妹、襲来

 自分にも弟がいるが、特に親密というほどの関係ではない。元よりあちらが体育会系で、それに対して、僕は得意分野というものがなくて、大抵のことを適度にこなす、いわゆる器用貧乏、といったところだった。かといって、特に仲が悪い、というわけでもない。

 幼い頃は、子供らしい意地の張り合いや喧嘩などもしたが、長じるに従って趣味傾向も異なり、なんとなくそれぞれのテリトリーらしきものを作り始めてからは、お互い過剰な干渉もせず、たまにCDや本の貸し借りをしたり、最近では就活の相談に付き合ったりと、まあ、兄として適度な距離を保っているのではないか、と思う。

 だから、こうして、嫌に姉にベタベタとしている妹、という存在を目の当たりにすると、なんというか、どうしようもなく違和感を覚えてしまうのは、仕方がない気がして。

 「え、ええと、妹の志帆しほです。ほら、森谷さんにちゃんとご挨拶してね?」

 日曜日、上橋端駅の駅前広場、午前十一時三十分。

 前日に約束した、待ち合わせの時間ぴったりに現れた早瀬さんが、たしなめるように、それでいて、優しい口調でそう言うと、その腕に半ば絡みつくようにしながら、明らかにこちらを睨み付けている女の子は、しぶしぶ、と言った様子で口を開いた。

 「早瀬はやせ志帆しほ、もうちょっとで高一でーす。初めまして、お姉ちゃんの彼氏未満の人」

 「し、志帆!?へ、変っていうか、失礼な言い方しないの!」

 「えー、でも実際そうなんでしょ?あ、言っとくけどお姉ちゃんがそんなこと言ったんじゃないから、誤解しないでくださーい」

 こちらが険しい顔になったのを見取ったのか、からかうような口調で言ってくるのに、あまり似ていない姉妹だな、と僕は二人を見比べていた。

 双方ともに共通しているのは、真っ直ぐな黒い髪だ。姉は肩を少し越すくらいで、妹は顎のあたりでばっさりと切り揃えている。だが、その他は雰囲気からして異なっていて、姉がいかにも温和そうなつぶらな瞳をしているのに比べて、妹の方は目尻の上がった鋭い瞳をしており、ありていに言えば気が強そうだ。加えて、服装までもが、暖色にスカート、寒色にパンツ、といかにも対照的で。

 ともかく、一応の礼は尽くすべきだろう、と、僕はようやく口を開いた。

 「ご丁寧に、どうも。僕は森谷博史、君のお姉さんの同僚で、今言われた通りの立場に立ってはいるけど、いずれそれ以上になりたいと思ってるよ」

 大人げないことは重々承知の上で、売られた喧嘩を買うつもりでそう切り返すと、早瀬さんがさっと薄く頬を染めた。それを認めて目に見えてむっとした表情になったその子は、わざと見せつけるように彼女と手を繋いでみせると、

