研究ノートより『空の飛び方』

 空を自由に飛ぶことは人類の悲願であったが、私の悲願は慎ましやかな清楚な乙女と幸せな一生を送ることだけだった。だが、残念なことに私の悲願が成就するには、致命的なものが足りていない。


 足りていないというか、むしろ徹底的に無い。


 私が何のえきもない魔法を駆使し、恋に類する一切のものからせっせと溝を深めている間。人々は飛行機で空を飛び、地球を飛び出して宇宙までも観測し、かつての悲願を謳歌おうかするまでになった。いつか私も、悲願を謳歌してくれよう。


 しかし、決意や志をどれだけ高く持っても、たくましく飛翔していくのは自分の妄想ばかり。いまだ私自身は、地べたで恋人の存在を諦められないでいた。頭ばかり飛んでいる場合ではない、私自身の頭以外も、全身も、飛ばなければ!


 世間から浮くことは得意な私でも、空を飛ぶためにはいくつか問題がある。この問題を解決しなくて、空を飛びまわるなどできないということを断言しておこう。これから空を飛ぼうとする人々のために、私の考えを残しておくことにする。




 課題1「空を飛ぶには何かしらの道具が必要である」


 仮に、すでに空を自由に飛べるとしよう。念じるだけで体は宙に浮き、少し重心をずらすだけで思い通りの方向へ転換できるし、イメージするだけでスピードの調整ができる。つまり、何の道具を使わなくても飛べるのだ。


 さて、いざ飛ぼうとする貴君は迷うだろう。そうとも、それが道具を必ず必要とする理由だ。道具なくして、どんな体勢で飛ぶというのか。


 両手を前に突き出して空を飛ぶ。どこか眩しい国から地球を守るためにやってきたヒーローのようだが、彼らはあのようなルックスだからこそ、両手を前に突き出して飛んでも成り立つことができる。


 ためしに、地面へ寝て、両手を前に突き出してみるといい。その手は握るのか、開くのか?足は閉じるのか、肩幅ほどに開くのか?顔は下を見るのか、進行方向を見るのか?もちろん、正しい答えなどない。手をどうしようが、足をどうしようが、顔をどうしようが貴君の自由である。


 たとえば、手をクロールのようにうねうねしながら、足は正座、顔は寝違えながら飛んだっていい。なにせ自由なのだから。


 正解はないし、自由である。ただし、実際に空を飛んでみて不便なことがあれば変えるかもしれない。

 かつて私は、「乙女とはハードボイルドに惹かれる生き物である」と仮定し、思いつく限りのハードボイルドを試した。バイクの免許は持ち合わせていないので、史郎のスクーターを拝借したが、ヘルメットは顔の下半分があらわになっており、上にゴーグルがついたものを装着した。それからハードボイルドの代名詞である「くわえタバコ」をしながら、アクセルをひねった。

 ところがどうだろう。向かい風という豊富すぎる酸素供給によってみるみるタバコは燃え盛り、火の粉が露出した私の顔に飛んできた。とても熱かった。また、ヘルメットは顔を覆っていないと、たばこの火をめがけて寄ってきた昆虫に激突し、顔面の枯渇化がさらに進むことも判明した。くわえたばこは危険である。テレビや小説のハードボイルドと現実のそれは、イコールではない。適宜、修正する必要がある。


 空の飛び方も同様である。自由であるが、自分で決めて直していけばよい。

 さぁ、自分なりの「理想の空飛ぶ体勢」ができたら、その姿て空を飛んでいる自分を想像してみてほしい。私は速やかに酒をあおって酔っぱらって寝た。とても正視に耐えられるものではない。


 日常生活の中で、例えば「待ってて」と言われると、人は立っているか、座っているかで楽な姿勢をとる。立っているなら壁にもたれて待つかもしれないし、座っているならあぐらをかいたり、足を伸ばすだろう。

 しかし、空を飛んでいるということは、何もないのである。地面の力も壁の力も借りることはできない。そんな中で「自由にしろ」と言われても何をしていいかわからない。


 さんざん課題レポートによって、膨大な文献漁りと課題に沿った文章作成を押し付けてられてきた学生が、「卒業のために自由に論文つくれ」と言われて途方に暮れるさまに通ずるところがある。


 仁王立ちで威厳を保ちながら空を飛んでいく姿は、間抜まぬけ以外の何物でもなく、あぐらで空を飛んでいく姿はどこかの宗教団体の教祖さまのようではないか。アニメでみたことがあるぞ!


