始 動

 福岡発羽田行。


 その飛行機の中に鎮座している人々の中に、闘志にみなぎっている乗客たちがいた。他ならぬ私ども一行である。


 人生において選ぶ必要のない苦難の道へ、自ら必要以上に飛び込んできた私たちは、もはや常人のそれとは比べ物にならない魂がみなぎっている。


 もはや恋人創造計画の遂行へ向けて、不退転ふたいてんの覚悟だ。その覚悟は、しなやかで力強く。公費をこれでもかと私生活に応用させまくった東京都知事のそれをも、大きく凌駕りょうがするレベルの覚悟である。


 結子さんだけが、我々われわれの悲壮感とは一線を画して、ディズニーリゾートのガイド本をまじまじと読み込んでいた。目からレーザーとかが射出しゃしゅつされかねないような雰囲気であり、それはそれで異様な我々と同じ空気だった。


 計画を練ってから、出発の今日まで一週間余り。清介はまだ見ぬはずの恋人に興奮こうふんしすぎ、食事すらも忘れていたという。どこぞの仏閣ぶっかくに展示されていそうな即身仏のようにやせこけ、ひげは自由奔放に伸びていた。


 史郎は、ストレスから過食に走ってしまったという。結子さんの豊富な語彙力ごいりょくとそれを使いこなす感性によって、すでに心が折れかけていた。


 「なんですか、それ。腹がベルトにエグイ載り方してますよ」


 腹を擬人化するだけでなく、硬軟織り交ぜた罵倒ばとうフレーズにより、魂は当の果てに抜かれている。


 4人で並んで座っているのであるが、左を見れば通路、右を見れば修行僧のような清介が視界に飛び込んでくるばかりで不毛極まりない。私は前だけを見て精神統一する他に、することがなかった。


 「なあ、先生せんせ。俺らがやろうとしていることは、神への冒涜ぼうとくではないだろうか。人ひとりの運命を魔法で左右…いや、創りだすことなんて許されるのか?」


 いまさらそのような疑問ぎもんを持つ私ではない。既に、その問いは数えきれないほど自問し、そのたびに自答してきた。


 「適切とは言い難い。しかし、違法ではない。これは私見ではなく厳しい第三者の目からの結論だ。彼らは検事を経験した弁護士であるからして、その説得力は疑いようがない」


 第三者の目とは、私自身の心に住んでいるもう一人の私という存在であり、もちろん検事の経験もなければ弁護士の経験もない。ひたすらに私を肯定してくれる稀有けうな存在である。


 いろんな意見が、これを読んでいる諸賢にもあろう。しかし、私はここで宣言しておく。


 「粉骨砕身ふんこつさいしん、恋人創造に努めたい」


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 私たちが政治家ばりの覚悟オブ不退転を決め込んで羽田に到着したのは、清介がキャビンアテンダントに「飲み物はいかがないさいますか?」と聞かれ「カッフィー」という本格的な発音でオーダーしたことにイラっときてから約40分後のことだった。


 もとより最小限の荷物だけで乗り込んだのは、帰りの飛行機では恋人を伴っている運命であり、そのとき片手をつなぐためだった。


 山に登る場合であったら、ベテラン勢に「山を舐めているのか!」と蟄居ちっきょ申しつけられそうな軽装であったが、私たちにとっては神風となってもおかしくない、覚悟の服装だったのである。


 荷物の受取場をスルーし、私たちはモノレールに乗り込んだ。かつて下見をしてきた私にとっては、「帰ってきたぞ…」という思いでいっぱいのルートであった。


 浜松町に到着し、山手線で東京駅へ向かう。その道中、幾度となく好みの女性たちを見かけ、私の心はかき乱された。しばし落ち着け。ことをうまく運べば、帰り道は私も『彼氏』である。


 史郎はまるまると出てしまった自分のお腹を心配そうに見つめている。彼を気遣って清介が、そっとマタニティマークのついたチャームを手渡し、史郎の目には熱い何かがしたたり落ちたのを、私は見逃さなかった。



 東京駅から京葉線への乗り換えは長い道のりである。その道のりが、今回はプレッシャーから足取りも重く、余計に長いものに思えた。


「適切ではないが、違法ではない。いくら私とて下衆ゲスを極めたわけでもなく、妻がありながら他の天真爛漫てんしんらんまんな女性と卒論そつろん提出をくわだてているわけでもない。誰も非難するものはいない」


 異論をはさむ者はいなかった。結子さんは、迫り狂うディズニーリゾートに興奮を抑えられないらしく、ショートカットの髪をさらにヘアピンで止め、視界良好という確認をとっていたからだ。もはやディズニーリゾートを前にした彼女にとって、我々はいないも同然なのである。


□□□□□


 京葉線で八丁堀駅を過ぎると、一段とファンタジー色が濃くなってくる。日々の都心での生活に疲れている人々と、頭に耳のカチューシャを装備した夢遊病むゆうびょうの人々とのコントラストが、ファンタジーに飲まれていくのである。


 もともと私たち三人はファンタジーな存在であることもあり、そのコントラストの変化には絶えず浮き続けながら、無理やり馴染んでいった。

 守らんでもよい純潔を、はからずも鉄壁のガードで、数々の攻め入る乙女たちを撤退てったいさせてきた私たちは、すでにティンカーベルのような存在であった。


 しかし、小さく小汚こきたないおっさんが、肌の露出の多い姿でブンブン周囲を飛びまわっていては、ほとんどの人がキンチョールなどに代表される恐ろしい噴射液をいかんなく射出して、駆逐くちくすることであろう。


 我々とてそんなことは百も承知であるので、肌の露出を厳に慎み、人の周囲を飛びまわることなどしなかったし、そもそもできなかった。

 我々からフェアリーテールを差し引いて残るのは、卑猥ひわい小汚こきたないおっさん要素だけなのだ。存在しない方がマシとさえ思えてくる。



 舞浜駅で降りた私たちは、駅に隣接りんせつしたBECKSベックスコーヒーでモーニングを食べた。それから、インパークを目前に、決意のたばこを吸おうと、3人でいそいそと喫煙席へ移動した。


 清介がセブンスターを取り出し、私と史郎に配る。


「我々に幸運の星が舞い降りるよう…」


 清介がライターで私たちのたばこに火をつけた。


 そのライターは、親戚が修学旅行のお土産で買ってきたという、偉大なる指導者、毛沢東マオ・ツォトン肖像画しょうぞうががあしらわれた逸品いっぴんであった。


 そのライターは、火をつけると勇壮な音楽奏でられる仕掛けであった。まるで運命にあらがいに向かう、私たちを賛美するように感じられたが、清介の解説によれば、それは共産主義と毛沢東を賛美する楽曲ということであった。


 この際、何を賛美しているかなど、もはや我々にとって問題ではなかった。結子さんだけが、一刻も早くインパークしたいのに、ぐずぐずするな!という熱視線を、私たちになみなみと注いでいたのであった。

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