お見舞い、参上

 今年度は、もちろん職員として採用されて初めての年度でもあるし、窓口でも調査でも外勤でも、どんなことでもとりあえずはぶつかっていってみよう、くらいの気概を持ってやってきたつもりだった。体力的にはそれほど自信はないけれど、早寝早起きを心がけて、自炊も頑張って、体調管理さえしっかりできればやっていけるはずだ、と思っていたのだけれど。

 やはり、ほんの少しの気の緩みが、病に付け込まれる結果を招いてしまって。

 「あー、やっぱり、熱ある……」

 その朝、自室で力なくベッドに座り込んだ姿勢のまま、私はため息とともに、声を吐き出していた。

 デジタルの体温計に、残酷なほどにはっきりと表示された数値は『38.2℃』。喉にも走る違和感の正体もおのずと察せられて、心底情けない気分に陥ってしまった。

 元々、所属自体が人の出入りが激しい部署でもあるし、ことにこの時期は、市民の方が多数来庁されることは分かり切っているから、うがい手洗いは欠かさなかったのだけれど、うっかりここ二日ほど、うがい薬を切らしてしまっていたのだ。

 しかもよりによって今日は、元々約束がばっちりと入っている日、だというのに。

 「……とにかく、起きて、支度しなきゃ」

 そう呟くと、私はのろのろとベッドから降りて、軽く伸びをしてみた。いつもならまず感じることのない気だるさが、身体のそこここにあるのが分かって、小さく息をつく。

 幸い土曜日であるにもかかわらず、予定のために目覚ましを掛けておいたので、時間は十分なほどにある。あとは、色々としなければならないことを過不足なく進めるだけだ。

 顔を洗い身支度を済ませ、簡単に食事を取ってから、財布にいつも入れてある保険証と診察券を確認してしまうと、その時点で時刻は午前九時三十一分だった。

 念のため、診察券の裏面を確認してみると、土曜日の診察時間は9:00~12:30まで、と書かれているから、今から出ても十分に間に合う。

 それを認めて、私は鞄から携帯を取り出すと、森谷さん宛てにメールを打った。



 To:森谷博史

 Sub:おはようございます。


 朝早くから、すみません。

 私、どうも風邪を引いてしまったみたいで、

 微熱とは言えないくらいの熱が出ています。

 喉にも違和感があるので、これから病院に

 行ってきます。


 そういうわけなので、申し訳ないのですが、

 今日の約束、キャンセルでお願いしたいんです。

 きちんと休んで、体調を万全にしてから、

 またきっと、埋め合わせはしますから。

 本当に、ごめんなさい。



 お休みということで、あちらはまだ起きているかは分からないから、一応メールにしたのだけれど、送ってしまってから、余計に申し訳なさが募る。

 返事が来たら、また電話しよう、と心に決めながら、私は取り急ぎ病院へと出かけた。



 それから、駅前の上橋端医療ビルという、その名の通り内科、眼科、耳鼻科、整形外科、歯科までがずらりと入っているテナントへと向かって。

 案の定、温和そうな年配のドクターに、風邪ですねー、とあっさりとした診断を頂いて、点滴もして、一階の薬局でお薬を貰うと、おまけにサービスでマスクまでつけてくれて。

 熱のせいでそれ以上何もする気力が沸かず、ふらふらと家までなんとか帰ってしまうと、私はすぐさまパジャマに着替え直して、早々にベッドに入ってしまった。

 ついでに購入してきた、熱冷ましのシートをぺたりと額に貼って、ころりと転がると、深々と息をついて、ぼんやりと天井を仰ぐ。


 そういえば、風邪なんか引くの、去年の冬以来だなあ……


 当然、その時はまだ学生で、丁度試験の結果が出て、ようやく張り詰めていた気持ちが切れた、そんな頃だった。よくよく考えれば、今日もそうだ。

 一か月の長きに渡った申告会場の当番も全て終わって、あとはひたすらに職員全員で、追加の資料を期日までに処理し終えるだけだ。とはいえ、まだ翌月、翌々月も入力作業は続くのだけれど、一山越えた、ということは確かで。

 自分の弱点にあらためて気付かされて、だめだなあ、と瞼を閉じた時、ベッドヘッドに置いていた携帯が、短く着信音を鳴らした。



 From:森谷博史

 Re:そういうことなら


 お見舞いに行くよ。

 どうせ渡さないといけないものはあるし、

 君に借りた本も読み終えてしまったから、

 返さないといけないし。

 続き、もう買ったって言ってたよね?

