とある夕暮れ、地獄の門にて

 我々の「恋人創造計画」の具体的プラン打ち合せは、開幕直後から順調に滑り出した。あまりに滑り、論点は暗礁あんしょうに向かって一直線であり、実にスムーズに乗り上げてしまった。


 洋食屋「るぷら」での食事を終えた私たちは解散し、私は新しい魔法を会得えとくすべく歩き出した。


 召喚しょうかん魔法も、私が人類で初めて成功させてものであったが、いかにしてそれを会得するに至ったか。その詳細については、名言を避けてきた。


 しかし、計画が暗礁あんしょうの上にこれでもか!と乗り上げ、さらに空中分解というアクロバティックな展開をみせつつある。この窮地きゅうちを脱するには、新しい魔法の会得によるブレークスルーが必須ひっすであった。


 私は一人でぷらぷらと歩き、地獄の門の前にした。


「私もまた新たに魔法を会得しなければならないようだ。さぁさずけてくれ」


「薫さま、あなたは本当に毎日暇なようですね。しかもこんなところに律儀に、毎日いらっしゃる。あなた本当にひきこもっているんですか?」


「ひきこもりとは心外だ。私は邪魔なしがらみを断っているだけだ」


 孤独こどく孤高ここうは似て非なるものである。孤独は、周囲の環境によって自分がおとしいれられるものであるが、孤高は、ただ自分の力で高みに上り詰めた結果として、気づけば周囲に人がいない状態である。


 私は上りに上り詰め、ついに一人にになっていた。何を上ってきたのかは他ならぬ自分でも分からないし、あまりに上り過ぎて世間からは浮いている。


 いな。もはや浮いているなどという状態ではない。それは飛翔といっても言い過ぎではないレベルである。


 ここまで来てしまうと、もはや世間のたもとまで降りていく方が困難であり、現状維持げんじょういじか気が向いたときに、少しばかり上るという選択肢が最適解さいてきかいである。そして、今は上ることを余儀よぎなくされていた。


「私は、あなたのこと好きですよ。私たちを排除しようとしないから」


「そもそも私は、『世界の平和と正義を守る』などと傲慢ごうまんにもなれんよ。目下もっかの問題は、世の中の乙女たちが私の魅力みりょくに気付かないことにある。ここまで気付かれないと、私の魅力などほんとうは存在しないのではないか、とうたがってしまう」


「人間の魅力などというものは私にはわかりません。しかし、私もほとほと人間たちとの戦いに疲れてきました。双方に被害が出ています。ここらでおとなしく世界を明け渡してもらえませんか?決して悪いようにはしませぬ」


「ここで貴女あなたに魔法の教えをうて、どれだけになるだろう。文字通り血のにじむような理不尽りふじんな修行を経てきたが、一向にマシな魔法は教えてもらえない。そろそろ世界が私に一目置かないといられないような魔法を教えてはくれまいか。女性たちから一目とは言わず、距離ばかりを置かれて私のスピリチュアルダメージは計り知れない」



「そんなものを教えてしまえば、あなたはまっさきに私たちをほろぼしてしまうでしょう。自分たちに向けるやいばを授ける気はありません」



 大帝は非常になまめかしい声色こわいろである。澄み切っていて、落ち着いていて、激昂げっこうすることなく私の話を滔々とうとうと聞いてくれる。


 いつしか私は、地獄の門の向こうにいる大帝との会話によって、日常の疲れがいやされるようになっていた。


 だが、私がそれによって大帝に心を奪われているなどと思ってはいけない。私は理性の明証性による以外、決して物事を信じない。そして、その理性も見たり、想像したりするものが全て真であるとは限らない。


 人外のものに、私たち人間の人智じんちがすべて的確てきかくに及ぶはずもないのである。


 声色と話し方に籠絡ろうらくされて、いざ門をこじ開けてみる。そこに美女がいると誰が断言できようか。


 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男性的な外見の悪魔かもしれない。もしくは、私と同じような神の与えたもう独創的な顔面をお持ちの女性かもしれない。声というのはほんの一部の要素でしかなく、それで全体像を想像するのはナンセンスなのだ。


 私は性的な欲求なところとは全く無縁で、大帝との会話を心に染みわたらせて、楽しんでいるのである。


「頼む。一度でいいから姿を見せてほしい。そちらからは見えているらしいのに私だけ見えないというのは下関条約に匹敵する不平等さではないか」


「私の姿などみたところで何の得にもなりませんし、資するものもありません。どうぞ、声だけで。その他はあなたの想像に任せます」


「本当に私の想像に一切をゆだねるということでいいのだな?」


「どうぞ、お気のままに」


 私の脳内には一瞬にして絶世の美女の姿が浮かんだ。Cカップという可も不可もない機動性に優れたサイズ、ナチュラル系の薄い化粧、漆黒のまっすぐな髪、涼しい目と表情、暖かい笑みを浮かべている。


