序Ⅱ 私と魔法

 急がば回れ、ということわざがある。本来の目標・目的を成し遂げんとするときは、危険を含む近道を行くよりも、遠くとも着実に歩める本道を歩むべし、という先人の教えである。


 生涯忘れないであろう、初めてつかった魔法の効果は私の海馬あたりに深く刻み込まれた。同時に、こころのやわらかい部分にも、V字彫刻刀的なものでえぐられるような傷を負ったことは論を待たない。


 私の本来の目的、すなわち「清楚な黒髪乙女の恋人をつくる」という大義に向かって自分のパンツの柄をバラに変えることが、どんな着実な道だろうか。


 回っていることはだけ確かだが、道のり的には一歩も進めていないと、私の直感が警鐘けいしょうを鳴らす。初めの地点でぐるぐると急いで回るばかりで、少したりとも目的の実現には近づいていない。むしろ遠ざかっているような気配が濃厚のうこうに立ち込める。


 魔法は偶然、私によってこの世界にもたらされたが、黒髪乙女も出現させられないような魔法が何の役に立とう。そして、そもそも魔法というものは、私たちがさまざまなフィクションの中でたくましく育ててきた妄想に過ぎないということが分かった。


 まず、魔法にはベーシックフィールドと呼ばれる領域と、パーソナルフィールドと呼ばれる2つの領域から成っている。ベーシックは、魔法能力に覚醒したものならだれもが使える魔法を指す。しかし、それは他愛もない魔法しかないようだ。


 次にパーソナルは、個人の資質によって大きく左右される魔法である。手に雷を纏わせたり、炎を吹き出したり、非常に発電や調理に相性のよさそうな魔法もある。人を傷つけること、死に至らせることも容易な威力を秘めている魔法も多く、国の当局によって厳しく管理されている。


 しかし、「大帝」と、その手下である魔物たちを調伏するためには、この協力なパーソナルの魔法の力が必須となる。そこで国は、強大な力をもつ魔法を自在に扱え、かつ人格に問題のないものたちを、対魔道隊たいまどうたいとして日々、激しい戦いを繰り広げているらしい。



 らしいというのは、私自身の魔法能力があまりにも優雅かつエレガント過ぎて、戦場に似合わない。換言するなれば役に立たないことから、そのような世界を守るヒーローたちの戦いとは全く無縁だからである。

 もっか、私が立ち向かうべしとされていた敵は大学の単位であり、難攻不落の四天王として名を馳せ、次々と学生たちを単位不足という荒野に突き落とした教授たちであった。


 日々、それぞれの人間が、それぞれの身の丈に合った相手と対峙している当たり前の世界である。私が、この退廃的ラグナロクの最前線にはせ参じれば、たちどころに争っているものたちの下着を、トランクス・ブリーフの分け隔てなくバラ柄にしてくれよう。


 しかし、残念なことに、おどろおどろしい形相をした魔物たちは、下着など履いていなかった。私が、死力を振り絞って貢献しようとしても、味方たちの下半身の士気を下げることには大きく貢献するものの、それ故に圧倒的に敬遠されたのである。もはや私が魔法を発見したという功績すら霞むほどの威力であった。



 魔法使いと言えば、手紙をフクロウで送る姿を思い浮かべるかもしれない。しかし、そもそもフクロウは猛禽類であり、非常に飼育が難しい上に、高価である。手紙を出すのであれば、ブルジョワジーにしか手が出せない危険で、寿命もある動物よりも電子メールの方が圧倒的なパフォーマンスを誇る。

 秘匿性が高い場合には、多少日数はかかるが、郵便で出す方が確実に相手のもとに届くのである。


 この私が変えた世界を覗こうとする諸賢に、私は忠告しなければならない。まずはこのように固定されたイメージと実際のギャップを粉砕しておかなければならないということだ。


 まず第一に、依り代だ。魔法をこの世界で発動させるためには、自分の内なる力と外の物理法則をつなぎあわせるための依り代が必要になる。私の場合は、この依り代が万年筆であった。依り代は人によって異なる。私のように筆記具の人もいれば、アクセサリー、調理具、洋服、なんでもあるが、なんであるかは魔法の覚醒、すなわち夢の中で「人ナラザル者」から示されなければ分からない。

また依り代は与えられるものと、自前で用意すべきものとがあるようで、全て与えられるとは限らない。魔法の世界でものっぴきならぬ経済事情があるのだろう。


 また、この「人ナラザル者」の正体もよくわかっていない。私の場合は「大帝」であろうと予測されるが、姿かたちはわからない。ある人は初恋の人の声であったといし、ある人は亡くなった親類であったともいう。中には、グラビアアイドルであった、という剛の者もいるが、その真偽は定かではなく、いまだ明らかになっていない。私たちに魔法を授けるその目的すらも、謎である。



 私の第一の友人である清介せいすけは、依り代が「日本刀」であった。その話を聞いた私は、覚醒に興奮する清介を目の前に、かっこよすぎて羨ましく、涙を飲んでいた。

「なぜにお前はそんなかっこいいものが依り代なのか! そんなかっこいいものが依り代など、我々には似合わない!」

 私は彼を断罪したが、そんな声はどこ吹く風で、彼は速やかに両親に土下座を繰り出し、多額の借金をして刀匠に日本刀を打ってもらった。

 しかし、どれだけ魔法が隆盛を極めようと、我々は理性あるヒトである。彼の「一世一代の財産をつぎ込んだ依り代」は、銃刀法という法治国家たる法の力によって、あえなく没収の憂き目にあいそうになった。


