白魔法のあるべき形

 私の好物は他人の不幸である。友人の不幸ならなおさら美味である一方、自分の不幸は断固拒否する構えを崩さない。


他人の不幸は蜜の味どころではなく、至上の幸福だ。例えば、いまは平日の朝、通勤ラッシュの真っただ中である。駅の通りに面したカフェの2階から、駅へ向かう人々は死んだ目をしている人ばかりだ。私も普段は死んだ魚のような目だが、このような光景を見るときらめく。なんて私は自由なんだろうか! 何でもできるぞ!


 やがて、いくばくもしないうちに、私も単位や卒業要件、恋人と同じように全くめどのたっていない将来などにがんじがらめになっていたことを思い出して死んだ魚の目になった。目から熱い涙がほろりと落ちる。


「私を全身全霊支えてくれる、黒髪乙女の恋人さえいれば、卒業できなくて無職のままでも構わない」




 魔法は世紀の大発見であった。それは間違いないが、魔法の発見及び発展よりも、我々人間の妄想の方が遥かに進歩していた。いまのところ魔法によって時間を巻き戻して歴史を改変したり、異性の心を意のままに操ったりということはできていない。もしかすると、パーソナルの魔法でそれに近いことをできるものが、世界のどこかに存在するかもしれない。


 その魔法使いは、赤い糸が結ばれる瞬間を何度も繰り返して異性との絆を強固にしたり、街行く中でみかけた好みの女性を手籠めにして人生を謳歌しているに違いない。ちくしょう、非道な! そして羨ましい!


 私が実在するかどうか定かでもない魔法使いに対して、あふれんばかりの正義感をさく裂させている間にも、大学では是が非でも出席せねばならなかった講義が絶賛開催中であった。この講義の教授は時間に厳格で、1分たりとも遅刻を許さない、鳩時計みたいな先生だ。今さら出席するために突入するのは、自ら深く掘った落とし穴に身を投げるようなセルフ土葬の様相を呈しかねない。


 それもこれも清介と史郎のせいである。



 昨晩、私は居酒屋「じゃがいも」にいた。ここは大学生ご用達の居酒屋で、個人経営ながらも安くてうまい料理をふるまう。その一方で、オリジナルブランド清酒「ぴえろ」で、あまたの学生を地べたに這いつくばらせた実績をもつ硬派な居酒屋だ。私、清介、史郎はこの居酒屋にあつまり、むさくるしく料理をつつき、酒を舐め、この世の行く末をなげいていた。


 私たちが憂慮ゆうりょすべき問題は、間違いなくこの世の行く末よりも、自身の単位取得状況と進路のことであるのは明白であった。だが、その問題と向き合うことは、各々おのおのの心の奥深くをえぐりとられるだけであったので、直面している問題から全力で目を背けることは暗黙の了解となっていた。



「つまるところ、今のこの国の問題は若年層の意識にあると思う」

 私は、中身がありそうで、何もないことを言った。これは、スケールの大きすぎることを言えば、誰もがどこから突っ込んでいいのか途方に暮れるという、話を煙に巻くための高等テクニックである。


かおるは、どうすればこの国が良くなると思うんだ?」

 史郎は既にアルコールの応酬から離脱して、パフェをつついている。


「貴君、この国の行く末など私は案じていないのだよ。いずれ国境はなくなり、人類は種族や国ではなく、人類としてアイデンティティをつくるようになる。しかし、いまの若者はやれクリスマスだ、ハロウィンだとかこつけて、異性といちゃこらすることだけに捕われている。これではあまりに視野が狭く、浅いと思うのだよ」


「そうは言うけど、先生だって恋人を創造するためにアパートにこもって出歩かないだろ。五十歩百歩なんじゃないのかねぇ」


「そこにこそ真の問題があるのだ。うら若き女性たちが私の魅力に一切気づかない。これは大きな損失に違いない。そうであってくれ」


 史郎はパフェをつつきなが笑う。

「それはないない。俺たちにはそもそも魅力がない上に、更にしょうもない魔法っていう不良物件まで抱えている。

 薫はすごい魔法をたくさん使えるけども、恋人を出現させる以外に使う気がない。清介はそもそも自宅でしか魔法を使えない。

 俺にいたっては、健全な精神や正義感の持ち主の前でつかえたもんじゃない。あっという間にセクハラだ。むしろ魔法なんかない方がよかったのかもな」


 私はいささか心外であったが、おおむね同意せざるを得ない意見なので何も言わなかった。むしろ、私の魔法がパンツの柄を華やかにするというだけのものであることが露見していなかったことに安堵して、偉大な魔法使いを演じることを優先させた。

