第23話 銃声

 「半兵衛、それは……」

 当初から行動をともにしてきた笠岡又衛門ですら、藩主を人質にとる藩兵衛の行動に驚きと違和感を隠せなかった。この決起は、主君をたぶらかして藩政を思いのままにする守旧派に対するもの。主君に刃を向けるのは又衛門の価値観とは相容れない。

「大義のためだ! 新しい時代のために我らは生き延びなくてはならんのだ!」

 半兵衛の目は血走っている。

「余に構うな! この者を斬れ!」

 17歳といえども藩主・下泉重正は肝がすわっている。だが、誰も、その命令に従えるものはいない。重正は自分が傷つくのも恐れず、藩兵衛に抵抗した。揉み合った拍子に燭台が倒れて、まいてあった油に引火した。たちまちあたりは火に包まれた。

「殿!」

 高柳兵庫が炎の中に飛び込んで、重正を救い出し、安全なところへと連れ出した。

 半兵衛の配下のひとりの着物に火がついて火だるまになった。その男がのたうち転がり回る間に更に火は広がった。前に紅蓮の炎、後ろに敵の刃。反乱軍の兵には逃げ道がない。

 そのとき、一陣の風が駆け上がってきて、藩兵を次々に斬り倒した。風は人間体の霧山一魔だった。

「一魔か。遅いぞ。今まで何をしていた?」

 半兵衛が怒鳴りつける。

「申し訳ありません」

 一魔は言い訳をしなかった。

「ここから俺を連れ出すのだ」

「御仲間は?」

 わずかに残った武石一味は、炎と敵にはさまれ絶望的な戦いを続けている。一魔が加勢すれば彼らも助けられるかもしれない。

「俺が逃げ出すことが肝心なのだ」半兵衛の目は子どものようにおびえている。「急げ! 早く!」

 主人の命令は絶対。一魔は半兵衛を背負って、灼熱地獄から逃走した。


 二の丸と三の丸をつなぐ橋の上で一魔は立ち止まり、半兵衛を背中から降ろした。戦場は本丸に移っており、あたりに人影はない。振り返れば闇夜に赤々と燃え上がる天守閣が見える。

「俺の城が……」

 力なく囁いた主人の声を一魔は聞いた。この男、あの城を自分のものにしたくて戦っていたのか?

「これからいかがいたしましょう?」

「脱藩する。命があれば、また巻き返す機会もあろう」

 一魔の問いに半兵衛は答えた。早くも気持ちを切り替えているようだ。この敗戦も、もう切り捨てている。笠岡又衛門たちも、不破十蔵も、仙石厳鬼も、雷迅も。

「おまえがいれば、すぐに天下を獲れるだろう」

 この男の言う天下とは、いったいどんなものなのだろう? 一魔の胸の中を虚しい風が吹き抜けていく。

「行くぞ。こんなところに長いは無用だ」

 半兵衛は先に立って歩き出した。だが、その足はどこへもたどり着けない足だった。

「一魔……なぜ……」

 背後から一魔の爪が半兵衛の体を貫いていた。

「介錯」

 耳元で一魔が囁いた。この男は、すでに人として死んでいる。このまま生き恥をさらしていくくらいなら、ここで殺してやるのが最後の忠義。足下に崩れ落ちた亡骸を見下ろした一魔は、こみ上げる思いを抑えきれず、赤黒い夜空に向かって遠吠えした。

「主人を手にかけたのか?」

 振り返らずとも、一魔には、犬千代が立っているのが分かっていた。

「主人のために生き、主人のために死ぬのが人狼の定めではなかったのか?」

 人間体の犬千代が突きつける。

「おまえは言ったな。『俺の主人は俺だ』と。おまえの場合、その言葉が真実だとは思わぬが、あえて頂戴しよう。俺の主人は俺だ」

 橋の上でふたりは向かい合った。遠くで天守が闇を焼く音と臭いがする。

「その主人が、いま俺に言う」

一魔は着物の上から腹の傷口に触れた。犬千代に斬られた傷。まだ治りきらない傷。

「おまえと決着をつけろと」

 橋の右と左から2匹のはぐれ狼が走り寄った。互いの命を目掛けて。


 叛乱は集結した。天守の火は、まだ消えていないが、鉄砲隊の仕事は、もうない。とりあえず家族の待つ家に帰ろうと、本丸をあとにした。その彼らが二の丸から三の丸に差しかかったとき、目に飛び込んできたのは異様な光景だった。

「何だ、あれ?」

「橋の上に化け物がおるぞ」

「撃ち殺してしまえ」

「だが、動きが速すぎる」


 龍砦の舞はすでに読み切っている。だが、あの剣が動き続けているかぎり守りは鉄壁だ。あの動きを止める方法はひとつしかない。犬千代は欄干の上を走った。砦の間隙を縫って一魔の懐に飛び込んだ。犬千代の剣を払った一魔の剣は、すぐに犬千代を襲う。

「グッ!」

 肩を突き刺され犬千代の口からうめき声が漏れた。

「グワ!」

 だが、もっと大きなうめき声が一魔の口から発せられた。

「己の体を犠牲にして龍砦の舞を止めるとは……」

 一魔の口から血のしぶきが飛び散った。犬千代の刀がその胸に食い込んでいる。

「肉を斬らせて骨を断つか。古臭い手だな」

 苦しそうな息で一魔は、まだしゃべり続けている。

「だが、俺たち向きの手だろ」

 犬千代は笑おうとしたができなかった。

 そのとき、数発の銃声が轟いた。


「当たったぞ!」

「2匹とも堀に落ちた!」

「化け物を退治した!」

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