決意の朝

 6畳一間に我々はひしめき合っていた。


 我々というのは、言うまでもない。清介、史郎、私、そして結子さんである。

 サークルの覇権を握っているはずの彼女が、私の聖域に鎮座しており、その異様な風景に清介と史郎は恐れおののいていた。むろん、私も戦々恐々せんせんきょうきょうである。


 なぜ異様なのか。想像してもらいたい。高校3年生で誕生日を迎え、18歳と化した私は、大人空間にデビューした。大人空間とは、レンタルDVD店の一角に存在する大人限定の空間である。


 その空間の出入り口は、両手が描かれた垂れ幕が「ダメ!絶対!」みたいな勢いで、徹底的に18歳未満の者たちをシャットアウトして、堅固な守りを固めている。


 しかし、そこへ足を踏み入れる資格を、苦節18年間かけて得た。高尚な知的欲求に駆られ、何が待ち受けているか分からない空間の謎を解かんと踏み入れた私は、次の瞬間からその空間のとりこになっていた。


 古今東西の猥褻メディアの結集された空間で、私はおおいに観察することができた。その空間では、他者と交わらないことがマナーであり、誰にも邪魔されずに私は思索にふけることができた。



 しかし、そんな静寂せいじゃくも時として破られることがあった。カップルの侵入である。

 彼らの存在により、当該空間の中は非常にシビアなものになる。恋人という存在がありながら、他の女性の裸の姿を二人そろって鑑賞かんしょうし、時には談義だんぎまで始めたりもするのである。



 世の中は、やれヘイトスピーチだの情報格差だのが溢れている。しかし、「資本主義による所得格差などなまぬるいわ!」と言わんばかりの格差にさらされることになる。


 日本国憲法は、幸福を追求する権利を、平等な人権を護っていたはずではないのか。我が国の崇高すうこうなる精神なぞどこ吹く風で、とてつもない格差がDVDレンタル店に日々生み出されている。



 かくして、私、清介、史郎という三者三様の猥褻物わいせつぶつの中に、結子さんがいた。その状況と意図が理解できず、我々は恐怖していたのである。


先生せんせ、なんで彼女がいるんだ!?作戦会議じゃなかったのか!?」


 我々はあくまでも標的に対して無知である。それでは到底、恋人などできようはずもない。いくらコンサイ(コンピュータサイエンス研究会)の覇権はけんを握っているといっても、彼女は女性である。学べることは多いはずだ。


「薫、でも女性がいると…。やりにくくない?」


「先輩方、すみません。私はディズニーリゾートへ行きたいだけですので、その他のことは黙っています。どうぞ、不毛な計画の詳細を詰めてください」


 もっと寛容かんような心を持たなければならない。彼女は、いくらサークルに出席しない我々の責任を容赦ようしゃなく追求してきたけれども、かわいい後輩である。


 考えてもみろ。東京くんだりまで出て行って。可能性としては相当に低いが、万が一、計画が失敗してしまったとき、我々は誰になぐさめてもらえばいいのか。


「計画に失敗して、一生持続効果のありそうな独身術を発動してしまった先輩方同士で慰めあえばいいでしょう。私は関係ありません」


 あぁ、いま清介と史郎の心が折れたな。ぽきぽきぽきっと小気味よい音が聞こえた。最後のぽきっは、むろん私の心が折れた音である。私は下半身をあらわにしてティッシュを握っているわけでもないのに、賢者と化してしまうかもしれぬと思った。


 さて、気を取り直して確認しよう。集合場所は空港出発ロビーのゲート前、所持品は己の魅力を引き出す何かを各自、依り代など…


「また俺だけ丸腰かよ。史郎は卑猥図書は飛行機の中に持ち込めるのか?」


「X線で雑誌というのは映っても、何が掲載されているかまでは見れないよ。まったく問題ない」


 まったく問題ないわけがない。人が公私問わずに卑猥図書を持ち歩いていたら、それは本人の精神的にも社会的にも大問題である。


「そういわれても依り代だから仕方がない」


 卑猥図書を持ち歩く大義名分を得ているとは、名誉なことである。法の下に出版されているものなら問題ないではないか。それよりも計画の詳細である。


 まずは朝一番でインパークしたら、それぞれのフリーパス券を足の速く、体力のある者に渡す。

 フリーパスを託されたものは、全身全霊をかけてビッグサンダー・マウンテンまで走り抜け、ファストパスをゲットする。


「パーク内を走ることは禁止です。マナーを守ってください。そもそも先輩たちは行く目的からして人道から外れているんですから」


 では、パスを託された者は競歩でビッグサンダーマウンテンを目指す。それ以外の我々は、私を筆頭ひっとうに、「グーフィーのペイント&プレイハウス」に向かい、列に並ぶ。


 そしてファストパス取得者とともにアトラクションを楽しみ、ファストパスの指定時間までミート・ザ・ミッキーに……。


 計画の詳細を詰める男三人会議は紛糾ふんきゅうした。私は華麗かれいかつ自在に前言を撤回てっかいし、清介は依り代ももたないことで私たちから無能呼ばわりされ、史郎は自分の卑猥な依り代のカモフラージュ方法の模索もさく腐心ふしんしていた。


 はやい話が、一向に結論がでないのである。それどころか、結論というものが存在するのかどうかという懐疑論かいぎろんに差し掛かったところで結子さんが言った。


「どうもがこうができる人はできるし、できない人は何やったってできないんじゃないですか?」


 そんなありがたい言葉を頂戴ちょうだいした清介の顔は、どことなくスフィンクスにそっくりであった。


□□□


 は既に暮れていたが、私たちの欲望と期待とイマジネーションは沈むことなく、輝き続けた。

 そしてそれを結子さんは、汚物をみるような眼で見つめ続けていた。計画の詳細が決まり、我々は安堵した。


 もうこんな時間か。夕飯を食べねばなるまい。私たちは洋食屋「るぷら」に向かって、4人で夕食をとった。

 結子さんの分は、私が払った。なぜならば、彼女には致命的な弱みを握られていたからである。


 ラッキーセットという定食を頼んだ。ごはん、みそしる、香の物、ハンバーグ、チキンカツ、店名物のクリームコロッケ、サラダのセットである。


 私は私が分からなくなった。自分を見失ってしまったのである。もしかすると百地浜ももちはまの博物館にでも展示されているかもしれない。


 定食をもくもくと食べながら、東京への遠征に心をせた。私には、もはや桃色の未来しか、目に見えていなかった。


 私は何かに対して、正面から向き合った経験はほとんどない。大学受験は偏差値からランクを落として安全に受験したし、好きな子もそっと遠くから見守った。


 あまりに見守り過ぎてもはや不審者の域に達していたが、それでも彼女と向き合ってしゃべるようなことはなかった。


 向き合ったことが無いのだから、無論、けたこともない。常に勝利か何か分からない、けれど確実に負けではない不毛なものを手中に収めてきたのだ。


 それは、私に負けをもたらさない代わりに、何かをもたらすこともなかった。永続される現状維持。それに嫌気がさしたのだ。

 

 例え99回負け続けたとしても、その次に1回勝てば、それでよいのである。自分自身が向き合い、なにかを手に入れた。手に入れるまでに苦労したのなら、その手に入れたものはきっと大事なものだと思えるだろう。それまでの負けの過程など吹き飛ぶくらいに。


 私は胸ポケットに差した万年筆を握りしめた。

 すでにラッキーセットをたいらげた結子さんが、静かに私を見ていた。

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