第18話 風向き

 上陸した軍団の最後尾は、浜の出口のあたりにあった。突然、犬千代が走り出した。隊列のあとを追っていき、文の視界からまたたく間に消えた。

「犬千代! なんで私をおいてくのよ!?」

 闇の中に取り残された文は不安でたまらない。敵に聞かれたくなかったので声は抑えたが、本当は叫びたかった。悲鳴を上げたかった。

 時間にすれば1分にも満たない時間だったのかもしれない。だが、文には、はてしなく長く感じられた。やがて、犬千代は、たいまつを手に戻ってきた。

「何してるのよ!?」

「1番最後の奴からこいつを奪ってきました」

「殺したの?」

「気を失わせただけです。その必要はないから」

「急にいなくなるからびっくりしたじゃない」

「これを持って精一郎さまのところへ」

「犬千代は?」

「奴らを追って時間稼ぎをします」

「無理しないでね」

「しません」

 犬千代は文の目を見ていない。その言葉を文は信じ切れなかった。

「約束して」

「はい」

 今度は目を見てうなずいた。


 風向きが変わった。一魔の鼻が何かを捉えた。

「女の臭いだ」

 並んで歩いていた同志が一斉に一魔の方を見た。それがここに来て一魔が口にした初めての言葉だったからだ。

「女に見られた。始末しろ」

 一魔が指した方角に3人の武士が走った。


 精一郎と番犬組は、逃げ出してきた坊主の案内で抜け道の中を進んでいた。予想以上に狭くて長い坑道だった。出家した下泉藩の先祖は、こんな暗く寂しい道にもぐって女のもとに通っていたのか。精一郎には信じられなかった。そのために家臣に命じて、こんなものを掘らせたとは……。それにしても文と犬千代はどこに行ったのだろう? この肝心なときに。そばにいてほしいときに。精一郎は犬千代と文の腕を信頼していた。

 抜け道は、庫裡の裏の井戸に通じていた。音を殺して、精一郎と番犬組は井戸からはい出した。あたりに人影はない。静かすぎるのが、かえって不気味だ。

 坊主の話だと敵の大将たちは本堂に集まっているらしい。精一郎たちは身を小さくして足音を忍ばせ、本堂に接近した。確かに本堂の前は、警護の兵たちががっちり固めている。

「よいか。狙うは武石半兵衛の首ひとつだ。他は無視してよい」

 命じながら、精一郎は、自分が戦国時代にいるのではないかと錯覚した。だが、昔も今も兵法の基本は変わらない。敵の頭を叩くこと。

「いくぞ!」

 精一郎は先陣を切って本堂に突き進んだ。準備の整わない警護の兵たちを斬り伏せ、本堂に突入した。番犬組も、あとに続いた。

 本堂の中は酒の匂いが充満していた。軍議をしていたのか、酒盛りか? 本堂の中で車座になっていた侍たちは、あわてて武器を手に立ち上がった。精一郎と番犬組は、手当たり次第に彼らを斬り倒していった。またたく間に本堂は血の海となり、反乱軍の死体が浮かび、命あるものは山中に逃げ込んだ。

「武石は? 武石半兵衛はいないか?」

 精一郎は死体の顔をひとつひとつ確認していった。本当のところを言えば、確認するまでもなかった。いるはずがない。ここにいるのは雑魚ばかりだ。斬り合いをしているうちに気がついていた。

 武石半兵衛は、ここにはいない。


 文は、たいまつを手に森の中を走っていた。この森を突っ切るのが大平寺への1番の近道なのだ。来るときは犬千代の背におぶわれてまたたく間に通り抜けた道を、今は自分の足で走っている。

「待て~!」

 男の声が背後から飛んできた。振り返ると3人の武士が追いかけてくる。1人はたいまつを手にし、あとの2人はすでに刀を抜いている。

 女の足では追いつかれる。迎え撃って斬り合うしかない。幸い今日は刀を腰に差している。

 たいまつは足下に捨てた。刀を抜いて追っ手を睨みつける。

「邪魔をするなら斬ります」

 3人は、それを見てせせら笑った。

「斬るだとよ。俺たちを」

「よく見りゃ、いい女だ。もったいない」

「せ~のでやっちまうか」

 刀の構え方を見ると、それなりに腕に覚えはありぞうだ。文の口の中が渇く。

「女ひとりに3人でかかるまでもあるまい。俺ひとりで十分よ」

 ありがたい。侮ってもらえて。文は呼吸を整えた。

「いや、待てよ。この女、確か赤羽道場の娘だぞ。男並みに腕が立つと評判だ」

「なら、念には念を入れて2人でかかれ。俺は、明かり係だ」

 たいまつを持った男が提案した。

「なら、そうしよう」

「とっとと片付けちまおうぜ」

 2人が相手か。3人よりはましだけど。文は深く静かに息を吐いた。

「いいわ。1対2で相手をしてあげる」

 声が震えないように努力して文が言った。

「いや、それは違うな」

 この声は!

「2対2だ」

 闇の中から姿を現したのは赤羽天一郎だった。

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