まずは、告白・2
地下の通路を朝と逆に辿り、改札に達したところで、ひとつの謎はあっさりと解けた。
つまり、さっと通したICカードを見せてもらうと、森谷さんと私の定期はまるきり同じ区間が表示されていたのだ。
「……最寄り、同じ駅だったんですね」
「そういうこと。別にストーカー紛いのことしたわけじゃないんで、安心してください」
「い、いえ、びっくりはしましたけど、そこまでは思ってませんから!」
高架の上で声の響きやすいホームだというのに、思わず叫ぶように言うと、森谷さんは今日初めて、軽く口元を緩めて、小さく笑った。
「なら、いいですけど。正直、気味悪がられても仕方ないな、って思ってたから」
硬い表情がほぐれた様子に、いいえ、と私はかぶりを振った。されたことには驚くしかなかったけれど、嫌だ、と思うようなことは不思議となかったから。
そのことを伝えると、森谷さんは照れたようにそっぽを向いてしまって、
「期待させるようなこと言わないでください、まったく。僕が何言ってたか分かってるんですか」
「……一応は、その、把握しているつもりですが」
ここまであからさまに行動に出されて、分からないと言うほどにはさすがに鈍くない。しかし、さっぱり面識のない(と少なくとも私は思っていた)人にどうして好かれたのか、そこだけは本当に、不思議でならなくて。
「どうして私を、っていう点については、話していただけるんでしょうか」
「……いきなりですね、ほんとに」
「す、すみません、やっぱり気になってしまって」
「どのみち、ここでは無理ですよ。ちょっと、周り見てみてください」
そう言われて、指示の通りに首を巡らせてみると、その理由はすぐに見て取れた。同じホームにも、向かいのホームにも、離れてはいるけれど、職員の姿がちらほらと見える。
その中には、当然ながら顔見知りの方も含まれていて、今更ながら私は焦ってしまった。
緊張してて忘れてたけど、こうして一緒にいるの、絶対誰かの目には入ってるよね……
そう思い至って、沸き上がる気恥ずかしさにうろたえていると、電車の接近メロディが辺りに鳴り響いて、間を置かず聞き慣れた列車案内のアナウンスが流れてきた。そうしてホームに滑り込んできたのは、
ほどなくあの独特の空気の抜けるような音とともに扉が開いて、降りてきた乗客と入れ違いに乗り込む。座席はほぼ埋まっているので、座るつもりなど元よりなく、二人並んで吊り革を掴む。と、窓の外に顔を向けたまま、森谷さんが口を開いた。
「今日は、本読まないんですか?」
「え、いえ、持ってますけど、さすがに人様と一緒にいる時は読みません」
そう返しながら、見られちゃってたってことか、と少しばかり恥ずかしくなる。いつも、電車内ではカバーを掛けた文庫本を読んでいるから、声を掛けられでもしない限り、誰か見知った人がいたとしても、なかなか気付かないのだ。
「いつも熱心に読んでるから、活字中毒なのかと思ってました」
「そこまでは行ってないと思うんですけど……乗っている時間がそれなりなので、何か勿体ない気がして、ついつい持ってきちゃうんです」
藤宮から上橋端までは、準急でもおよそ十五分かかる。それに加えて、新刊を買った日などは、早く読み進めたくて、という理由もある。続きが気になればなるほど、家に帰るまで待っていられないのだ。
「どんな本読んでるんですか?」
「ええと、色々です。文芸書が多いですけど、最近はミステリとか、ファンタジーものとかも読んでます」
「感動ものとかも?」
「あ、そういう傾向のも、結構ありますね。森谷さんはどんなの読まれるんですか?」
「僕ですか?ノンフィクションとか……たまに歴史ものとか」
などと、何故かお互いの書棚紹介、みたいな話をとりとめなくしているうちに、意外と早く上橋端に着いてしまった。
ここは、高架の上にある藤宮とは違い、地上を走る四本の線路の上を跨ぐようにして、橋のような構造の駅になっている。そして、改札は十基ほどの自動改札機が並んでいる、ただひとつだけで、そこを抜けたコンコースには三つの出入口がある。
ちなみに、私がいつも使っているのは西口、駅前ロータリーの脇を抜けて、スーパーやマンション群が立ち並ぶ区画へと向かう人々が主に利用している。
