第21話 銀狼

 海原城の大手門は、大筒の砲撃1発で楽々と破られた。城側に雪崩れ込んだ反乱軍を食い止める手立てはなかった。城の兵力のほとんどが大平寺の包囲戦に出払っていたからだ。わずかに残った警護の兵士たちは、ある者は蹂躙され、ある者は逃走し、ある者は寝返った。抵抗を続けるのは、瞬く間に本丸だけになってしまった。

 下泉重正は、まだ17歳の城主だった。着なれない鎧に身を包み、押さえても震えが止まらない己の膝をさっきから何度も拳で叩いていた。

「二の丸が落ちました!」「本丸が包囲されています」

 さっきから入ってくる報告は悪い知らせばかり。

「城を乗っ取られるとは何たる恥辱。代々の城主に顔向けができん」重正にとっては、死よりも恥の方が大きな問題だった。

「こんな恥ずかしい城主がどこにおるんだ。盗られるくらいなら、城を枕に討死だ」

「なりません」いさめたのは家老の高柳兵庫だ。「ここは一時お引きください。大平寺に向かった兵が間もなく戻ってまいります。彼らと合流すれば、いつでも城を取り戻せます」

「だが、どうやって逃げる。城は包囲されておるんだぞ」

「我らが血路を開きます」

「無駄死にじゃ。どうせ、死ぬなら城を守って死ぬ。下泉家代々の城を裏切り者の汚い手に渡してなるものか」

「殿あっての城でございますぞ」

「言うな! 城に火を放て!」

 すでに小姓たちが油をまいている。兵庫の止める声にも耳を貸さない。

「油が足りん。もっと持ってまいれ」

「は!」

 小姓の1人が下へ油を取りにいった。だが、すぐにその小姓の断末魔の悲鳴が聞こえた。

 誰かが階段を上がってくる足音がする。その場にいる全員が身構えた。いつでも斬りかかれる体勢を整えている。

 上がってきたのは武石半兵衛だった。

「この裏切り者!」

 高柳兵庫が叫んだ。刀は、まだ抜かない。

「半兵衛、これはいったいどういうことだ?」

 ボロボロになった威厳を総動員して重正が問うた。

「殿、御無礼をいたしました。これも全て幕府の犬どもの手から殿を取り戻し、目を覚ましていただくためのもの。お許しください」

「殿、お耳を貸してはなりません。こやつは大嘘つきでございます」

 兵庫がツバを飛ばした。

「大嘘つきはどっちだ! 言葉も通じぬ毛唐どもにこの国を売り渡そうとしているではないか!」

 半兵衛も反論する。

「おまえは料簡が狭いのだ。世界のことを知らなすぎる!」

「もういい!」ふたりの論戦を終わらせたのは重正だった。「それより、半兵衛、この城をどうする気だ?」

「殿が、尊皇攘夷の御旗を掲げるとお約束いただけるなら、お返し申し上げます」

「それは余におまえたちに従えということか? こんな形で」

「それが御身のためだと」

「貴様!」

 兵庫がついに刀を抜いた。半兵衛についてきた者たちも、藩側の者たちも刀を抜いた。半兵衛と重正だけが抜いていなかった。

「さあ、どちらを御取りになる? 我々か? この臆病者たちか? さあ?」

 重正は何も言わない。ただ半兵衛を睨みつけていた。その瞳に微かだが迷いが見え隠れしていた。


 銀狼と化した一魔の剣は、鞭のように、大蛇のように襲いかかった。犬千代は、その攻撃をことごとく跳ね返した。それだけだった。水鏡を使うためには、一魔と同じ速度で動かなければならない。だが、獣となった一魔の動きは、今の犬千代に追いつける速さではなかった。

「どうした。なぜ本性を出さない? 女の前で恰好でもつけているのか?」

 一魔には、そんな犬千代をあざける余裕さえある。

 犬千代だって、獣となるべきだと分かっていた。そうしなければ一魔を倒せないし、文を守ることもできない。犬千代が敗れれば、文の命も失われるだろう。ならば……。理屈では分かっていた。犬千代自身、さっきから何度も獣化しようと試みているのだ。なのにできない。何かが邪魔をしていた。この体の中の何かが。

 文は、その戦いをジッと見つめていた。恐怖にすくんで動けないのではない。動かないのだ。犬千代の戦いを見届けるのが自分の使命だと思っていた。なぜかは分からない。ただ、そう思ったのだ。決めたのだ。犬千代が死ぬときが自分の死ぬとき。その覚悟を胸に、この戦いから目を背けまいと自分に言い聞かせていた。でも、自分がいるせいで犬千代が思う存分に戦えないのだとしたら……。

「つまらんな。こんなつまらん奴だったとは」蔑みの視線が犬千代を刺す。「俺も暇じゃないんでね。そろそろ片を付けさせてもらおう」

 一魔は刀を振り回すことをやめた。構えは真っ向上段。

「鉄槌」

 雲の上から振り下ろされたような刃が真上から降ってきた。犬千代は両手を刀に添えて受け止めた。腰と膝にずしんとくる衝撃。両手を伸ばして受けたのに、刀は顔の前まで押し込まれている。

「ほう。鉄槌を受け止めた奴は初めてだ」

 一魔は、なぜかうれしそうだ。

 すぐに二太刀目が降ってきた。膝が折れそうだ。今度は刀を喉元まで押し込まれた。跳ね除けた腕が痺れている。

「よく頑張った。だが、ここまでだな」

 夜気を真っ二つに裂いて三太刀目が降ってきた。今度は受け切れない。そのとき、聞こえた。

「変わって!」

 文の声だった。その絶叫は耳に突き刺さって、犬千代の中で何かがはずれた。鉄槌は加速度と重力を加えて目の前に迫っている。犬千代は、その太刀を受けなかった。ただ、その姿が鉄槌の下から一瞬で搔き消えていた。代わりに犬千代のいた地面が地割れのように引き裂かれた。

「そうこなくちゃ」

 一魔が大きな口を開けて笑った。

 文の目の前で黒い狼と銀色の狼が向かい合っていた。

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