県下最大級・裾花ダンジョン

 山間やまあいの奥の方まで行っても、この国の道路は大体アスファルトで舗装がされている。しかし、いくら道路が舗装されていて人が住んでいたとしても、山沿いの道というのは夜になると独特の暗さがあるものだ。


 そんな暗さの中をその夜、無数に回転する赤色の灯りが切り裂いていた。



「来るぞ!」



 多分警官隊のうちの一人だろう。誰かがそう叫ぶと、黒いヘルメットにベストを着た一団に緊張が走った。前衛に立つ灰色のシールドを構えた部隊の後ろから、短機関銃を構えた一団が覗く。


 一同の眼は、がけ崩れが起こってむき出しになった山肌の向こう側に据えられていた。



 咆哮が響いた。



 鳥のような、しかしそれにしてはあまりにも大きな、咆哮。それは、山肌にぽっかりと空いた穴の奥から、響いてきた。


 その穴の中には、周囲の暗闇よりも、また一段と深い漆黒の闇。その闇の中に、一対の紅い光が浮かぶ。



 地響きがした。


 穴の中から、巨大ななにかが這いずりだしてくる。



 サーチライトが向けられ、浮かび上がったそれは、緑色の鱗に覆われた巨大なトカゲのような頭に、太く長い角、鋭い牙に紅く光る瞳――



ドラゴン……!」



 誰かが呟いた声は、その後すぐに鳴り響いた一斉射撃の轟音によってかき消された。


 サブマシンガンの連射、ライフルの狙撃、拳銃の発砲、市内全域からかき集められた、あらゆる銃器のあらゆる弾丸が、濡れて光る鱗に打ち込まれた。


 竜の皮膚は裂け、肉は削がれて赤い血が――そう、血は赤かった――噴き出す。その巨大な生物は怯み、苦しげに身をよじった。しかし、倒れることはなくその場に踏みとどまる。そして、次の瞬間――



 ゴッ!



 それはちょうど、ガスに火をつけるような音だったかもしれない。


 警官隊へと向け開かれた大きな赤い口――その奥から、炎の球が迸った。



 前列へと展開していた警官隊の足元で火球が爆裂し、爆風と熱波に押された機動隊員の幾人かが崩れる。それをきっかけに、銃撃が緩んだ。


 痛みと怒りとに燃える緑竜が再び咆哮し、恐怖に呑まれた警官隊へと、その牙を向けようとしていた。



 その時、誰かが見た。


 サーチライトに照らされた竜の、その脇の暗闇から、小さな白いものが歩み出た。


 それはまさに歩み出たのであって、つまりそれは白くて小さな、一人の少女だった。少なくとも、それを見たものはそう思った。Tシャツにハーフパンツという格好だったと記憶しているものもいる。



 そこから先のことは、誰かが見たとは断言できない。なぜなら、誰ひとり、自分の見たものを理解できなかったからだ。


 その小さな少女の腰から、翼が広がった。その翼は電光に包まれ、青白く輝いていた。


 少女は舞い上がり――その翼を振るった。



 雷撃が闇を切り裂いた。


 少女から青白い光の槍が真っすぐに伸び、緑竜を貫いたのを、誰か見たものがいるだろうか。



 はっきりしているのは、その後力尽きた緑竜がそこに横たわり、少女の姿はどこにもなかった、ということだ。





「それが今から4年前に、この場所で起こった、いわゆる『裾花すそばなダンジョン事件』だったわけなんだけど……」


「イサナ! 誰に向かって喋ってるんだ。さっさとこっちに来い」



 スーツに身を包んだ髪の長い女が、眼鏡の奥を光らせてイサナを怒鳴りつけた。


 洞窟にしては高さのある、巨大な空洞。その前にイサナたちはいた。


 県下最大規模の「魔界の入り口」――ここが通称、「裾花ダンジョン」である。県庁の裏手を流れる一級河川・裾花川――その上流方面、国道406号線沿いを、裾花ダム手前から、山の方へ。