そして、東口は駅前商店街の方へ、中央口は『山手』と簡単に呼ばれている、緩やかな丘の上に拓かれた新興住宅地に向けて発着している、バスターミナルがある方なのだが、
「森谷さんは、どのへんにお住まいですか?」
「東口から商店街抜けて、もう少し先です」
「あ、じゃあ、私の家とはちょうど反対方向ですね」
その東口の階段を降りながらそう話していると、商店街の方から軽い喧騒が耳に入ってくる。まだ午後七時前だから、コンビニや書店、喫茶店や居酒屋などは当然開いていて、週末なりの人の行き交いでなかなかに賑やかだ。
そんな中に、森谷さんの言っていた、洋食屋・ピオニーがあった。ブラウンの木目調を基調にしたおしゃれな外観で、昼にはランチ、夜にはコースも出しているというお店だ。
なんだか美味しそうだなあ、と惹かれつつも、一人で来るのは贅沢な気がして、入ったことはまだなかったのだが、森谷さんはためらいなく外開きの扉を引き開けると、中へと促してくれた。
お礼を言って先に入らせてもらうと、レジカウンターに立つ店員さんが、二名様ですね、と確認してくれて、すぐに空いた席へと案内してもらって、ようやく息をつく。
幸いなことに、各テーブル席はパーティションと観葉植物で、緩やかに他のテーブルと離されている感じで、ゆったりと落ち着けそうな雰囲気だ。そして、店名の通り、ということなのか、壁のそこここには、華やかな
お茶とおしぼり、という定番なおもてなしののちに、渡されたメニューからあれこれと選んで、注文を終えてしまうと、ふっと一瞬の沈黙が辺りに広がって。
お互いに、ちらりと相手の様子を窺う、という動作がばっちりとシンクロしてしまって、余計に気まずい空気が流れたけれど、やがて森谷さんから口火を切ってくれた。
「ああ、その、いきなりですみません……あんな時に言う話じゃなかったですね」
軽く頭を下げて酷くすまなさそうに言ってくれたのに、私もようやく気持ちが緩んで、自然と小さく笑うことができた。
「それは、ちょっと思いました。あの時って延着証明なくても間に合うよね、しか頭になかったので……」
乗っていた列車内で急病人が出た、ということで、途上にある駅で長く停車した結果、いつもの到着時刻より十分ほど遅れてしまっていたのだ。だから、電車内でもそわそわと腕時計を気にして、やっと着いた、というところだったから。
それから、時間大丈夫でしたかとか、しばらくあたりさわりのない話をしているうちに、サラダやスープが運ばれてきて、時折、ぽつぽつと言葉を挟みながら食事を進めて。
メインディッシュまであらかた平らげてしまって、あとはコーヒーにデザート、という段階までやってきたところで、落ち着かなげに身じろぎをした森谷さんが口を開いた。
「どうして、って聞きましたよね」
「……はい」
「早瀬さん、いつも電車の中で、ずっと本読んでるでしょう?その時にかなり百面相になってるのは、気付いてますか?」
そう言われて、えっ、と思わず声を上げてしまった。内容に夢中になってしまうことは多々あるけれど、その時に顔がどうなっているかなどは、気にしたことがなかったのだ。
「やっぱり、気付いてなかったんですね」
軽く喉を鳴らすようにして、くくっ、と笑った森谷さんは、運ばれてきていたカップに口を付けると、
「最初は、なんか見たことある人がいるな、程度だったんだけど、見るたびにずーっと本に釘付けになってるから、なんとなく目を引かれて……そうやってるうちに、表情が、どうやら中身そのままに変わってることに気が付いたんです」
森谷さん曰く、じっと緊迫したように眉を寄せていたり、登場人物がピンチでも切り抜けたのかほっとした表情になったり、大団円なのか笑顔になったりと、読んでいる内容が想像出来てしまうような変わりっぷり、だったそうで。
……自覚していなかっただけに、指摘されると大変、恥ずかしい。
「それで、少し前に……泣きそうになってた時、あったでしょう」
「……あ」
そのことには、思い切り心当たりがあった。同期の子に教えてもらったファンタジーの最終巻を読んでいて、異種族であるがゆえに先に逝ってしまう、という別れのシーンで。
何よりも大事な伴侶を、強大な自らの力をもってしても抗うすべもなく亡くしてしまう、その描写がとても心に沁みて、情けないことに泣き出しそうになっていたのだ。
ともかく、これから出勤だから、と、必死になってこらえていたのだが、
