指を、繋いで

 あまりにも自分の恋を、内に長く抱えて来ていたせいで、色々と鈍っていたな、と思う。

 触れそうで触れない距離感を楽しんでいた部分も、本音を言えばあったし、まだ早い、などと、足を止める言い訳はいくらでも思いつけていたから、他の男の影が見えなければとりあえずはそれでいい、そんな程度に思っていた。

 だけど、戸川が早瀬さんを連れ出した時の、森谷くんのあの表情を見て、心が変わって。

 「もう十分前かー……どうしよう、一度メールした方がいいかなあ」

 ふいに、心配そうな声が飛んできたのに、ぼんやりと巡らせていた思考が断ち切られる。

 隣の助手席に座っている内野さんが、手元のスマホを落ち着かなげに操作しているのに、僕はフロントガラス越しに、施設入口の方を見やった。

 ほんの少し前までは幾らか人も出て来ていたが、今は薔薇の絡んだゲートをくぐる人の姿も見えず、辺りを見渡せば、車もほんの数台しか残っていない。左右の窓を半分ほども開け放しているせいか、夕刻に似合う、ゆったりとした音楽に合わせて、閉園時間が近いことを知らせるアナウンスが聞こえてきて。

 「そっとしておいた方がいいんじゃないかな。さすがに、あれが聞こえない、っていうことにはなってないだろうし」

 宥めるように掛けた言葉に、うん、と小さく頷きながらも、心配そうな様子でこちらを見てきた彼女に、僕は思わず笑みを誘われてしまった。

 珍しく自信なさげなその様子が、どうにも可愛くて。それに、告白した時の、どうしていいか分からないようにうろたえていた表情を、ちょっと思い出したりもして。

 「それに、首尾が上々であればあるほど、森谷くんが暴走してそうだと思わない?」

 「……すっごい納得した。里帆ちゃん、色んな意味で泣かされてないといいんだけど」

 軽く眉を寄せつつ、スマホを膝に置いていた鞄にしまった内野さんは、シートに深々と背を預けてしまうと、小さく息をついて、

 「井沢さん、今日、ほんとにありがと」

 「え、何が?ぬいぐるみのお礼なら、もうたくさんしてもらったよ?」

 そう返しながら、僕は首を巡らせて、後部座席の方に視線を向けた。あのぬいぐるみはラゲッジスペースのトノカバーの上に、ちょこんと置いてある。少しばかり不安定だとは思うけれど、振り返ればすぐに見れるから、という彼女の希望もあってのことだ。

 すると、内野さんはかぶりを振ってから、軽く眉を寄せると、

 「違うって。車のこととかもそうだけど、さりげなく里帆ちゃん誘導してくれたりとか、私のミスに付き合わせたりとかさ、もろもろ込みでのお礼っていうか」

 「ああ、そんなの気にしなくていいのに」

 早瀬さんを森谷くんと二人で行動させるように仕向けたのは、ここのところ、どうにも彼が煮詰まっているようだったからだし、忘れ物の件については放っておける訳もないし、むしろそれに便乗したような形だ。だから、早瀬さんの思惑を打ち明けてくれた時には、やっとか、とこちらも嬉しくて。

 どれも当然のことだし、簡単にそう返してみると、内野さんは口元を緩めて、柔らかく笑みを向けてきた。

 「井沢さんって、何気に人の扱いが上手いと思うんだよね。こないだ足立さんが言ってたけど、『戸川は自爆型で、井沢は懐柔型だな』って」

 「相変わらず容赦ない言い方だなあ……どっちも否定はしないけど」

 それに、戸川のそれは、『恋愛』という非常に限定された条件の元でのことだ。むしろ、あいつの年齢層問わない愛想の良さとコミュニケーション能力は、羨ましいくらいで。

 「僕はどっちかというと、相手も自分もなるべく不快にならないように、って考えて、あんまり深く踏み込めない方だから。昔から、地味にコンプレックスなんだよね」

 業務での対応にはそれなりに役立つけれど、プライベートでは必ずしもそうではない。

 事実、後になって、自分だけが蚊帳の外に置かれていたことが分かって、人付き合いに自信が無くなったこともあるくらいだから。幸い、それはもうずっと以前の話だけれど。

 そんなことを零すと、内野さんは意外そうに眉を上げてから、僕の顔をしばらくじっと見つめてきた。心の内を覗こうとでもしているかのような、どこか鋭さも含んだそれに、少し戸惑っていると、彼女はふいに目を伏せて、んー、と短く唸って。