 常人ならばこれくらいの妄想になろうが、私のたくましさはこんなものではなかった。彼女は私にれこんでおり、毎晩、その思いを私に伝えることができずに枕を濡らしているのいである。


 本来ならば思いを打ち明け、私と二人きりで手作りのお弁当を携えてテーマパークへ行きたい。そこでいろんなアトラクションに興じ、夕飯を食べ、強風であっけなく止まってしまう京葉線によって陸の孤島に閉じ込められるのである。


 しかし、女性を外に放置しておくことをよしとしない私は、あくまで紳士的に、彼女が一日の疲れを癒せるよう宿を手配する。

 そしてタクシーで送りとどけて、ここでまた紳士的に彼女だけを残して自分は外で夜を過ごさんと彼女を見送ってホテルの外へ出ようとする。


 そんな私の身体が止まったのは、手を握り締められたからだ。振り返るとそこには目にうっすらと涙を浮かべた彼女がいた。優しさだけを残して去っていく私の背中をみて、とても悲しい感情におそわれたらしい。


「ずっと一緒にいて、離れないでほしい…」

 私はため息をついた。これは一日、彼女を大切にすることに骨を折りそうだ。長くなりそうな夜のことだった。



「想像にお任せしますとは言いましたが、そこまでいくともはや変態と言わざるを得ません。だれがあなたの手を引いて止めたっていうんですか」


「想像に任せるといっただろう!そしてみだりに人の頭の中を覗くなんて破廉恥はれんち極まりない!私の中まで見たのだから、せめて外側だけでも見せてくれ!」


□□□□□


「家に帰ったらな、見知らぬきれいな女性が俺の部屋でシャワーを浴びていたんだ。先生せんせならどうする?」


「何それ?妄想の話?たぶんすぐ飛びこんじゃうなぁ。だって自分の部屋でシャワー浴びてるんでしょう?どうみても合意の上ってことだよね」


 実になげかわしい。貴君らは心まで性欲に支配され、もはや理性を失っているようだ。どんなときでも思考は凍てつかせ、心を燃やせ。冷静沈着れいせいちんちゃくであれ。


 そんなまどろっこしい妄想などしなくても、私は泰然自若たいぜんじじゃくとして騒がないぞ。


 部屋の中でシャワーを浴びていたなどという迂遠うえんな状況でなくとも。たとえ、いま私の眼前におっぱいが二つ迫り狂っていたとしても。私は決して飛び付きはしない。


 まず、目の前のおっぱいをうたがう。これはほんとうにおっぱいなのか。おっぱいが存在するのか。そこにおっぱいがある、と確信するためには理性を正しく導き、真理にまでたどりつかなければならない。


 方法序説に従ってそこにおっぱいがあるとの真理に至ったとしてもである。次に問題になるのは、飛び付くに値する持ち主であるかを確認せねばならない。


 部屋でシャワーを浴びている異性ならだれでも貴君らはよいのか? 私はそんなことだけで自分の誇りを捨てたりしない。


先生せんせ、すげぇ!!」

「もはや変態が哲学の域に踏み込んだ感さえあるよ!!」


………


□□□□□


 しかし現実には、目の前におっぱいがなくとも、艶めかしい声だけで、私の理性は失われかけていた。


 本来の目的を忘れてはならない。これこそが大帝の手なのである。私には夢と魔法の国へ乗り込むにあたっての重要な魔法がいるのだ。


 そしてそれは、私たちに魔法をもたらした彼女に懇願する以外の習得法を、私は知らない。

 下手下手にでて、時には妄想で果敢かかんにセクハラを駆使して、私はあらゆる魔法を習得してきたのだ。ここで妥協しては、私の魔法はパンツの柄を変えるしかとりえのない魔法使い、いや、それは変態以外の何者でもないではないか。


 これを逃したら、私の人生は孤独死まで一直線である。悲壮感しかない。もうダメかもしれない。


「そんなに悲観しないで。仕方がないですね。でも、一つだけ約束してくださいね。これから教える魔法は、薫にとってだけの魔法です。決して、他の人や私に使わないでください」


 私は「しめた!」と思うと大帝に見透かされてしまうので、しばらく頭の中で一心不乱に「般若心経はんにゃしんぎょう」を高速かつリズミカルに唱えつづけ、大帝に気取られないようにしたのだった。

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