 彼はしぶしぶ日本刀所持の登録を申請し、国はこれの所持を許可したが、そもそもむやみに持ち歩くことはできなくなってしまった。


 また、逆の極端な例もある。悪友である史郎しろうは、あろうことか依り代が「熟した女性を特集した成人誌」であると伝えられた。何の冗談かと思い、夢の中で何度も問い直したが、「人ナラザル者」はガンと譲らぬ。それどころか、40歳以上、50歳以上、人妻、などとどんどんハードルがあげられていったことに恐れおののき、為すすべなく依り代を了承したという。


 故に、彼が卑猥な図書を絶えず持ち歩いているのは、決して変態だから、という理由だけではない。止むに止まれない事情と自分の性癖が一致して、公私問わず持ち歩いているのである。


 しかし、依り代とパーソナルの魔法は、まったく関係はない。あくまで発動させるための媒介でしかないのだ。彼の卑猥成人誌から繰り出される魔法は、それはそれは恐ろしい魔法であるのだが、彼がその魔法を使ったときには、必ず彼の名誉もまた傷ついていた。 




 第二の特徴として、魔法は人を選ばない。映画や物語の中の魔法使いは、老かいで威厳のある者か、若ければかっこいいか、美しい人がほとんである。しかし、現実の世界はハリウッドスターばかりが生活しているわけではない。不細工・美形の分け隔てなく、覚醒して依り代をつかんで多少の修行をすれば、誰でも魔法は使えた。美形の者がほうきにまたがって高速で飛べば、絵にもなろう。しかし、残念な人がそれをやれば、「空飛ぶ不細工」という以外に形容のしようがないし、見てる方も何ら得をしないどころか、不快感しか得られない。


 また、偶然の産物によって魔法が凄まじい威力を発揮することもある。一つの例であるが、テンプテーションという魔法がある。これはセクシャルな魅力を魔法で倍化して相手にくらわすというものであるが、この魔法は美しい女性の魔法使いが使う、とは限らない。


 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男性がこの魔法を使って私にくらわせた場合、はからずも私は魔法が解けたのち、可及的速やかに、記憶がなくなるまで岩肌に頭をぶつけ続けることだろう。

 魔法は人を選ばない。この第二の特徴をしっかり胸に刻み込んでおいてもらいたい。



 第三の特徴は、魔法とは他愛もないものが多いということだ。私たちの魔法のイメージは、ほとんど固定化されている。先ほど、あえてほうきにまたがって飛ぶ、というフレーズを出したが、これもその一種だ。魔法使いといえば、ホウキにまたがって飛行する。その先入観の一切を捨てよ!! 覚醒した清介は、どこから買ってきたのかフードつきで深緑のローブを身にまとい、アパートの屋上へとあがり、ほうきにまたがって「いざ、大空へゆかん!」と飛び出した直後に、私は救急車の出動を要請するはめになった。

 物理法則とはよくできているもので、エンジンなどの推進力を一切もたないほうきは、いわば全裸に等しく、それにまたがったところで自由自在にとべるほど甘いものではなかったのだ。



 しかし、今の段階ですべてのことが判明しているわけではない。魔法の第一発見者である私が言うのであるからまちがいない。まだまだ魔法には未知の可能性が秘められている。いや、秘められていなければならぬ。そうでなければ、私の黒髪乙女獲得計画が水泡に帰してしまう。

 いまの世界は争いに満ちているが、魔法に覚醒できていない人や、何の役に立つのか皆目見当もつかない魔法の使い手はお呼びでないのだ。


 当然のこととして、見ていないものは書けない。そのため、魔法バトルを期待してこの手記を読んでも、何ら期待には応えられないであろう。魔法のエリートたちの主戦場が、「大帝」たちとぶつかる最前線であるのならば、私の主戦場は自分の6畳とわずかのスペースのアパートと、大学及び近隣区域のみなのである。


 ちくしょう。私も最前線で活躍すれば、黒髪乙女に見初められる機会もあるかもしれない! しかし、無差別パンツテロを魔法で引き起こしたところで、味方の足を引っ張る以外に活用が見いだせない。

 私に与えられた使命は、暴利をむさぼった授業料から、単位という見返りを必死の形相で取得することなのだ。


あえて最後に告白しておこう。いくら言葉をろうしてみても、自分の気持ちに嘘はつけない。

私は寂しかったのだ。人間は辛い現実を生き抜く上で、三つの愛を要する。すなわち、家族からの愛、友人からの愛、そして異性からの無償の愛である。


この三つがそろって、初めて自分が世界から必要とされていることを実感できる。

私は欲を張り、単位や安泰大企業からの愛まで求めてしまった。それらは容赦なく拒絶されている。


私は、この世界で生きる理由となる愛を欲していた。


ちなみに、理想のタイプは黒髪で清楚で、猫っぽい女性だ。くわえて、私にだけ心と足を開いてくれる女性がよい。

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