第3章 魔法ラグナロク

ディズニーからの帰還

 私が議題の俎上そじょうに上がらないというのは、明らかにおかしいことだった。


 八百万やおよろずの神々は、年に一度、出雲に集結しゅうけつする。出雲大社の神迎かみむかえ神事によって招かれ、一週間ほど滞在たいざいするらしい。


 そこで何をするかといえば、向こう1年間の農事や縁結びなどを話し合うとされている。



 毎年、律儀りちぎに議題から漏れているか決議が先送りされるらしい私は、もはや神々に頼ることをやめた。


 よもや縁結び大祭のときに、なけなしのお賽銭さいせんを投げていたのがいけなかったのであろう。神ともあろうものが、人間ごときに作り出した経済システムに組み込まれることに、何の栄誉があろうか。


 私は日本酒やお頭つきのたいなどを放り込むべきだったのである。

 そして、八百万の神々が出雲に集結してたんぽぽみたいなお茶会に興じる間、我がアパートでは男三人による恋人創造サミットが開催されていた。


 三人寄らば文殊の知恵。だがしかし、それはまともな人間が三人集まった場合に限られる。烏合はどこまで集まっても烏合のままであり、三歩進んでは人生の路頭に迷っていた。


 これが色気ある女性の一人もいれば、迷って時間をかけることは大歓迎である。しかし、我々は雄々しい男の三人である。頭に「ずっこけ」とかついても違和感がないほど汗臭く、一刻も早くゴールへとたどり着いて解散したい。そんなメンツで路頭に迷ってばかりだから、たちが悪かった。


 しかし、それも今日までの事である。私は切り出した。


====


 諸君、本日急に集まってもらったのは他でもない。

 先日、君らの惜しみない慈愛によるほどこしで、私は東京遠征を無事、終えることができた。まずは、謝意しゃいを示したい。

 

 まぁ、まずは落ち着いて聞いてもらいたい。貴君らから頂いたお金の返済義務の有無については意見が分かれるところだが、いまは話を進めよう。



 私は断じて、東京へ遊びにいったわけではない。飛行機の中から満員電車に至るまで、苦難に満ちた道中であった。

 私は何度も心が折れかけたが、貴君らの顔を思い出して自分を奮いたたせようとした。しかし、貴君らのこきたない笑顔など思い出しても辟易へきえきするばかりで、心は暗澹あんたんの色ばかりが濃くなっていった。


 主に私を励ましてくれたのは、貴君らではなく、貴君らのくれたお金と、道行みちゆく理想のタイプな女性たちであったことは断言だんげんしておく。


 さて、既にご存じであるように、私は理想の恋人、すなわち「清楚系黒髪彼女」を創造するために心血注いできた。どうやら心血以外にも、単位や正気など人間として致命的なものまで注いできてしまったらしい。


 その当然の帰結きけつとして、私の恋人創造計画は順調にとん挫した。もはや、私は引きこもって、猥褻わいせつな図書や映像とともに一生を送ることを余儀よぎなくされたかに思われた。



 そんな現状を打破だはすることが今回の遠征の目的であったが、それは大きな影響をもたらした。ある重大な事実に気づいたのである。


 それは、私が「恋人を魔法で創る」などと神のごとき傲慢ごうまんさに甘えていたということだ。


 こら、史郎。傲慢ごうまんの意味は、辞書でひけ。いやらしい言葉と勘違いしている場合ではないのだ、なぜそれがわからない。


 つまるところ、「私の恋人を創ることができるのは私だけであり、それは魔法ではなしとげられない」という、まともな教育を受けた人ならば誰もが心得ている真理のことだったのである。


 私は、魔法という安易あんいな手段で、恋人を創ろうと考えた。それが以下に浅はかで無遠慮な考えだったのか。それは発想の逆転であきらかになる。



 私は、誰かを愛するためだけに生まれた信愛の権化ごんげである。私のような存在を生み出そうとするほど窮地きゅうちに追い込まれた女性であるので、家入レオさんや多部未華子さんのような女性は望めないだろう。



 女性とも限らない。むしろ同性愛に悩む人であったらどうだろうか。

 私は男性なのに違う純潔じゅんけつを失うかもしれない。必死に股間から12時方向を防御していたら、全く意表をついた真後ろから突き抜かれるのである。あまりにも私がかわいそうではないか!!



 失敬しっけい。仮定のシミュレーションが深遠しんえん過ぎて熱が入った。とはいえ、私が言わんとすることは伝わったのではないだろうか。



 私たちは、自分の満足のためだけに可哀そうな存在を創ることをよしとしない。なぜなら、自分がされたら嫌だからである。自分がされて嫌なことは、他人にしない。

 なんという紳士しんしであろうか。危うく自分で自分に惚れそうになったが、私は断固、女性しか愛さない主義である。


 しかし、そうなれば早くも我らがとるべき道が無くなっていることに気付く。どうやって恋人を平和的に、敗者なくつくることができるのか。

 結局のところ、私たちが魅力を放って、乙女たちにあくまで自主的にれてもらうしかないのである。



 うむ。君たちが大きな声をあげたくなるもの分かる。そんなことができるなら最初からしている。まさしくその通りである。

 できるなら、私はいまごろ国土地理院で地図に記載するか否かの物議ぶつぎかもすレベルのハーレムを建造していたに違いない。


 しかし、いま君たちが無理だとわめいているのは、今の現実社会において男性的魅力を放つことが無理だということだろう。

 魅力を放つ技術に欠けるのか、そもそも放つ魅力がないという問題なのかは重大ではない。


 その両方を片付ける答えのヒントを、夢と魔法の国で得てきたのである。


 同じ土台に立って勝負していれば、いつまでたっても私たちがイケメンに勝てる要素は発生しない。かれらに勝つためには、遥かに高い土台から、彼らに向かっていろんなものを投げ続けるしかない。