 「お姉ちゃんが大人しいからって、簡単に落ちるとか思わないでよね。こう見えて結構頑固だったりするんだから」

 「もう既に思い知らされてるよ。それに、簡単であろうがなかろうが、彼女を射落とすまでは、一切手を緩めるつもりなんかないから」

 お互い、完全に戦闘モードに入った調子で、そうやりとりをしていると、間に挟まれておろおろとしていた早瀬さんが、耐え切れないかのようにかぶりを振って、

 「もう、二人ともどうして張り合ってるの!?志帆も目上の人に偉そうな口を利かない!森谷さんも森谷さんです、その、て、照れるようなこと言わないでください!」

 間に入るなり、真っ赤になってそう叱ってくるのに、僕は頬を緩めると、

 「事実なんだから、仕方がないだろう?それに君の妹さんなんだったら、いずれは親戚付き合いもあるんだろうし、こっちのスタンスを示しておかないといけないだろうしね」

 「うわ、マジで自信過剰だし。だいたい、付き合ってもないくせに図々しすぎー」

 「……志帆、それ以上言うんだったら、お祝いのランク一段階下げちゃうよ?」

 「あー、それはやだ!お姉ちゃん大好きー!!」

 そろそろ本気で怒り始めた早瀬さんの様子に、さすがに慌てたようにじゃれついた妹は、まだ警戒心を露わに僕の方へと向き直ってくると、

 「それじゃ、とりあえず今日一日、よろしくお願いします、森谷、さん?」

 「こちらこそ、志帆、ちゃん」

 互いの呼び方に隠しきれない敵意を込めつつ、そう言葉を交わしながら、僕はひたすら面倒なことになったな、と、自らの不運に内心で息をついていた。



 そもそもが、せっかくの休日だというのに、三人で過ごす羽目になってしまったのは、意外にも『志帆ちゃん』からの申し出から始まったことだった。

 「僕も一緒にって……構わないけど、なんでそんなことになったの?」

 土曜日、午後九時をわずかに過ぎた時刻。

 掛かってくるとは思っていなかった早瀬さんからの電話にいささか驚きつつも、喜んで出てみれば、いきなりすまなさそうに、

 『あの、明日、妹と一緒に出かけるのに、付き合って貰えませんか?』

 などと言われたのだから、さすがに疑問を呈さずにはいられなくて。

 すると、迷ったような一瞬の沈黙の後、小さなため息が続いて、

 『森谷さんとメールしてたのを、いつの間にか後ろから妹に覗かれてて……さっきまで、もの凄い勢いで問い詰められてたんです』

 彼女曰く、誰なの、どんな奴なの、いくつなの、出世しそう?などと、妹というよりはまるで母親のような質問を重ねてきた挙句、会ってみたい!と騒ぎ出したのだそうだ。

 元々が、今週末の予定に関しては、随分前から『高校に合格したら泊まりに来る』と、妹と約束していたということで、二日連続で僕の入る余地がないことは聞いていたから、寂しいながらも、メールのやり取りは欠かさなかったのだが、こんな事態になるとは。

 「それにしても、えらく激しい妹さんだね」

 『はい……ちょっと、私のことに関しては心配性っていうか、お姉ちゃん子、って言うのかな、よく懐いてくれてはいるんですけど。だから、あの……』

 「何か、気になることでもあるの?」

 酷くためらっている様子に、そう尋ねてみると、やがて弱ったような声が返ってきた。

 『その、あの子、森谷さんのことを、お姉ちゃんにふさわしいかどうか見極めてやる!って息巻いてて……言い出すと聞かないから、一応聞いてみるけど、って』

 「……なるほどね」

 どうやら、いわゆるシスコンの気があるらしい、と察して、僕は思わず眉を寄せた。

 まあ、気持ちは分からなくもないが、いずれにせよ面倒な相手らしい、ということには変わりないようだ。だが、ここで引く、などということはありえないだろう。

 「いいよ、どのみちいつかは顔を合わせることになるんだし、少し早いか遅いかだけのことだから」

 『えっ、本当にいいんですか?その、妹は悪い子じゃないんですけど、うちの母に似て、舌鋒鋭いっていうか、遠慮がないっていうか』

 「それなら、なおさらだ。ここで僕が行かない、なんてことになったら、尻尾を巻いて逃げ出した、みたいに思われかねないんじゃない?」

 『……どうして、そんなに妹のことを言い当てちゃうんですか』

 「さあね。でも、強いて言えば、ひとつだけ君の妹と共通点があるからじゃないかな」

 『え?どんなことですか?』

 きょとんとしたような声に、分からないんだ、と笑みを誘われつつ、じらすほどのことでもないから、僕はそっと答えを告げた。


 「……君のことが、好きで仕方がない、ってこと」


 想いを込めて口にした直後、何やら鈍い音が耳元で響いて、遠く彼女の騒いでいる声が聞こえてきた。どうやら、動揺のあまり携帯を取り落としたらしい。

 しばらくして、ごめんなさい、とおろおろとした様子で出てきた早瀬さんに、僕は遠慮なく笑い声を上げていた。



 そういった経過を経て、本来なら姉妹で合格祝いを一緒に買いに行く、というところに、僕が混ざる、ということになったわけなのだが、これがまた、なんともやりにくかった。

 何しろ、妹が姉を片時も離そうとしないのだ。手を繋ぐか腕を組むか、の二択しかないかのように、常に傍らに張り付いている上に、時折僕にしか分からないように顔を向けて、勝ち誇ったような表情を見せつけてくるのに、さすがに苛立ちを通り越して感心する。

