第1章 魔法のある風景
瞬間移動とか無理である
「なぁ、
清介の言う「先生」とは他でもない。魔法の発見者であり、確実に歴史に名を刻みながらも不毛な魔法によって最前線からの退却を
清介は私を先生、と呼ぶ。彼は、どうやら私が魔法によって運命の恋人を生み出す一歩手前まできているものと思い込み、私に
なぜ彼がそのような重大な過ちを孕んだ思い込みをしているかというと、それは私がいかにも恋人が生み出せそうだと
彼は、魔法の開拓者で、純粋に己の欲望のためだけにその道を追求して、確実に成果を残しているという私を
しかし、現実の私は、未だ恋人出現の目途は一切立っておらず、バラ柄のトランクスコレクションだけが着実に増えていっていた。
「そもそも清介は依り代を持ち歩けないだろう。己の私有地という限られた土地の中だけで魔法を修行しても、まだまだ恋人を創造して幸せな人生を送るにはあまりに拙い」
彼は、依り代が日本刀である。なけなしの財産をはたき、両親への涙の土下座によって
私の依り代は万年筆なので、持ち歩きに何の苦労も要さず、どこでも好きに魔法が使える。しかし、自由に自分の下着をバラの柄に変えることが、自分の人生の何に資するのか。その深い問いの答えは私が教えてほしいくらいである。
「せっかく覚醒して依り代まで用意したのに、こんな仕打ちはあんまりだ」
「まぁ、貴君。そんなに嘆くな。来たる幸せも逃げてしまうぞ。私がごちそうをふるまってあげるから気を直せ」
私は冷蔵庫の中から半分ほどになってラップにくるまれている魚肉ハンバーグを取り出し、包丁で適度な大きさに切り分けた。そして再度、ラップに包んで、上から万年筆で十字に空を切った。するとたちどころに魚肉ハンバーグはじゅうじゅうと音を立てて、焦げ目がついた。
「いいなぁ、先生は。俺も自由に魔法が使えれば、意のままに美女を生み出してハーレムを建造できるのに」
「馬鹿をいっちゃいかん。そんな私利私欲と欲望に目がくらんでいるから、そんなことになるんだ。私を見ろ。長年の刻苦勉励によって鍛えられた知性が万年筆となって現れたに違いない」
私は、秋は月の灯りで、冬は雪の灯りでと勉学に励んできた。しかしそんな努力をあざ笑うかのように必要な単位はするりするりと私を通り抜け、早くも卒業が危ぶまれるという実績がある。
こちらは熱狂的に求めているのに、思い通りにならなずに自由に成績表を駆けぬける科目評価たちは、どこか清楚な黒髪乙女たちに似ている。そんな思索を重ねているうちに、私の大学生活にはドス黒い空気が蔓延し、出口の見えない荒野でふらふらとさまよっているではないか。
そろそろ自分でもまずいと思い、魔法を使って、みるみるうちに単位を取得し、実績のあるゼミに潜り込んで、安泰の企業に就職しようとしたが、そんな魔法は存在しないらしい。
「できれば目玉焼きもつけてほしい」
トーストを万年筆で焼いてい私に清介は言った。やれやれ。私はフライパンに油を敷き、卵を4つ落として焼いた。それからコーヒーを沸かし、朝食をまとめて清介にふるまった。
「さて、目玉焼きには何をかける?」
「俺は昔から目玉焼きには塩コショウと決めている」
「承知した」
私は万年筆を清介の目玉焼きの上で軽く振った。すると、そこからは塩コショウがぱらぱらと落ちてきた。
「しかし、なんで平日の朝っぱらから男とこうしてシャーロック・ホームズみたいな朝食をとっているんだろうか」
「貴君、塩コショウの願いまで叶えてやってその言いぐさは許し難い。本来ならばいまごろ必修科目の講義に出席しているところを僕は付き合っている。さっさと食べたまえ」
この世の真理は一言に尽きる。すなわち「
しかし、これが私の友人、史郎であったらどうであろう。朝っぱらから公衆の面前で卑猥な成人誌を振りましてパンや卵を焼き、塩コショウを振る。何からでてきても魔法で調理したものなので味に支障はないとわかっていても、どこかピンク色の料理に見えてしまい、彼の持ち歩く成人誌によって噴出する鼻血が華を添えての食事になるであろう。
考えられないことであるが、いつか万一、史郎に恋人ができて、デートにこぎつけたとしよう。これはあくまで、シュレディンガーの猫のような思考実験である。確率論的には、実現の可能性は限りなくゼロに近いことに大きく留意してもらいたい。
