬間、坂上が見たものは、振りおろされた大斧と、それに向かい右手をかざすイサナ、そして――イサナの手に沿って宙に浮かび、大斧を受け止めている青銅色の巨大な右腕だった。
「利権とか難しいことはよくわかんないっすけど……能力が必要とされて、それを使うって、シンプルで良いっすよね」
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