 その間、こちらが何をしているかといえば、荷物持ちだ。妹は特に高いものを好む、というわけではないようで、決められた予算内で服、鞄、靴と購入してきたのだが、

 「森谷さーん、まだ買うものあるからこれ持っててー」

 「志帆!いい加減にしなさい、持てないんだったらお姉ちゃんが持つから!」

 「えー、これくらい彼氏未満だったら持ってくれて当たり前じゃん?」

 「……君の彼氏未満じゃないけど、彼女に持たせるくらいなら僕が持つから」

 と、当然のように固辞する早瀬さんを押し切って、かさばる荷物を全部預かっているというわけだった。僕はジャケットに全てのものを放り込んでいるから、両手は常に空いているし、重いものは何一つないから、正直なところ何のダメージにもならない。せいぜい、どうせなら妹でなく姉の方の買い物に付き合いたかった、と思う程度だ。

 どこか二人の付き人めいた気分で、姉妹のわずか後方について歩いていると、ふと妹の方が足を止めた。どうやら、通路の途中に設置された、モールのフロアマップを見ているようだった。その周囲には、休憩用のベンチがいくつも置かれ、移動や人いきれに疲れたのだろう、家族連れや中年の夫婦らしき男女などがそれぞれに休んでいる。

 今日来ているここはクラウドモールではなく、沢合の駅から直結しているショッピングモールだ。この後の妹の予定が、買い物を終えて、お茶を飲んだらそのまま家に帰る、ということで、電車の連絡もしやすいこちらを選んだということらしいが、

 「あー、あった。最後、このでっかい雑貨屋さんね」

 「えっと、四階?志帆、何買うの?」

 「まだわかんない。残りの予算でなんかぱーっと買っちゃおうと思って」

 「遠慮しないなあ……まあ、いいけど、滅多にないことだし」

 そうやって、苦笑しながらも甘えを許している早瀬さんの姿に、ふと口元が緩む。礼を失した時は、きちんと叱りはするものの、やはり妹のことは可愛いらしい。

 そんなことを考えながら眺めていると、ふいに妹の方がくるりと振り向いてきて、嫌ににやにやとした笑みを向けてきた。

 「そういうわけだから、荷物持ちよろしくー。せっかくだし、部屋に置くでっかいめのクッションとか買っちゃおうかなー」

 「別に、それはいいけど、最終的に君は一人で帰るんだろ?単に持って帰るのが大変になるんじゃないの?」

 もしかすると嫌がらせのつもりで言ったのかもしれないが、冷静にその点を指摘すると、姉とよく似た仕草で、うっと言葉に詰まる。その横で、早瀬さんが思わず吹き出すと、

 「いいよ、買っても。なんだったら配送サービスで纏めて送ってあげるから」

 「……お姉ちゃん、優しいけど、なんか今は複雑。あと森谷さん、マジむかつく」

 さすがに恥ずかしかったのか、思い切り拗ねた表情でぶつぶつと言ってくるのに、僕と早瀬さんは顔を見合わせると、小さく笑みを交わし合った。

 それから、要望通りにエスカレーターで四階へと向かい、やけに広い面積を占めているインテリア関連の店の脇を抜け、目的の雑貨店へと足を踏み入れた。

 ぱっと見た限りでは、リネン類、食器類、ぬいぐるみに座椅子やテーブルなどの軽家具、ルームウェアなどの衣服の他に食品まであって、品揃えはまさしく多岐に渡っている。

 「初めて来たけど、えらく広いね」

 「ほんとですね……私も、ちょっと色々見たいなあ」

 そう言って、本の話をしている時と同じくらいのレベルで、瞳を輝かせている彼女に、こういうものも好きなんだな、と頭の隅にメモをする。

 この先、連れて行きたい場所は色々と考えてあるが、何より彼女が喜んでくれる場所でなければ意味がない。残業ラッシュが終わったら、こういうところに一緒に行くのもいいかもしれないな、と考えていると、