 ついでに、それも貸してもらおうかな。

 

 ちなみに、僕は部屋がちょっとくらいなら、

 散らかってても全然構わないから。

 まずいと思うものだけは、しまっておいて。

 それじゃ、よろしく。



 文面に目を通し終えた直後、驚きのあまりに、私は勢いよくベッドから身を起こした。それから、急激な動きにくらくらとするのに、後悔の念を抱きながらしばらくじっとしていたけれど、立ち直ってからすぐに、慌てて返信のメールを打った。



 To:森谷博史

 Re2:来ちゃだめです!


 風邪がうつったらどうするんですか!

 本当に大丈夫ですから!



 来ると言った以上は、本当に迅速に行動しそうだから、必要最低限だけのことを書いて、急いで送信する。飛行機がエアメールを運ぶ短いアニメとともに、『Sending Message』の文字が液晶に浮かび上がった瞬間、部屋にチャイムが鳴り響いた。

 「えっ、だ、誰……!?」

 今日は、荷物が届くような心当たりもないし、森谷さんからメールが来てからせいぜい一分強、というところだ。お休みだし変なセールスかな、と思いつつも、出ないわけにもいかないから、おそるおそるインターホンへと向かう。

 キッチンの壁に取り付けられているそのモニターに目をやった途端、私は目を見開いた。そこに映っているのは、さっきまでメールをやりとりしていたはずの、森谷さんで。

 「も、森谷さん!?どうして、来ちゃだめって言ったじゃないですか!」

 『いや、まだ何も言われてないけど……ああ、今何か届いたけど、もしかしてこれ?』

 そう言いながら、モニターの向こうで笑った森谷さんが、携帯を開いてしばし見つめていたけれど、すぐに顔を上げてくると、

 『うん……一応は読んだけど、色々買ってきちゃったし、無駄にするのもなんだから、とりあえずでいいから、開けてくれないかな?』

 「……ぜ、絶対、長居しちゃ、だめですよ?」

 何ともすまなさそうな表情で、こちらをじっと見てくるのに、私は結局、耐え切れずに折れてしまった。……押しにも弱いけど、お願いされるのにも、凄く弱いなあ。



 「……よくよく考えたら、森谷さん、メール送ってきたタイミング、計画的でした?」

 「今頃気付いたの?」

 すぐ傍に立った私の指示で、持って来たお見舞いの品を、あちこちにある戸棚に入れている森谷さんは、あっさりとそれを認めてしまうと、さらに続けてきた。

 「君のことだから、絶対に来るな、って言い出すのは目に見えてるじゃないか。だから、何もかも準備が終わってから、断り切れないように追い詰めてしまおうと思って」

 「……本当に、用意周到ですよね」

 何しろ、スーパーの買い物袋から出てくるのは、食欲がなくてもいいようにとプリンにゼリー、スポーツドリンク、レトルトのポタージュスープにおかゆ三種類(卵、鶏、梅)、生姜湯に林檎などなど、およそ風邪に良さそうなものがほぼ網羅されている。

 さらに加えて、ハンディタイプの殺菌・消毒スプレーまで用意されているのに至っては、もう、何も言えないというか。

 「これでよし、と……ほら、君は早くベッドに戻って。あとは、僕が何でも望み通りにしてあげるから」

 そう言いながら戸棚の扉を閉めた森谷さんが、カーディガンを羽織った私の肩を叩いて、キッチンから部屋へと移動させようとするのに、一瞬素直に従いかけたけれど、はた、と我に返って、

 「な、何でもって、森谷さん、私の言うこと聞いてましたか!?」

 「聞こえてるよ。でも、そろそろ聞けることと聞けないことがあるっていうのも、理解しておいて欲しいんだけど」

 その声に、微かに苛立ちめいたものが混じっているのに気付いて、途端に心配になって彼を見上げる。と、森谷さんは、わずかに寄せていた眉を緩めると、

 「ごめん、君に怒ってるわけじゃないから。とにかく、本当に休んで」

 「……はい」

 宥めるような、優しい声を向けられてしまって、私は今度こそ言われた通りに部屋へと向かった。焦っていたので、少し乱れたままの毛布と掛け布団を軽く直すと、スリッパを脱いでしまって、大人しくベッドに座る。