 

「自宅でしか使えないだと!? 俺が先生から習った魔法でらしめてやる!」


「依り代ももってないくせに何ができるんだ」


 清介は氷の容器からマドラーを取り出し、史郎に向かって突き付けた。

「目に物をみせてやる」

 やれやれ、私の出番か。

「貴君、私が変わろう。史郎、今日の君の言動には目に余るものがある。いま酒の場にも関わらず、一人で独占しているパフェもそうだ。すこしお灸を据えてやらねばならん」


 私はマドラーを清介から奪い、史郎へ突きつけた。

 

『ウィンガーディマルム・レヴィオーサ』


 私が呪文を唱えマドラーをひょいと回すと、強大な攻撃力を秘めた名物清酒「ぴえろ」のビンが宙に浮き、史郎の口に突き刺さり、強烈な味の日本酒がなみなみと彼の奥深くへ注ぎ込まれた。正確には、呪文に合わせた清介がビンを持ち上げ、無理やり飲ませた。あいにく私は、物体を宙に浮かせる魔法など使えないし、あるのかどうかも分からない。


「うげぇえぇえぇ…」

 パフェと日本酒という和洋折衷わようせっちゅうを体現せしアルハラを受けた史郎は、顔を真っ赤にして倒れ込んだ。倒れ込みながらも、依り代である卑猥成人誌の入ったかばんを胸に抱えていた彼の姿に、私は感銘を受けた。そこまで卑猥図書を肌身離さないほど変態なのか。






 こんな私であるが、かつて異性との接点は意外にも豊富であった。問題は、その異性たちが私の魅力に気づかず、頑として恋に落ちなかったことだ。まるで受験にご利益のある神様かのように一切合切、落ちなかった。

 そこで私が押してみても引いてみても、最終的に私は「変態侯爵へんたいはくしゃく」の称号を賜り、交流ある女性たちから一目と漏れなく距離を置かれた。



 変態侯爵という、公爵に次ぐ結構な高い位を授かったのは、「生命が誕生するまで博士」という、理科の単元名をふんだんに取り入れた、自他ともに認める実績があったからだ。中学時代、筋肉の鍛え方の理論や、栄養の使い道といった保健体育の学科試験があった。分野別の成績を見ると、低空飛行を堅固に維持している他分野に対し、性的な分野の得点率があきらかに突出していたのだ。というか満点であった。



 だが、これだけをもってして変態というのはいかがなものか。興味ある分野にこそ精を出して、一心不乱に取り組んできたものこそが人類の歴史に名を残した。

 

 ライト兄弟は空を飛ぶことを夢見て取り組み続け、初の有人飛行に成功した。成功へ導いた要因は、彼らがマオ兄弟にそっくりだということだけではないだろう。研究が好きで没頭してノーベル賞を授与されたり、すべてのエネルギー源は、「好きだから」というシンプルで最も強いモチベーションである。私が保健体育の成績がズバ抜けていたのは必然の成り行きであった。


 そして、そのモチベーションが間違った方向へと伸びていったことによって魔法を発見したのである。

 


 思えば、「魔法を発見した」といってもその道のりは平たんではなかった。自分のパンツの柄がバラに変わっていることに気づいてまず疑ったのは、自分の正気であった。何度試して、何度見ても、何度なでてみても、そこには無数に咲き誇るバラがあしらわれた、ファンシーグッズ売り場に並んでいても違和感のない我が下着である。


 いよいよこれは、パンツの柄が瞬時に変化した、と確信した私は、次に何らかの病を疑った。

「純粋な心が眼球まで侵略して、私の目に映るパンツは、全てバラを伴って見えるのでないか?」という仮説は、他になんら柄を変えていない私の下着たちによってただちに棄却ききゃくされていた。そうなると、未だ人類の知らない奇病なのかもしれない。そんな訴えを医療施設の外来でしたところ、速やかにカウンセリングを受けるようにとの指示が来たので、私は医療を早々に見限った。


