第22話 狼笛

 一魔の剣が「龍砦の舞」を踊る。攻守一体の絶対的な必殺剣だ。だが、獣と化した犬千代の目には、一魔の剣の動きが手に取るように見える。どう動き、どこへ動こうとしているのか、過去と未来の軌跡まではっきりと。だから、どんな鋭い一撃が飛んできても跳ね返し、逆に斬り込むことができた。だが、龍砦の守りは健在だ。犬千代の攻撃を退け、間髪を入れずに反撃してくる。撃っては離れ、離れてはまた撃つ。その繰り返し。互いに相手の体に無数の斬り傷をつけることはできても、致命傷には至らない。一進一退の持久戦が続いた。

 犬千代は一魔と同じように刀を回す。一魔の動きを水鏡に映す。一魔と同化し、先を読む。だが、読むだけではだめだ。一魔と犬千代では刀の長さが違う。とらえたと思っても、その差のぶん逃げられる。でも、焦るな。負けないかぎり勝機は必ず来る。

 焦っていたのは一魔の方だった。今頃、城攻めは始まっている。早くこいつを仕留めて戦に加わらなくては。自分がいるといないとでは戦力に大きな違いがある。手薄な城を落とすのに間違いはあるまいが、万にひとつということもある。だが、犬千代との戦いは先が見えない。

 そのとき、一魔は気づいた。犬千代は、じりじりと横に動いている。戦いの場を少しでもあの女から離そうとしているのだ。やはり、あの女があいつの主人なのだ。なら、主人に危難が及べば、奴は救おうとするだろう。己の身命を投げ出しても。そのとき、すきができる。

「こいつと関わったことを不運と思え!」

 犬千代は、一魔の視線が文に動くのを見た。剣がしなって文に迫る。目を見張って微動だにしない文。犬千代は文に向かって走った。

 かかった! 勝利の確信とともに一魔は手首を返した。文に向かっていた剣は方向を転じて犬千代に向かう。

 その瞬間、文には全てがゆっくりと見えた。風も月光も止まっている世界で、一魔の剣だけが犬千代の心の臓へと向かっている。ゆっくりと、着実に。あんなにのろいのに自分には止められない。声も出せない。目もつぶれない。

 カキン! 甲高い金属音、犬千代が一魔の剣を弾き返した音を境に再び時間が流れ出した。

「文!」

 犬千代が自分の名を読んだ。見つめる目と目が光より速く何かを伝え、腰の刀を抜いて一魔に向かって投げつけた。

 一魔にとっては予想外だった。そんなバカな。あいつは俺の策を読んでいたのか? 読んでいなければ、あんなに簡単に弾き返せるはずはない。動揺する一魔に飛んできた文の刀。そんなものは簡単に跳ね除けられる。実際、一魔は難なくそうした。だが、……。

 犬千代は文が投げた刀を追って走っていた。行く手には鉄壁の龍砦。一魔が文の刀を払った一瞬のすきまに犬千代は風となって斬り込んだ。 

 龍砦が消えた。一魔の剣が動きを止めて、持ち主が脇腹をおさえてよろけた。

「くそ」

 吐き捨てたのは犬千代だった。急所に斬り込んだのにわずかにずらされた。この違いは大きい。まだ、戦いは続くということだ。

「水鏡か。たいしたものだ。俺が、あの女を狙うところまで読まれていたか。だが、同じ過ちは、もう繰り返さん」


 天守閣では、武石半兵衛たち反乱軍と城主・下泉重正たちが睨み合っていた。

そこに反乱軍の伝令が飛び込んできた。

「武石様、藩の軍勢が戻ってきました。だだいま、三の丸で交戦中です」

「何、もうか!?」

 武石の顔色が変わった。

 武石にとって誤算だったのは、天一郎の報告によって藩軍が予定より早く引き返してきたことだ。また、抜け道の存在も誤算のひとつだ。精一郎たちが向け道を通って斬り込んでいなければ、太平山の囮が、もっと藩の主力部隊を足止めしていられたのである。

 三の丸、二の丸では、早くも反乱軍の敗走が始まっていた。城盗りのため,

すでに弾薬を消費している反乱軍と、ほとんど手つかずで残っている藩軍。それに反乱軍の大半は他藩の兵士で、戦うモチベーションが違う。

「我が軍は総崩れです」の報を聞いて、武石はつぶやいた。

「しょせん借り物か」

「半兵衛、もう諦めろ。おとなしく縛につくのだ」

 高柳兵庫が諭した。

 武石の落胆ぶりを見れば、誰もがもう抵抗はしまいと思った。そこに油断があった。

「誰が諦めるか!」

 武石は刀を抜いて、突如、重正に襲いかかった。喉元に刃を突きつけた。

「下がれ、下がれ! 下がらぬと殿様の命がないと思え!」

「貴様、何をしてるのか分かっているのか!?」

 こうなっては誰も手出しができない。

「俺は、こんなところでは死なん」

 武石は袂から笛を出して吹いた。何の音もしない笛を。

 だが、その音は人間の耳に聞こえないだけだった。城下の犬たちは一斉に激しく鳴き出した。そして、聞こえない笛の音は、戦闘中の犬千代と一魔の耳にも届いた。2匹の獣は同時に頭を押さえて動きを止めた。

「何? どうしたの、いったい?」

 文には何が起こっているのか分からない。

「どうやら御呼びのようだ」

 聞こえない笛の音は通り過ぎた。一魔は構えを解いた。

「どこまでも運のいい奴だ。また会おう」

 一魔は風になって駆け去った。

 犬千代は膝をついて舌で息をしている。文が近づいているのが分かった。だが、今さら人に戻ってどうしろというのだ。文は何も言わない。顔を上げると、無言で見下ろしていた。その手がゆっくり犬千代の方に伸びる。頭を触って、なでた。両手で首を抱き締めた。

「なつかしい。昔と同じ」

 目を閉じると幼かった頃の記憶がよみがえる。

 同じことを犬千代も感じていた。獣の部分が抜け落ちて人間体に戻った。肌触りが変わったことに気づいて文が目を開けると、目の前に犬千代の大きな顔があった。

「あいつを追って!」

 あわてて立ち上がって、文は真っ赤な顔で怒鳴った。

 犬千代は何も言わずに走り出した。

 誰もいなくなった夜の道で文はへたりこんだ。

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