第19話 逆独楽

 「兄上!」敵の前であることも忘れて文は叫んだ。「生きていたんですね」

「すまん、すまん。武石屋敷の崩れた天井の下から、さっきはい出してきた。俺の盾になってくれた同志は、おかげで死んでしまったが……」天一郎の横顔に悔恨がよぎる。「大平寺に駆けつけたら、ちょうどおまえと犬千代が走っていくところだった。何事かと追いかけたが、犬千代の足が速くて、はぐれちまってな。とりあえず走っていった方角に歩いてきたら、ばったり会ったというわけさ」

「心配しました」

「悪い」

 ふたりのやり取りを3人の追っ手はおとなしく聞いていた。わけが分からなかったからだ。だが、もう分かった。

「兄妹の再会なんかにこっちは興味ねえんだよ」

「だろうな」天一郎は、落ち着き払っていた。「では、改めて始めよう。命の獲り合いを」

 たいまつを持つ追っ手以外の4人が刀を構えて向かい合った。じりじりと距離を狭めていく。

 まず仕掛けたのは天一郎の相手だった。瞬時に反応して天一郎も前に出た。ふたりの間で火花がひとつ散って、再び離れた。空の星がまたたき、男は天一郎の前に崩れ落ちた。

「くそ!」

 仲間の敗北を目にした文の相手がつぶやいた。天一郎の剣先がその男の方を向いて、男の剣先も誘われるように天一郎に向けられた。

「手出し無用!」

 文の声が響いた。

 小さく微笑んで天一郎は刀を鞘におさめた。

 相手にするなら女の方がいい。男は文に向かって斬りかかった。上段から振り下ろされる刀を文は下段から迎え撃った。ふたつの刀はぶつかり合って火花を散らすかと思われた。だが、違った。激突する寸前に文の刀は男の視界から消えた。男にはそう見えた。実際には、寸前で刀を止めた文が逆方向に回したのだ。体を軸に回転して。遠心力のついた刃は、無防備だった男の脇腹を斬り上げた。続いて、想定外の衝撃にたじろいだ男の顔を文の剣が一刀両断にした。

「赤羽寒月流・逆独楽(ぎゃくこま)か。腕を上げたな」

「兄上こそ」

 たいまつを手にしていた男は、すでに逃げ出していた。その背中に天一郎の投げた刀が突き刺さった。たいまつは2本になった。

「敵の狙いはお城です。浜に上陸した他藩の兵がお城に向かっています。このことを早く大平寺の父上に」

 口早に文が報告した。

「分かった。で、おまえはどうする?」

「私は、お城に向かった兵を、犬千代を追います」


 犬千代は、風上に立たないように気を配りながら、軍団のあとをつけていた。文に「時間稼ぎをする」とは言ったものの、どうすればいいのか思いつかない。

 軍団は休むことなく城下へと近づいている。このままでは、大平寺にいる藩兵たちが駆けつけたころには城は落ちている。やがて、軍団の足が城下を前にぴたりと止まった。待機していた別の軍団と合流するためだった。その軍団を率いていたのは武石半兵衛。

「ここからは拙者の指揮下に入っていただく」

 武石が全軍に届けとばかりに怒鳴っている。

 犬千代は決めた。斬るのは武石半兵衛と霧山一魔。頭の武石を斬れば反乱軍は混乱するし、一魔を斬れば兵力の半分を削いだに等しい。だが、一魔を斬るのは骨が折れる。一魔を引き放して、武石ひとりを斬る方策はないものか……。

「よし」

 ひとりつぶやいた犬千代は、影に同化しながら反乱軍に忍び寄っていった。

行軍は再開された。

六蔵は空腹だった。貧しい農家の生まれで、いつも空腹だった。藩の兵隊になれば食うには困らないかと思ったが、やはり空腹だった。海を渡って、この土地に来た理由もよくは知らない。考えることはない。とにかく命令どおりにすればいいのだ。死なない程度に。

腹が減って足取りが重い。元々、足の速さには自信がある方だが、腹が減って脚に力が入らない。徐々に前の兵から遅れ出した。待ってくれとは言えない。また、「この足手まといが」「怠け者が」と罵られてしまう。ああ、このまま闇の中に消えてしまいたい。

六蔵の願いは突然、叶えられた。何者かの手に口をふさがれ、いきなり草むらに引っ張りこまれたのだ。何がなんだか分からない六蔵の目の前に獣の恐ろしい顔が突きつけられた。大きな口、鋭い牙、獣臭い息。長い舌が六蔵の顔をベロベロなめる。

「美味そうなやつだ。食っちまうぞ!」

 六蔵は悲鳴を上げて無我夢中で逃げ出した。


 やつだ! 一魔の鼻があの臭いを嗅ぎ取った。すぐに臭いに向かって走り出した一魔の姿を周りの兵たちは誰もとらえることができなかった。

 どこへ行く気だ? 臭いは隊から離れていく。何を考えている? 一魔は丈の高い雑草の中を駆けた。行く手で草が揺れているのが見える。そこにいるのか? 一魔は刀を抜いた。夜空に向かって高く跳び上がり、舞い降りた。

「命だけはお助け~!」

 悲鳴に続いて情けない泣き声が聞こえた。刀の先で腰を抜かしてひっくり返っているのは六蔵だった。犬千代じゃない。だが、確かにあいつの臭いがする。こいつに臭いをつけて走らせたのか? 囮にするために。


 犬千代は、獣になり、風になり走り続けた。一魔は、風下から風上に向かって囮を追っていった。今が、武石半兵衛の首を獲る唯一絶好の機会。武石はすぐに見つかった。ひとりだけ馬に乗っている。見逃しようがない。のろのろ歩く兵の横を駆け抜け、馬の後方に迫った犬千代は、大将首を狙って馬上高く舞い上がった。一撃で首を落せると確信した。

 だが、そのとき、風を切って横から飛んできたものがある。八尺玉ほどもある鉄の塊だった。犬千代は、あやうくその直撃を避けて着地した。馬は恐怖におののいて後ろ足で立ち上がっている。武石は必死にその首にしがみついていた。兵たちも、何が起こったのか分からないながらも慌てふためいている。

 そんな大騒ぎの中でも、犬千代の耳には、ブンブンと鎖を振り回す音が聞こえていた。鎖の先には、さっき犬千代を襲ってきた鉄球があった。

「おまえは!」

 鉄球を振り回していたのは不破十蔵だった。犬千代が斬り落とした腕の先から鎖が伸びて鉄球につながっていた。

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