 「それじゃ、ここは皆バラバラで行動しようよ。お姉ちゃんも森谷さんも、好きなもの見ればいいじゃない、あたしにばっか付き合わせたんだしさ」

 と、意外な台詞が飛んできたので、僕は少し眉を寄せた。しつこいほどに姉に執着していたのに、ここに来てこんな殊勝な言葉が出てくるとは。

 ともかく、確かにいささか疲れて来ていたので、特に二人とも異存はなく、それぞれに興味のあるジャンルへと向かうことになった。早瀬さんはフェイスタオルが欲しい、とのことでリネンコーナーへ、妹の方はアクセサリーを見るらしくそちらへ。

 しかし、僕はと言えば特に買いたいものもすぐには思いつかなかったので、適当に巡るふりをしながら、しっかり早瀬さんと合流するつもりで店内を回っていると、

 「……ちょっと、こっち来なさいよ」

 ふいに、持っていた荷物を引っ張られて、何事かと振り向けば、『志帆ちゃん』がそこに立っていて、僕はやっぱり、と息を吐き出した。

 朝からというもの、ずっと向けてきていた、どちらかというと険しい表情とは異なり、思い詰めたような顔つきでこちらを睨んでくるのに、僕が頷きを返すと、そのまま荷物を掴まれ、引かれるままに店から出ると、人気の少ないフロアの片隅へと連れて行かれる。

 こうしていることに、早瀬さんが気付いていないかどうかが気になるのだろう、周囲を落ち着かなげに見回してから、『志帆ちゃん』は、きっと僕を見上げてくると、

 「なんか、あたしに文句ないの?ここまで黙ってあたしに付き合ったのって、全部お姉ちゃんのためでしょ?」

 「そうだよ、当たり前じゃないか」

 「だったら、むかつくんならなんか言えばいいじゃない。あたしだって、お姉ちゃんに言い寄る奴とかそれだけで嫌だし、とにかくなんか知らないけど腹立つのに」

 仲の良い妹であるが故のわがままを、隠すこともなくぶつけてきた相手に、僕は迷いもなく切り返した。

 「彼女が君のことを大事に思ってるのが分かってるのに、文句を言うことなんてないよ。むしろ、いずれぶつかる相手なら、対処だって早いにこしたことはないからね」

 「何よ、それ。お姉ちゃんのこと名前でも呼べてないくせに、えっらそーに」

 そんな根性なしだから彼氏未満なんじゃないの、と、鼻で笑ってきた『志帆ちゃん』は、こちらが眉を寄せたのに気付いたのか、さらに言い募ってきた。

 「それに、あたしのことは一応名前で呼んでるくせに、なんでお姉ちゃんは『早瀬さん』なわけ?めっちゃ他人行儀じゃない」

 何気なく核心めいた部分を突かれて、僕は一瞬押し黙った。

 おそらく、自分で思ったよりは厳しい表情になっていたのか、少しひるんだかのように『志帆ちゃん』が顔をしかめるのに、ゆっくりと口を開く。

 「……気を悪くしないでくれって、先に言っとくよ。君のことを名前で呼んでるのは、単に彼女との区別をつけるため、それだけのことで、特別な意味なんかない」

 前置きがあるにも関わらず、やはりどこか腹が立ったのだろう、途端に眉根をぎゅっと寄せた『志帆ちゃん』に、僕は構うことなく続けた。

 「正直に言えば、名前で呼びたいとずっと思ってるよ」

 告白してから今まで、当初よりは好きになって貰えていることも、知っている。彼女がことあるごとに示してくれる僕への気持ちも、それが次第に望む方へと近付いているのも。


 「だけど、彼女の心をまだ貰えていないのに、まるで自分のものになったかのように、名前を呼ぶなんて、したくないんだ」


 こちらから強いることなど、何一つもなく。

 いつか、そう遠くはない未来に、彼女からその言葉を貰えるまでは。

 