 と、あることを思い出して、私はまたすぐに立ち上がった。

 「こら、ちゃんと横になって。接待しようとか思わなくていいから」

 「でも、言ってらした本とか、ちゃんとお渡ししないと……」

 叱るように言われたものの、先程のメールのことだけはきちんとしなければならない。

 再びスリッパに足を通すと、ベッドの向かいの壁に据え付けた本棚へと近付いて、上から三段目の一番右端、という、新刊の定位置にしている場所から、目的の本を取り出す。

 すると、横からすっと伸びてきた手が、有無を言わせない感じでそれを奪っていって、

 「何でもする、って言ったろ?君は寝転がったままでいいから、指示だけしてくれればいいんだよ」

 「えっ、そんな、なんだか偉そうなことは」

 明らかに不機嫌さを露わにした様子の森谷さんに、とっさにそう返そうとしたものの、言葉の途中で、さらに空いた手が伸ばされてくると、きゅっと頬をつままれてしまった。

 「こんな真っ赤な頬してるくせに、まだ言うんだからな……さっさと寝ないと、抱えてベッドに運ぶよ。それとも、そうされたいの?」

 「え、遠慮、します……」

 大変なことを真顔で言われては、さすがにそれ以上逆らうことも出来ず、ふらつく足でベッドへと戻る。眼鏡を外してベッドヘッドに置いて、しっかりと肩まで布団をかぶってしまうと、傍に立ったままの森谷さんからは、よろしい、というように頷きが返ってきて、

 「まだ、十一時過ぎか。どう、眠れそう?」

 「朝の分のお薬は、さっき飲んだんですけど、まだ、効いてきてないかな……」

 「そうか。なら、何かして欲しいことは?」

 そう聞かれて、私はちょっと考え込んでしまったけれど、ふとあることを思いついて、おそるおそるお願いを口にしてみた。

 「何か、一緒に話してて貰えませんか?」

 そんなことを申し出てみたのは、まだほんの幼い頃、同じように熱を出した時のことを思い出したからだった。具合の悪さにしきりとぐずる私の傍に、絶えず母や、時には父がついていてくれて、色々ととりとめのないことを話したり、お話をしてくれたりして。

 だから、大きくなってからは、年の離れた妹に、自身もそうしてあげたりもして。

 そう言うと、分かった、と笑ってくれた森谷さんは、出しておいたクッションの上に、あぐらを組んで座ると、持って来た鞄から、貸していた本を取り出してきた。

 「言った通り、全巻読んだよ。謎解きは相変わらず良く出来てて面白かったけど、何か人間関係がややこしくなってきたね」

 テーブルの上に本を並べながらの彼の言葉に、私は深々と頷いてしまった。

 一巻から五巻までは、相馬・笹島の探偵助手コンビと、刑事の美樹、学芸員の寛子、という男女四人の関係は、女性二人が相馬に気があり、笹島はそれとなく美樹と仲が良い、そんな感じだったのだが、六巻でそれががらりと変わり、笹島と寛子の仲が急接近して、いわゆる『寛子さん派』の私としては、なんだか複雑な心地になってしまったのだ。