 道沿いから奥まったところに、突如現れる、魔界の穴。直径30メートルにも及ぼうかという山肌の「入り口」が、ダンジョンと接続している大規模なものだ。



「いやほら、文字数の関係で早めに話を進めないと……」


「なんの話をしてる。いいからさっさと仕事にかかるぞ」


「あ、待ってくださいナナイさん」


「課長と呼べ、課長と」



 イサナは、巨大な「入り口」へと先に立って入っていくその女の後を追った。



 裾花ダンジョン・第一層。


 巨大な「入り口」をくぐった先の、これまた広大な、駐車場にしたら200台は優に入るであろうという空間がそれである。長野市中央通りの旧オリンピック表彰式会場・セントラルスクエアがすっぽり入る大きさと言えばイメージが沸くだろうか。


 天井も高い。5階建てビルでも建てられそうなほどだ。外から見ると、その天井の位置は明らかにおかしいのだが、ダンジョンというのはそういうものなのである。


 その広大なスペースの中には重機が搬入され、地面は慣らされて隅の方にはプレハブ小屋が何軒か置かれている。区画を現わすロープも縦横に引かれていた。



「県内最大、全国でも有数の規模を誇るこの『裾花ダンジョン』だが……」



 スーツにメガネの女――長野市役所企画政策部ダンジョン課・課長の瀧沢たきざわナナイが、その広大な空間の片隅で輪になった一同を前に話していた。


 イサナは手に持った資料を眺めた。「裾花ダンジョン産業開発計画」――テンプレートそのまんまのデザインで作られたパワーポイント資料のページをめくる。



「ここに、国内外の研究機関を招致し、魔界研究の大規模拠点を建設。そして併設する『ダンジョン科学資料館』と『ダンジョン物産展館』は市民および観光客に向け解放、1日数回の『ダンジョン観光ツアー』を目玉として観光資源化を図る。それが、本計画の概要だ」



 資料のページには、「ダンジョン研究の常設展示! 市民の好奇心を過激に刺激!」という、無駄に韻を踏んだコピーが踊っていた。



「誰が考えたんだろうこれ」


かねちゃんだよ。最近、深夜のラップバトル番組にハマってるらしいの」



 思わず呟いたイサナに、隣の曽根原リコが答えた。ナナイの隣にいる痩せぎすの男、金ちゃん――金箱かねはこケイスケの表情は、眼鏡の奥に隠れて伺い知れない。



美谷島びやじま、安全対策は?」


「県警対魔獣班の分署を設置することで迅速な対処が可能になると共に、対魔獣用装備の実地試験にも活かすことが可能です」



 ナナイの突然の振りに、もう一人の同僚・美谷島タケユキが、横に広い身体を揺らしながら綺麗に答えた。



「よろしい。明日、お偉いさんたちに訊かれても答えられるようにしといてくれよ」



 ナナイは丸めた資料を手でポン、と叩いた。



「金箱と美谷島は業者さんと打ち合わせをしといてくれ。イサナ、お前は視察ルートの下見だ。一緒に来い」


「え? 視察ってここを見るんじゃ……」



 言いかけたイサナの後ろから、突然別の声がした。



「衆議院議員の塚本先生が、ダンジョンの奥の方を観たいとご所望でね」



 イサナが振り返ると、そこには長身の男が立っていた。肩の上まである髪をオールバックに撫でつけている。



「紹介する。行政法人・魔界技術開発公社の坂上さんだ。今回の視察の仕掛け人ってところだ」


「坂上ギイチです。よろしく」



 そう言って坂上はイサナに名刺を渡した。



「それ……さすがに危なくないっすか? この辺は瘴気が薄いからいいですけど、第二層から先は……」


「だからこそ見たい、との仰せだよ。それに、そのために君たちがいるんだろう?」



 坂上の眼が、値踏みをするようにイサナを見た。



「……あんまり、ダンジョンを甘く見ない方がいいっすよ」


「甘く見てないさ。だから君たちに頼んだ」



 坂上が突然、にかっと笑った。



「そういえば、近くにコンビニあるかな? 昼飯を喰いそびれて……」


「車で片道30分はかかります。諦めてください」


「長野を甘く見ない方がいいっすよ」



 坂上にコンボを喰らわせながら、イサナとナナイは奥へと向かった。





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※セントラルスクエア……1998年の長野オリンピックの表彰式会場。長野駅前から善光寺への参道である「中央通り」の中ほどに作られた。現在は駐車場になっている。


※別に長野市のどこでもコンビニまで30分かかるわけではない。

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