 私はシンデレラ城にて英雄になってきた。もう少しでシンデレラと婚約するところであったのを断腸の思いで帰ってきた。決して嘘ではない。

 英雄はあまりに眩しく、神々しい。もはや、そこには性など超越した魅力が在るのだ。


 今も「大帝」からの侵攻は激しく、その最前線では魔法のエキスパートたちが心魂を削っている。彼らは間違いなく英雄であり、女性たちからも羨望のまなざしを集めていることだろう。


 だが私たちがそんな場所へおもむいて、無理やりに戦いに参加したとしても、非常に効率的に味方の足をひっぱることしかできない。我々はかっぱじゃないんだから、そんな足をひっぱるために危険を冒す必要もない。


 ならば、我々が英雄となれる場へ行って、無理やり活躍かつやくすればよいのだ。しかも、乙女がたくさんいる場所で。


 それらの条件を満たす場所は、「夢と魔法の国」である。


 私たちは高校を卒業し、当然の流れで制服を脱ぎ去り、大学に入学して、偶然にも貴君らと同じサークルに入って出会った。最初は、乙女が多数いるサークルで浮かれていたことも認めるが、同時に大きな落とし穴もあったのだ。


 脱ぎ去った制服は、私たちのファッションセンスを強制的にむき出しにした。しかし、いくらむき出しにされたところで無いものは無い。そこで有力なのは、高校時代から制服以外で遊んできた阿呆な男たちであり、教室の隅っこで決闘デュエルしていた私たちなど虫けら同然であった。


 加えて私たちはサークルでの活動を誤った。いくら「CGを駆使した表現を模索する」という建前があったとしても、無尽蔵の想像力で卑猥ひわいな作品ばかりを積極的に発信していては、寄ってくる乙女も寄ってこなくなる。


 だが、時はきた。そのときには不毛であった想像力を、いまこそ発揮はっきさせるのである。


 我らは来たるとき、夢と魔法の国を『我らが活躍せざるをえない世界』に創りかえる。そして、そこでの無双活躍ぶりを乙女たちに見てもらうのである。


 さすれば私たちは必然的に英雄になり、意中の恋人が現れるに違いないのである。


 夢と魔法の国には、恋の土壌がある。人々はかけられている魔法と、溢れる非日常に夢心地ゆめごこちで、一時の感覚麻痺を堪能たんのうしているのだ。


 一見して、カップルか親子しかいないかのように見えるかの国であるが、肌で感じてきた実感としてそれだけではなかった。


 男性同士で群れるなどと言えば、「これから狩りにでもお出かけですか?」と聞くのが関の山だが、女性同士はむしろ群れて行動することの方が多い。


 一人で自由分子のごとくパーク内を徘徊はいかいしている乙女も多少いるが、友達同士で遊んでいる乙女たちも多い。これは盲点もうてんであって、貴君らの協力によってやっと判明した事実である。


 勝機あり。なれば、やらぬ道理がどこにあるだろうか。


 私たちは魔法を駆使して、夢と魔法の国での活躍を乙女たちに見せつけ、魅力を無理やり感じさせ、恋人をつくる。


 完璧なロジックであり、この構成に隙はない。魔法で創る、などという愚行から大きく飛出し、私は発想によって広い視野を得た。貴君らがその気になってくれれば、大いにこの計画の確率はあがるだろう。



 ただ問題点もある。偉大な魔法使いである私と、卑猥図書ひわいとしょコレクター史郎、銃刀法により一般人と化した清介だけではあきらかに力量不足なのである。


 かのパークを私たちだけの舞台に変えてしまうには、あまりに力が足りない。ロールプレイングゲームならば、ここから三々五々、村人たちに聞き込みをして仲間をつのるところである。


 現実では町内会に聞き込みをしたところで、仲間どころか回覧板か、最悪の場合、消防団などの役を押し付けられるのがせいぜいだろう。


 私たちは自分の意志で、仲間をつくらなければならない。しかもそれは、平等の観点から「あまりに強大でかっこいい魔法」を使用できる者は一切を除く。


 あくまでみんな、平等に活躍し、平等に乙女たちにみてもらい、恋人に足るかどうかは乙女たちに決定権があるのだ。誰かひとりが突出とっしゅつしていれば、我らの足並みがそろわない。


 ただ、発案者である私が突出しているという事実については、すべての発端者の特権として甘んじて受け入れてもらいたい。


 いろいろ言いたいこともあると思うが、計画の骨子は以上である。入念に計画及び準備を進め、万端をきして実行にのぞみたい。

 私も来る日に備えて、魔法に研鑚けんさんを重ねるつもりである。人生の大半がかかったこの戦い、決して負けるわけにはいかないのだ。


 貴君らにも多くの幸福が訪れるよう、最大限努力しよう。


 本日は以上である。





 

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