 彼女に対しては決して吐けない、我ながら弱音めいた台詞を吐いてしまうと、しばらく互いに言葉もなく睨み合っていたが、『志帆ちゃん』はふっと俯くと、

 「……なんとなく、本気だ、っていうのだけは、分かったわよ」

 そう細い声で零したのは一瞬で、すぐにまた勢いよく顔を上げてくると、

 「でも、なんかむかつくっていうのも変わらないから!お姉ちゃんに嫌なことしたら、あたしよりよっぽど怖いお母さんも連れて殴りに来るからね!」

 「……お父さんは、どうしたの?」

 ある意味予想に近い言葉に、完全に抜け落ちている要素のことを指摘すると、何故だか『志帆ちゃん』は胸を張って、

 「お父さんは、お姉ちゃんそっくりだから!叱りはするけど絶対に手は出さないし!」

 「……じゃあ、とりあえず、殴るのが前提なのか」

 えらく血の気の多い発言に、僕はそれでもふっと肩の力が抜けた気分で、力ない笑みを返していた。



 そうして、対決を終えたことがばれないように、二手に別れて店内へと戻って。

 すかさず早瀬さんの元に行ってみれば、考えたことはやはり同じだったと見えて、ほぼ二人同時に彼女の元に着いてしまった。

 「あれ、志帆、まだ何も選んでないの?森谷さんも……」

 そう不思議そうに尋ねてきた彼女の手には、二つのショッパーがあった。同じサイズで、片方は白、片方はネイビーの地で、それぞれ反転したように店のロゴが印字されている。

 「今欲しい、っていうのがなかったから。お姉ちゃんは何買ったの?」

 何事もなかったかのようにそう言った妹に、早瀬さんは嬉しそうにふわりと笑うと、

 「凄くふわっふわのタオルがあったの!それでね、トリコロールのセットがあってね、お父さんとお母さんと三人でお揃いで、って思って!あ、ちゃんと自分のも買ったよ!」

 おまけも入ってるよ、と付け加えながら、白の方のバッグを手渡した。

それを受け取った妹は、しばらくバッグと姉の笑顔を見比べていたが、

 「……お姉ちゃん、ありがと。大好き」

 「えっ!?な、泣くほど嬉しかった?えっと、志帆の好きなフロランタンも入ってるし、マカロンもアイスボックスクッキーも一緒に買ったから!だから、ね?」

 少し目を潤ませて、震える声でそう言うのに、見る間に慌てた様子になった早瀬さんは、小さい子にするように、その俯いた頭をしきりに撫でていて。

 頷きながら、しばし大人しくされるままになっていた妹は、唐突にさっと顔を上げて、

 「お姉ちゃん、あたし、今日はもう帰る」

 「え、そうなの?でも、お茶するの楽しみにしてたのに……」

 「友達から連絡があったの。なんか、相談があるとかっていうから、電話したいんだ」

 いきなりの宣言に、がっかりした様子の姉に、それなりに説得力のある言い訳を重ねてしまうと、ごめんね、と謝ってから、僕の方を向いてきた。

 それから、とにかく不本意、という文字を顔に張り付けたかのような表情で、ずい、と手を差し出してくると、

 「荷物、ずっと持ってくれて、ありがと」

 「どういたしまして。軽いけどかさばるから、帰り、気を付けて」

 「分かってる!森谷さん、あと、ちゃんとお姉ちゃんのこと頼んだからね!」

 そうはっきりと言うなり、渡した荷物をしっかりと両手に持つと、止める暇もなく踵を返して走り出してしまった。

 「あ、志帆、駅まで送るのに!」

 「急いでるからいい!お姉ちゃん、また帰ってきてね!」

 「うん!来月は一度帰るからー!」

 店の外に飛び出したのを、すぐに後を追い掛けて、振り返ってきた声に足を止められた格好になった早瀬さんは、そう大きく手を振って。

 流れる人波の中に妹の背中が見えなくなってしまうまで、ずっと見送っていたが、


 「……大きくなっちゃったんだなあ、ほんとに」


 上げていた手を力なく下ろしてしまうと、少しだけ寂しそうに、ぽつりとそう呟いた。

 その背中が、酷く小さく見えて、僕は思わず近付くと、今は空いた両の腕を伸ばした。そのまま抱き締めてしまいたい衝動をどうにか抑えて、ふざけるように髪に手を置いて、くしゃくしゃ、と掻き回してしまう。