オシャレで夜景のきれいなレストランに恋人を誘う。そのときに、男性は暗黙のうちに女性をエスコートしなければならない。
しかし、魔法が普及した今となっては、手取り足取りのエスコートはかえって野暮である。ベーシックフィールドの魔法で、さりげなくエスコートすることがスマートなのだ。しかし、魔法を使うには依り代が必須であるから、すなわち彼はエスコートの度に卑猥成人誌を取りだなければならない。
さりげないエスコートをするにはあまりに自己主張が強すぎる依り代であり、かてて加えてデートに最適なロマンチックな場所であればあるほど、彼の依り代は映える。これは女性からすれば
先に断ったとおり、あくまで思考実験なのにこのありさまである。そもそもうら若き女性とのデートにこぎつけるまでに天文学的な確率しかない先に待ち受けるのは、彼の依り代、すなわち
私と清介は朝食を終え、アパートを出た。いまさらどんなに急いだところで講義には間に合わず、出席カードももらえはしないだろう。残された手は魔法による「瞬間移動」しかない。
「私は瞬間移動でまだ講義に間に合う。それでは清介、また会おう」
「待ってくれよう、そんなことができるなら俺もいっしょに連れてってくれよう。ほんとにこの講義を落とすとまずいんだ」
ならば私のアパートなどに寄らず、とっとと講義へ出席すべきだったのだ。
「すまないが瞬間移動は魔法を使用した本人にしか効果は及ばない。誰かを連れて行くことなどできるものか」
「そんな薄情な。先生、頼むよう」
「しかし、私にはどうすることもできない。仕方ない、私は単位よりも友情を重んずる。君と一緒に欠席しないわけにはいかなくなったぞ」
私は必修科目への出席を断腸の思いで欠席することにしたが、そもそも腸を断つまでもなく、私は瞬間移動の術など知る由もなかった。
私たちの日常は、謎が謎を読んで成り立っていた。魔法に覚醒した人間、すなわち魔法使いを見ても、何ら普通の人間と変わらない。ほうきにまたがって浮揚して移動したり、おごそかであったかそうなローブでも着ていれば分かり易い。しかし、そんないでたちをしていれば、空中へホウキで浮く以前に世間から浮いてしまう。
魔法使いを見分ける手段は、持ち物を観察することだ。依り代はいわば天啓のもので、自分で選ぶことができない。自分で選ぶことができるならば、すくなくとも卑猥な成人誌を好んで持ち歩くような色欲権化に進んでなる者はいないだろう。
すなわち「なぜ、そんなものを?」というものを身に着けている人間は、魔法使いであることが多い。逆に、違和感のないものが依り代である魔法使いこそが、非常に見分け辛いのだ。私の場合はこのケースにあたるし、そもそも清介は銃刀法という法的拘束力によって依り代を持ち歩けない。
しかし、史郎のような卑猥成人誌が依り代で有る場合は、人の目を欺くために、カモフラージュを試みている場合もある。史郎は難解な本や洋書のカバー、中身をくりぬいた辞典などを駆使して、自身の依り代が放つピンク色のオーラを押さえ込もうとした。しかし、どれだけ外側を知的に見せようともひとたびページをめくれば、男性・女性がくんずほぐれつのオンパレードであり、外側とのギャップがより一層、卑猥さを引き立てる悪循環となってしまった。そして辞書は、持ち運びに苦労した。彼はついに諦め、正々堂々と歩くわいせつ物陳列ショーケースとなったのである。
そもそも自分の魔法の全容を他者に知られることは致命的であった。パーソナルの魔法を把握されるということは、自分の首根っこをつかまれたも同然である。それ故に私は、いくつもの強力なパーソナルフィールドの魔法を有するかのような言動を振りまいていたし、それは他の人も同様であった。
この世界は、謎が謎をまとって成り立っている。もはや真実は私にもわからない。能ある鷹であった私は、自分の爪を大事に大事に深くしまいこんだ。いまはどこにしまったのか自身も忘れてしまっているだけである。そう思い込んで、偉大な魔法発見者を演じつつ、パンツをバラ柄に変えてきながら、自分のすすむべき道をみうしなっている。
「このままではいけない」
必修科目の講義を諦めて、晴れ晴れとした表情の清介をみながら私はつぶやいた。
あくまで偉大な魔法使いを演じる、その一環として。
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