「めちゃくちゃ目が潤んでるのに、唇ぐっと引き結んで、やたら頑張ってる顔見てたら、ああ、僕、このひとに惚れてるんだな、って唐突に思ったんです」
そう、とても端的に、しかも堂々と正面切って、好意を表す言葉を告げられて。
間違いなく朱に染まっているであろう、というほど明らかに、頬が熱を帯びていくのを自覚して、言葉も何も出なくなる。
ましてや、こちらを射抜くような視線で、じっと見つめられている、となれば。
すっかり弱ってしまって、俯いて視線を手元のカップに移すと、意味もなくスプーンを手にして、必要もないのに掻き回してみる。
だけど、そうしてみても、既にミルクを混ぜてしまったその色が、変わることはなくて。
「……別に、今すぐにどうこう、っていうつもりはないんで」
宥めるような、先程よりは幾分優しい響きの声に、そろそろと顔を上げると、ほろ苦いような笑みを浮かべて、森谷さんは言葉を継いだ。
「でも、付き合って欲しい、っていうのは、本気なので。考えといてくれれば」
「あ、あの、それなんですが」
向けられた想いに対して、今すぐ結論を出す、ということはさすがに出来ない。それに、この人のことを、ほぼ名前しか知らないというような状態では、どんな判断も出来るものではない。だから、
「お友達から、というのでは、だめですか?」
そう切り出すと、森谷さんは明らかに渋い顔になって、こちらを見返してきた。
「……正直、それ、一番避けたいとこだったんですけど。いつから友達でなくなるのか、境界が曖昧なままで、時間だけが経ちそうな気がして」
「でも、もし今、ここではい、って頷いてしまったら、いきなり恋人になっちゃうのに、ふるまいとか、どうしていいのか全然分からないから」
例えば、手を繋ぐとかそういったことでさえ、それこそいつからなのか、と考え込んでしまいかねない。触れられてもいい、と思える相手かどうかも、まだ分からないのだから。
「森谷さんが、私のこと好きだ、って思ってくださったみたいに、好きになる時間を、私にもくれませんか?」
心に浮かんできた言葉をそのまま真っ直ぐに伝えてしまうと、森谷さんは驚いたように目を見張って、しばらく私を見つめていたけれど、やがて、ふいと視線をそらして、
「……なんで、君はそう上手く、僕が期待してしまうようなことばっかり言うのかな」
「え?期待って……」
意味が分からずにそう尋ねると、森谷さんはすっと眉を上げて、呆れたように続けた。
「気付いてないんだ……早瀬さん、こんな申し出なんか最初から拒んだっていいのに、一度もそうしようとしてない。違う?」
ストレートに指摘されて、そういえば、と自身の発言を思い返す。
よくよく考えてみれば、この人を『好きになる』という前提で、友達付き合いを始める、という風に取れてしまうわけで。
そう気付かされて、無意識とはいえなんてことを、と、今更ながら赤くなっていると、森谷さんは口角を上げて、やや意地悪そうな笑みを刻んでみせる。と、
「いいよ、それで。受け入れてもらえるように、僕も攻めていくことにするから」
「た、戦い、ですか!?」
「そう。防戦してもいいけど、懐柔も奇襲も何でもやるつもりだから、覚悟しといて」
宣言するようにそう言葉を切ると、平然とした様子で、またカップに口を付けて。
先程までとは違い、いわば、開き直ったような態度を目の当たりにして、これは大変なことになってしまったのでは、と、私は穏やかならぬ心持ちにならざるを得なかった。
それから、奢る奢らない、で一悶着あって、結局、私が負けてしまって。
「今度、何かでお返しします」
「別に、借りとか思わなくていいよ、僕から誘ったんだし……けど」
「?何ですか?」
お店を出たところで、何か逡巡するように足を止めた森谷さんを見上げると、すっ、と目の前に手が伸びてきて。
「なんだったら、手繋ぎで返してくれても構わないけど?」
……これって、最初の一撃、ということだろうか。
しかも、手加減なしの、袈裟懸けに斬り込まれた、という感じで。
不敵に口の端を上げてみせている森谷さんに、つばぜり合いを仕掛けるべきかどうか、私はたっぷり五分ほども、立ち尽くしたまま悩むことになってしまった。
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