 と、しばしぽかん、としていた彼女は、我に返ったように振り向いてくると、

 「も、森谷さん!?もう、またボロボロになっちゃったじゃないですかー!」

 「悪かったよ。でも、ほぼ一日半は彼女のことばかり考えてたんだから、そろそろ僕のことも見てくれてもいいんじゃないかって思って」

 極力、冗談めかしてそう言うと、乱れた髪を必死で直していた手を止めて、早瀬さんはじっと僕を見てくると、ふと手元に目を落として、

 「……帰りに渡そう、って思ってたんですけど。これ、どうぞ」

 先程買ったという、ネイビーの方のショッパーをそっと差し出してきた。

その意外な展開に、さすがに僕も反応が遅れてしまって、

 「早瀬さん、自分のは?」

 「ご心配なく、ちゃんとここにありますから」

 そう言って、手にしたブラウンの鞄の中から、小さな包みを取り出してみせた。確かに、フェイスタオル一枚くらいのサイズだ。

 「今日は、本当に無理言って付き合ってもらっちゃいましたから。志帆もさんざん甘えちゃったし……だから、ふわふわのお裾分けで、バスタオルなんですけど」

 どうぞ癒されてください、ととっておきのような笑顔を見せてくれて、何かぐらり、と彼女の方へと傾くような、そんな感覚さえ覚えてしまって。

 「あげようと思ってたのは、こっちの方なのに。なんか、先手を打たれた感じだ」

 「……森谷さん?」

 呟きが聞き取れなかったのか、窺うように名を呼んできた早瀬さんに苦い笑みを返すと、僕はジャケットの内ポケットから、小さな箱を取り出してみせた。

 赤で店名のロゴが入った、白く、光沢のある素材で出来た丸いそれは、元々はサイズに見合ったショッパーに入っていたが、入れにくいので置いてきてしまった。

 少しだけ迷ったが、自身で箱を開けてしまうと、中身を手に取る。かさばる包装は全て纏めてポケットに突っ込んでから、事態を把握できていないらしい早瀬さんに近付くと、

 「じっとして、動かないで」

 短くそう告げると、はっとして僕を見上げてきた、その首元にするり、と手を回して、微かな硬い音を響かせる。と、

 「……はい、出来た。気に入るかどうかは分からないけど、貰って」

 許可も得ずに、その華奢な首につけてしまったのは、ペンダントだった。

 柔らかい色合いのゴールドのチェーンに、雫のような赤い石がひとつ。それに星の形のチャームがついていて、なんとなく彼女らしい、と一目見て決めてしまったものだ。

 つまり、一言で言えば、可愛らしい、ということで。

 「わ……あ、あの、凄く可愛いです、有難うございます。でも、どうして」

 しばらく、煌くトップの部分を持ち上げてみたりして、まじまじとそれを見つめていた彼女が、心底意外だ、という風に尋ねてくるのに、僕は眉を寄せると、

 「……本気で忘れてるとは思わなかったよ。まあ、僕も先週、すっかり渡し損ねたのが悪かったんだけど」

 「先週……先週って、あっ、ホワイトデー!?」

 ようやく思い当たったらしい早瀬さんがそう叫ぶのに、僕は気が抜けたように頷くと、彼女の手からショッパーを取り上げた。

 「せっかく三倍返しが受けられるっていうのに、なんでそんなに欲がないの?」

 「だ、だって、そんなの熱出してたし、すっかり頭から抜けてて……あっ、でも職場でお返し貰ったんだった……って、もしかしてほんとに三倍なんですか!?」

 「さあね。でも、既に使用済みのものは返品をお受け致しかねます、これも貰ったし」

 覿面に焦った様子の彼女に、僕はわざとらしく口角を上げてそう言い切ってしまうと、ネイビーのショッパーを見せつけるように持ち上げてみせた。



 そうして、自ら贈ったものを身に着けている彼女をじっくりと眺めながら、ゆっくりとお茶をする、という、この上ない状況を堪能していると、

 「……森谷さん、お願いですから、しばらくでいいですから、視線外してください」

 「だめだよ、もったいない。それに、妹さんに君のことを頼む、って言われたんだから、義務も権利もきちんと果たさないとね」

 「そ、そういう意味、なのかなあ……」

 と、志帆ちゃんの言質を取ったのをいいことに、早瀬さんの反論を封じてしまった。

 ……しばらく、この手が使えるな、と内心ほくそ笑んだのは、言うまでもない。

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