 「やっぱさ、今まで培ってきちゃった性格ってそうそう変わらないんだよね。私も割と鈍いし、基本的に受け身なとことか、嫌になるくらい思い知ってきたし」


 ……それはまあ、確かに。

 僕が告白するまで、察してた様子も見えなかったし。


 内心でそう苦笑するものの、振り返ってみれば、人のことは言えないな、と気付いた。

 多分、あいつは言わなきゃ分かんねえぞ、と、足立さんにさんざん忠告されながらも、なかなか攻め込んでいけなかったのは、自分自身だし。

 前の彼氏と別れる前からも、飲み会では出来得る限りさりげなく近付くとか、ユースの役員に同じタイミングで名乗りを上げるとか、彼女が出る職場のイベントには、欠かさず参加するだとか、これまでに示してきた自分の好意が、言ってしまえば遠回り過ぎて。

 それでも、楽しく話せただけでも幸せで、舞い上がって、でもずっとそこまで、で。

 うっかり過去の行動(概ねひとり相撲)を思い出してしまって、なんか凄く馬鹿だったなあ、と、頭を掻きむしりたい気持ちになっていると、

 「だけど、井沢さん、めちゃくちゃがっつり踏み込んできてくれたじゃない?おかげで、ちゃんと向き合わなきゃな、って思ったんだよ」

 そう続けられて、驚いて彼女の顔を見ると、何故か避けるように目をそらされて。

 「例に出すのも変だけど、里帆ちゃんに対する戸川さん、みたいな態度取られてたら、ためらいなくはねつけてると思う。なんか、微妙に逃げ道作ってる、って感じがして」

 その感覚が、見事なまでに図星を指していることに頷かされながら、続く言葉を待っていると、内野さんはわずかにためらいを見せながらも、また口を開いた。

 「けど、井沢さんだと、こっちが逃げられないな、って思わされて……よくよく考えて言ってくれたって分かってるし、森谷くんみたいに意地の悪いからかいとかもしないし、付き合い始めたら、こっちのことを大事に思ってくれてるの、態度に出まくりだし」

 こちらまで赤くなってしまうような指摘をくれてから、彼女はぴたりと唇を動かすのを止めてしまって。

 僕の方に、気恥ずかしげな上目遣いを向けてくると、そっと手を伸ばしてきて。


 「それがナチュラル過ぎてうわあ、ってなっちゃう時もあるんだけど、そういうところ……なんか、好きですよ」


 膝に置いていた僕の手の甲に、彼女の細い指が戸惑いながらも触れてきて。

 どうしたものか、というように、探り探り動かされるそれを、捕まえてしまって。


 照れて身を引こうと動く彼女を逃がさないように、自分のそれをしっかりと絡めながら、僕は自然と笑みを零していた。

 「その言い方、可愛いな。久し振りに聞いた」

 彼女が新採でやってきて、足立さんに紹介されて、しばらくは生真面目に敬語で。

 職歴ではもちろん先輩だけど、年は一つしか違わないからかしこまらなくていいよ、と止めてもらって、後はずっとタメ口で来てたから、好きになっていった頃を思い出して。

 そう言うなり、内野さんはさっと頬を染めて、それを隠すかのように、膝に置いた鞄に顔を埋めてしまった。

 「あー、もうなんでそんなこと言うのー!恥ずかしさを緩和しようと思ったのにむしろ逆効果とかー!」

 「ごめんってば。でも、これからも、たまに言ってくれる?」

 「……それ、敬語で、ってこと?」

 「どちらでもいいよ。その中身が重要なんだし」

 特別な言葉を、君からくれるのなら、それだけで望外の喜びで。

 そんなことを考えていると、絡めた指をくい、と引かれて。


 「……だったら、私だって、欲しいんだけど」


 うつぶせたままの、囁きほどの声に、誘われるように身を屈めて。

 左右にさらりと流れた、黒い艶やかな髪を掻き上げてしまうと、薄く色づいた耳朶に、僕は望まれた通りの言葉を、そっと落としてみせた。



 それから、二人がやっと車に戻ってくるまで、幸い十分に落ち着くだけの時間はあって。

 連休が明けて、ふと気になって、足立さんに『森谷くんは何型でしょうか?』と尋ねてみたら、即座に『猛進型』と返ってきたのだが、


 「早瀬は、パニくると『猪突型』だから、ある意味バランスとれてんじゃねえか?」


 と、流れるように続けられて、あっさりと腑に落ちてしまった。

 ……付き合い始めたら、少しは攻め方が穏やかになるのかな、森谷くん。

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