 次に、科学捜査研究所で実験を行った。既に結審している事件の、数々の証拠下着を片っ端からバラ柄に変ることに尽力するという力技にでた。しかし、自分の力が尽きるよりも前に、次々と花柄に染まっていく証拠品を静観せいかんしていられない研究者たちによって制止された。


 それからは、数々の名のある科学者・研究者・機関らが、私が魔法と言い張る現象のトリックを暴こうと試みた。でも、考えても見てほしい。何かの技術を私が有し、それを意のままに操れるのだとすれば、そもそもトリックを仕掛けてまでパンツを花柄にはしない。もっと異性から黄色い悲鳴を上げる可能性が高い、見栄えのいいトリックを演出をするだろう。いくら股間にバラをあしらったところで、くじゃくではあるまいし、異性は寄ってこない。結局は、魔法の関与しない、人間の魅力自身こそが、異性を惹き付ける唯一の武器なのである。


 研究は不断なく昼夜続けられたが、ついにパンツの柄が瞬時に花に彩られるという現象の真相は解明されなかった。やがて科学は敗北を喫し、現実を現実として受け入れ、「魔法」と名付けられた。現象の真相はついに解明されず、「なぜ彼はかたくなにパンツの柄を変える魔法しか我々にみせないのか」という謎とともに、世の中に送り出されたのだった。




 何ら実りもない真夜中の会合は、店の大将が嫌な顔を隠さなくなるまで続いた。やがて時計が4時を回り、私たちの脳みそもフワフワと回っていたところで店を叩きだされた。

 ここに紅一点でもいれば無数の発展があろうが、いるのは卑猥図書付きの3人野郎である。まるで町内会での連帯責任でも持ち合わせているかのように身を寄せ合い、何の希望もなかった。


 「俺たちだって魔法使いの端くれだ。魔法スポーツをやるべきだ」

 成人誌を抱えた史郎はそうつぶやき、店のはす向かいにある公園へと走り始めた。私たちは後を追ったが、公園についたときには、彼はすでにホウキにまたがった後だった。


「さぁ、お前らも乗れ! 始めるぞ!」

「貴君、いったい何を始めるというのだ。ホウキにまたがったところで空は飛べんよ」

「俺の入院見舞いに来なかったことも忘れたか!」

 

「ごたくはいらん! 正々堂々と勝負しろ! そこのブランコの間、ここの滑り台ゲートがゴールだ。何の魔法を使っても構わん。終了は逃げる小さな黄金のボールを誰かがつかんだときだ!」


 しかし、当然のことながら暴れ玉はおろか、やり取りするボールすらもない。言い出した本人も含めて途方に暮れていると、ホウキにまたがった史郎が静寂を破り、「うぉぉ!!」と声を荒げながら清介に突進していった。


 ホウキにまたがったところで飛べはしないので当然である。己の鍛え上げているであろう脚力に頼る以外にない。そのことは、いま攻撃を受けている清介が痛いほどに分かっているはずである。


「何をしやがるこの、さくが!」

 

 最後に『抜け作』というフレーズを耳にしたのはいつだったろう。私が感慨深いものを感じている間、清介と史郎は手加減して殴り合っていた。

 友情などという甘ったるいもののためではない。彼はホウキにまたがっていたため、常に片腕でホウキを支えねばならず、力が入れられなかったのである。さらに彼らは酔っぱらっていた。魔法使いなのに肉弾戦にくだんせん 。不毛とはこういうことである。やがて、私もその誇り高き戦いに巻き込まれ、記憶を失っていった。


 記憶は失ったが、さらに人生の先行きに暗雲が立ち込めたという確信だけは深まった。やがて目が覚めたときには既に講義が始まっていた。


 今さら急いでもどうにもならないし、過ぎたことについて悩んでいても仕方がない。駅のカフェから見える古書店に立ち寄り、読みこまれて色あせた文庫本をぱらぱらと眺め、講義が終わりって完全に諦めがつくのを待った。それからファストフード店で軽食を腹に詰めて、アパートへ帰って寝た。


 魔法を使ってだとしても、自分を労わってあげられるのはほかでもない、自分だけなのである。


 自分を癒す白魔法なんて、あるのかどうか知らないけれど。

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