彼女が回す歯車

 できることならば逃げ出したい。

 私は部室の扉の前で逡巡しゅんじゅんしていた。



 壮大な賢者タイムを経て、私は黒髪清楚系彼女獲得に向けて大きな一歩を踏み出した。


 ディズニーが支配する魔法の国で起きた、天啓ともいうべき私のひらめきは、まさにコロンブスの卵であったし、コペルニクス的発想の逆転が生んだ産物である。


 私が「大帝」率いる魔物たちとのバトル最前線に出向けないのであれば、私たちでも最前線に出向けるような場を生めばよいのである。私は『眠れる獅子』を自称していた。周囲もそれで勘違いしたり、惑わされたりして眠れる獅子と呼んだ。しかしそんな呼称とは裏腹に私はたった独りで眠る孤高の男である。したがって人が私を見るときは起きている。眠れる獅子なのだから眠っていればいいのに、常に起きているからタチが悪い。


 が、根本の問題はそこではない。そもそも、魔法のエリート共が人類の存亡をかけて戦っているような場に黒髪清楚系女性はいないのだ。いるとしても筋骨隆々のある意味清楚系な女性だろう。すなわち黒髪短髪屈強系女性であるはずだ。屈強な身体を駆使くしして、片手とかで魔物どもの頭を引きちぎり、縦横無尽じゅうおうむじん八面六臂はちめんろっぴの活躍をしていることだろう。


 はっきり言って、そのような女性は私の意図するところではない。



=====


 一人の女性について話をしよう。


 彼女は、私や清介、史郎が幽霊部員と化している「コンピュータサイエンス研究会」の後輩である。


 名を、結子さんという。



 彼女は、知的なフレームのめがねをかけ、その奥に切れ長の涼しげな瞳を持っている。


 私の結子さん統計によれば、赤いフレームの日が多い。フロイトの心理学によれば、赤を好む女性は性的欲求が強いことの現れであった、と半ば願望が本体と化している結論を彼女にぶつけたこともある。


 「先輩、変態ですね。誰でもひきますよ、そんなの」

 と、私がサークルから遠ざかるには十分すぎるほどの言葉をたまわった。



 髪の毛はすいた毛先がちょうど、肩に触れるか触れないか。氷の彫刻のような体のラインをしており、その細さ故に儚さすら漂っていた。

 大学生というのに地味な服装で、彼女は決してスカートを履かない。


 「スカートで下半身がスース―するのは、高校生までで充分です」

 と言い放ち、ひたすらデニムやチノなどのパンツを履いている。しかし、その一方で、前髪は、常にヘアクリップによって片方で留められ、幼なさが垣間見えていた。


 お前はどこぞの新人公務員か、というような結子さんであったが、彼女にも残念なことに欠点があった。


 魔法、正確には魔法と言い張る物理攻撃が大得意だったのである。

 彼女と相対してセクハラ的な発言をしようものなら、気づけば空を見上げるように寝転んでいたし、酷い時には数時間気を失っていた。


 一部始終をみていた清介に聞けば、一瞬で私に密着し、足を差し込んで押し倒した後、私のアゴを拳で打ち抜いていたらしい。


 もう、そこまでいくと魔法などではなく、空手である。以来、私は彼女におびえるようになった。


 また、彼女は私たちの後輩でありながら、サークルの中で「内政ないせい」という役職をもぎ取り、サークル内のありとあらゆゆる権力を有している。



 私たちはサークルの年長者として、後輩たちの指導やサークル運営などを担わなければならない責任があったが、いかんせんひきこもっている者にそんなことできようはずがない。


 そんな幽霊であり、役立たずの私たちに代わって、結子さんはいろんな場面でサークルの運営を手助けしている。

 

 誠にありがたい存在なのであり、サークル内でも圧倒的に私たちよりも結子さんを支持する声が多い。


 彼女のことを聞いて、「ヒロインがいたのか」などと思ってはならない。ヒロインは、たとえ私たちにビンタや肉体的妙技を喰らわせたとしても、どこかに好意を抱いている生き物である。


 その点、彼女が私たちに抱いている感情があるとするならば、嫌悪感以上無関心未満といった途方もない感情である。


 「先輩と食事をしてお金をドブに捨てるくらいならば、時間を無駄にしないだけ実際にドブに捨てたほうが建設的です」


 豊富な表現力と語彙ごい力によって、彼女は私を踏み砕いた。世間ではヘイトスピーチだのカウンターだので騒いでいるが、個人用にカスタマイズされた、オーダーメイド型のヘイトの威力も知らないで片腹かたはらが痛い。



 大の男がむせび無く程の辛さを味わってこそ、初めてヘイトだと言えるのだ。


====

 