 「ネタバレになるから詳しくは言わないですけど、新刊はさらにややこしいですよ」

 なんと、相馬の過去を知る新たな女性が出てきた上に、しつこく美樹に絡んでくる、という展開で、ここまで来ると作者の方向性はもう決まっていそうだ、と思わざるを得ない。

 ずっとシリーズを追ってきたものとしては、終わりが見えた気もして寂しくて、思わずため息をついた私に、森谷さんはひょい、と眉を上げると、

 「そんなに『寛子さん』を応援したいの?どうして?」

 何気なくそう聞かれて、私はしばらく言葉を探していたけれど、熱のせいか、ぼうっとしていて、なかなか考えが纏まらない。

 「なんていうのかな……美樹ちゃんは笹島くんとも仲良しだし、そっちの方がお似合いかな、って思ってたのもあるんですけど」

 実際、初期の頃などは相馬より笹島の方が彼女との絡みが多かったくらいだし、もしかしたら、と思わせる描写もあったのだ。それに、

 「寛子さんって、相馬さんに好意があるのに素直になりきれない、っていうところが、なんだかいじらしい感じがするから、かな……」

 内向的な性格故に、美樹のようにはなかなかふるまえないのを自覚しながらも、相馬のためには力を尽くす、そんな一生懸命さに好感を抱いて。

 そう伝えると、森谷さんはなるほど、と呟いたものの、どことなく腑に落ちない様子で、

 「僕はそういう点ではずばずば斬り込んでいく方だから、その気持ちは正直なところ、さっぱり分からないけど」

 「……ですよね」

 「君がそういう風に思う、ってことは、そういう恋をしたことがあるの?」

 ふいに、思いがけない方向から尋ねられて、私はしばらく瞬きを繰り返していたけれど、

 「……そうじゃ、ないです。多分……」

 彼女の姿に、女子として共感するところがある、きっとそんな単純なことで。


 むしろ、恋なら、今。


 一瞬、浮かんだ言葉は、いつの間にか落ちていた瞼の裏に、吸い込まれるように消えて。

 そのまま、心地よいまどろみの中に、私はするりと落ちて行ってしまった。



 断続的に続く、どこか聞き慣れない電子音がぼんやりとした意識を叩いて、とろとろとした眠りの中から、もう朝なのかな、という思考がゆっくりと浮かび上がる。

 まだ重い瞼を開けようとした時、すぐ傍で誰かが慌てたように動く気配がして、じきにからから、と引き戸の開く音と、閉まる音がそれに続いた。

 離れていった気配を追うように、やっとのことで瞼を開けた私は、思いの外暗い部屋に目を見開いた。灯りが消えているとはいえ、随分眠ってしまっていたようだ。

 幾分、身体からだるさが取れていることに気が付いて、ゆっくりと身を起こしながら、枕元に置いた時計を見てみれば、とうに午後五時を過ぎていた。

 手探りで眼鏡を掴み、いつものように身に着けて、リモコンで灯りを点けてしまうと、ベッドから降りて、取り急ぎ喉の渇きをなんとかしよう、とキッチンに向かう。

 と、引き戸を少し開けるなり、森谷さんの低めた声が聞こえてきて、思わず手を止める。

 「……そんなの、相手のこともあるんだし。それに気が早いよ、今説明しただろ?」

 そろそろと覗いてみると、彼は携帯を手に誰かと話しているようだった。ほんの少し、不機嫌というか、苛立ったような調子で髪に手をやると、さらに続けて、

 「……ああ、ごめん、そういうわけだから、ほっとけないし……分かったから、それに関してはそのうちってことで。うん、じゃあ、また」

 見る間に用件が済んだのか、早々と通話を切って、こちらに向き直ってきた。軽く目を見張った森谷さんに、私は慌てて頭を下げると、

 「ご、ごめんなさい、あの、起きたら、声が聞こえたから……」

 「ああ、いいよ、大したこと話してたわけじゃないし、相手は母親だから。こっちこそ、起こしちゃってごめん」

 そうこともなげに返してきた森谷さんは、すぐ傍に寄って私を見下ろしてくると、まじまじと顔を見つめてきて、

 「……赤くなってないってことは、肝心なところは聞いてないのか」

 「え?あの、『ほっとけない』とか言ってらしたのが聞こえてたくらい、ですが」

 聞き耳を立てていたような申し訳なさに素直に白状すると、彼はなんだ、と呟いてから、ふと意味ありげに笑って、

 「今月は帰ってこないのか、って言われたから、『連休もないし、大事な人が寝込んでるから、看病で忙しい』って断ってたんだ」

 「……私のことはいいですから、どうぞ、ご実家に帰って差し上げてください」

 さらりと、しかも明らかに楽しんでいるように投げられた台詞に、狙い通りに頬が熱くなるのを感じながら、私は力なく言い返してみた。……反撃にもなってなさそうだけれど。

 ともかく、寝ている間に随分汗をかいてしまったので、キッチンを抜けて洗面所に入り、軽く顔を洗う。朝の見るからに紅潮していた頬の色はさすがに消えて、ほぼ普段の顔色に戻っているのを認めて、ほっと息をつく。これなら、月曜には出勤も出来そうだ。