 なぜ、彼女の話を唐突に出したかというと、恐ろしいことに、我々の「黒髪清楚系彼女創造計画 ~人類補完計画~」の一切合切が彼女の手中に渡ってしまったのである。



 私は計画の主旨・目的から、清介や史郎に話した内容の記録(議事録ぎじろく)、計画によって獲得すべき女性の詳細など、すべてを計画書としてまとめていた。


 しかし、私の部屋のパソコンは既に卑猥ひわいなもので占拠されており、A4用紙換算かんざんで数十枚に及ぶ計画書の居場所はなかった。



 そのため夜な夜な、部室棟の中で部のパソコンを利用して、来たるべき日にそなえて計画書をまとめていたのである。



 無論、ファイル名は文学史のレポート風を装ってつけていたが、彼女の定期的な部保有パソコンのライセンス及びセキュリティチェックに運悪くひっかかってしまった次第なのである。



 また、文学史のレポートであるはずなのにワードファイルであるにも関わらず20MBを超える超大作であったことも、彼女の目を惹いた理由であったという。



 私は、「召喚状しょうかんじょう」なるメールを結子さんから受け取り、部への出頭を命じられたが、がんとして無視し続けた。


 当初は、私はじめ清介、史郎たちのサークル運営に関する圧倒的役のたたなさに彼女が憤怒ふんぬ形相ぎょうそうでメールを送っていると思ったのである。



 しかし、無視し続ける私に彼女は、プリントアウトした計画書の表紙を写真添付で送ってきた。ここで私はことの重大さに気づき、素直に部室へと出頭しゅっとうしたのである。


====


「よくもまぁ、こんなに作り込みましたね」


 彼女はインテリメガネの奥から、あきれているけむりをもうもうと出しながらページをめくった。


「この清楚系黒髪彼女についての定義というところなんですが、こんなに具体的に書いてあるってことは誰かモデルがいるんですか? それともごく一部の変態が成し得る所業しょぎょうなんですか?」


 計画のかなめであり、核心でもある部分をおろそかにすることなどできようか。


 まかり間違って私に、たくましい体躯たいくを誇り、頭にプリンでも詰まってそうな恋人ができてしまったらどうしてくれるのか。


 スパイだって暗殺対象の写真を持ち歩くし、史郎にいたっては具体的どころか卑猥ひわいな雑誌を持ち歩いている。

  

 ゴールを明確にしなければならないのは当然のことである。



「しかし、部の活動とはまったく関係のないところでよくこんなもの保存しないでください。バレないとでも思ったんですか? 容量的にも用紙の備品的にも、ありとあらゆる無駄ばかりです」


 彼女はため息をつきながらいった。私は男らしい性格であるから、悪びれることなく威風堂々としていた。正確には何をどう弁解してよいのか逃げ道も見つからず、魂が抜けていた。


「ほんとうに先輩はキモいですね。変態の思考回路というのは、私にはほとんど理解できません」


 ほとんど、ということは少しは理解できるところがあるということだ。どこの部分が理解できるというのかは私には皆目見当もつかないが、わずかでも理解できる部分があるというなら、それは彼女もまた変態であることの証左である。


「先輩みたいな変質者と一緒にしないでください」


 こうして私は、彼女と会うあたびにスピリチュアルなダメージを受けているのである。変態と変質者、言葉選びにも彼女のセンスが光り、それは確実に私のこころを粉々にしていくのである。あぁ、一刻も早く解放されたい。


「年ごろですから、恋人が欲しいというきもちは分かります。男性ならばそういう欲求がひどくあるという年齢だというのも理解しています」

 

 そうだ。それは当然のことである。私はかつて、福岡に遊びに来た弟を部屋に泊めた。寝苦しい厚い夜だったので、気兼ねなくお互いにトランクス1枚で寝た。

 

 朝起きて、ベランダでたばこを吸っていると弟も起きだしてきた。一本くれというのでライターと一緒に渡してやった。道行く人からみれば、爽やかな朝を迎えたゲイカップル以外の何物でもなかったらしく、一時期、大学では私が同性愛者であるという説が流布るふしていた。


 私は純粋な異性愛者、女性が好きである。


「でもどんな理由があっても、部費でそろえた備品を好き勝手に使っていい理由にはなりません。先輩の個人ごとですよね」


 正論とは暴論である。私の計画がすべて彼女に露見ろけんしてしまった以上、私のキャンパスライフは陰口、嘲笑、後ろ指とは切ってもきれない関係のものになるだろう。


 まったく清楚系女性とは縁がないのに。


「先輩のたわごとはどうでもいいのです。自業自得ですから。だけど、ディズニーというのアイディアはとても素敵です。私はモンスターズ インクが大好きなので」


 それまでクールに私の心を粉にし続けていた彼女の表情が、少し和らいだ。それから微笑を浮かべた。


 私は自分の耳を疑った。


「私も一緒に連れて行ってください。ディズニー、行きたいです」


「は・・・?」


 白目をいて卒倒そっとうしようとしたができなかったことは、書くまでもない。

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