 鏡の前で乱れた髪を整えていると、ふと、寝顔も寝起きの姿も、全てさらしてしまったことに今更ながら気が付いて、熱って恐ろしい、とあらためて思ってしまった。普段なら、何もかもを見せないように、絶対に阻止しているはずなのに。

 もう全部が手遅れだけれど、せめて羽織ったカーディガンを見苦しくないように整えてから、私はキッチンに戻った。

 すると、なんとも懐かしい、甘い香りがふわりと漂ってきて。

 待っていたかのように、部屋から顔を出した森谷さんに呼ばれるままに入っていくと、テーブルの上には二つの湯呑みが用意されていて、自然と頬が緩んでしまった。

 「生姜湯、ですね」

 「風邪、っていうと、これが真っ先に思い浮かぶんだ。ぐったりしてる時に必ず飲め、って押し付けられたから、小さい頃は正直苦手だったけど」

 「うちは、母の手作りでした。はちみつ漬けを使ってたので、楽しみでしたよ」

 そんなことを話しながら、向かい合ってクッションに腰を下ろすと、いただきます、とそれぞれに口を付ける。記憶にある滑らかさよりはわずかにさらりとしていて、すんなり喉へと入っていくのが、身に沁みるようで心地いい。

 渇きを癒すように、しばらく黙ってこくこくと飲み続けていると、森谷さんがこちらをじっと見つめているのに気が付いて、手を止める。

 「森谷さん、どうかされましたか?」

 「いや、熱も下がったみたいだし、良かったなと思って……眠ってる間に、苦しそうに呼吸は荒くなるし、汗もどっと出てて、正直、気が気じゃなかったから」

 それを聞いて、私は途端に申し訳なくなってしまった。当人は、至ってぐっすりと寝て、むしろ身体はかなりすっきりとしているくらいなのに。

 「あの、ごめんなさい。本当だったら、ちゃんと頑張っておもてなしするつもりだったのに、何から何まで甘えることになってしまって」

 元はと言えば、先週流れてしまった、夕食をご馳走する、という約束を今日果たすはずだったのだ。それなのに、こんなことになってしまって、ふがいないばかりで。

 「病気に付け込んで甘やかしに来ただけだから、いいんだよ。それに、もしこれが逆の立場だったとしたら、君はどうするの?」

 笑いながら、すぐにそう切り返されて、私はうっと詰まってしまった。確かに、心配で仕方がなくて、同じようなことをしてしまいかねない。

 そして、きっと、同じように彼も、私のことを思って、来てはだめだと言うはずで。

 反論も出来ない様子に、だいたいのことを察したのか、森谷さんは湯呑みをテーブルに置いてしまうと、すっと手を伸ばしてきた。

 まだ、湯呑みを持ったままの私の両の手を、くるむようにすっぽりと包んでしまうと、真っ直ぐに目を合わせてきて、


 「お礼も、謝罪も何もいらないから。だから、もっと僕を頼って」


 懇願でも、命令でもない。

 まるで、それが至って当然のことであるかのように、正面から発せられたその言葉は、見事にすとん、と胸に落ちてしまって。

 「……はい」

 気付けば、素直に頷いてしまっていたけれど、同じく、私にも譲れないことがあって。

 「でも、それなら、森谷さんが寝込んだ時には、ちゃんとお見舞いさせてくださいね?」

 「そればかりは、何とも言えないな。みっともないところは見せたくないから」

 「そ、それは酷いですよ!さんざんこっちの変な顔とか見てたくせに!」

 「門前払いできなかった時点で、君の負けだからね。悔しいなら、リベンジしてみる?体力には自信があるから、いつになるかは知れたものじゃないけど」

 などと、何やら言い合いをしているうちに、本当にお礼も何もかもがうやむやになってしまった。……なんだか、すっかり言いくるめられてしまったような。



 それから、森谷さん特製の、大変美味しい親子雑炊(鶏と卵入り)を二人でいただいて。

 前もって、鶏ガラからしっかり出汁まで取ったという、その味は大変にレベルが高くて、私は自らの料理の実力を顧みて、ちょっと途方に暮れてしまった。

 ……付け焼刃かも知れないけれど、おもてなしの予行演習は、しっかりやらなければ。

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