 空を飛びたいと願っていても、「じゃあ自由に飛んでみろ」と言われると、我々はどういう体勢で飛んでよいのかわからない。そうしてはじめて、自由を失っていたことに気付くのである。


 私も自由な体勢はわからない。しかし、この問題は何かしらの道具を使うことによって解決する。道具を使うには、ほぼ最適なフォームが定まっており、それに沿うことで違和感を薄めることができると発見したのだ。


 そこで次の課題が出てくる。





 課題2「空を飛ぶには何の道具をつかうのか」


 思うに、空を飛ぶにあたって、ホウキや絨毯じゅうたん、雲などは適切でない。


 まず、ホウキは棒である。棒にまたがって飛ぶ。これを男性諸君は想像して頂きたい。いやらしい意味は一切なく、物理学的に、生物学的に、非常に大事でデリケートな部分に体重のほとんどをあずけなければ、棒にはまたがれない。


 かつて鉄棒の上を歩こうと試み、足を滑らせて棒を股間にあてがい、何人の人々が涙を流してきたことであろうか。あの痛みのときほど「男をやめたい」と思わされることはない。しかも、またがるに留まらず、「飛ぶ」のである。これは自殺行為にも等しい飛行方法であると喝破かっぱせざるを得ない。もっと快適に!!



 雲はどうだろうか。古代中国では、神仙が雲に乗って、悪い人を懲らしめにいく。しかし、雲は水蒸気であり、魔法で乗れたとしても湿気しけることは免れまい。

 携えたポテトチップスはしなしなになり、多大な労力を要したレポートのインクは滲み飛び散る。参考書は清介の性根のようにぐにゃぐにゃ曲がり、気分も陰鬱になる。


 長時間の飛行をしようものならたちまちにトランクス・ブリーフ、無地・バラ柄の分け隔てなく博愛的に、蒸れることだろう。最悪の場合、きのこなどが自生するかもしれぬ。


 こうしてみると、空を飛ぶにあたっては、股間のケアが重要であるという問題の輪郭が浮き彫りになる。



 絨毯もその例に漏れない。絨毯は、換言かんげんするなれば「分厚くてちょっとあったかい布」に過ぎない。一見、股間的見地からも、何の問題もないように見える。


 だが、考えてもらいたい。例えば。あくまで例えという仮定の話である。いま、あなたは急いでいかなければならない場所があるが、道は渋滞しており、車では遅刻してしまう。しかし、絨毯で飛んでいけば少しだけ余裕をもって間に合うことができる。

 

 いや、わかっている。それならば絨毯を選ぶに決まってるだろうって、そんなことは私にもわかる。しかし、しばし待て。あなたの下半身が、地鎮祭的なものが必要な状態であっても絨毯に乗るだろうか。


 しばしば男性は、欲に負けていなくても、下半身が暴徒と化するときがある。それこそ劣情れつじょうを催してもいないのに、まるで魔法のようになってしまう。しかも、狙い澄ましたかのように、大事な場面で。

 「やぁ、こんにちは!御主人さま!」

 みたいなノリで暴徒化されてはたまったものではないが、やはり生物学的に男性である以上、切っても切れぬ問題であることは間違いない。

 しかるに、絨毯は「プライバシーをいかんなく晒しながら宙を舞う」という利便性と嫌がらせのハイブリッドな空飛ぶツールであるのだ。雲ならば、湯けむり的にモザイクな役割を果たしてくれよう。しかし、絨毯は甘くない。



 私は空を飛ぶツールに関しては、一つの結論を得ている。それは、「コタツ」である。

 冬にはダメ人間製造機として日本経済に打撃を与え、家庭では食卓・ベッド・立てこもり拠点などと多彩な役をこなし、にゃんこを魅了する。


 そもそも気温というのは高さが増す度に、反比例的に低くなっていく。しかしスイッチをいれればコタツはあったかい。冬の上空であっても、ぬくぬくと私を運んでくれるだろう。

 不意に外界とのかかわりを断ちたくなったときは、コタツの中にもぐるとよい。そこには、暖かい自分だけの空間がある。これは季節を問わず機能する、コタツの強みである。

 コタツは堅牢けんろうな骨組みと毛布とで、プライバシーにも配慮してくれるし、豚肉と白菜鍋でも載せておけば、もう「空を飛ぶ」などいうレベルを超越ちょうえつする。「空飛ぶひきこもり要塞ようさい」である。

 

 私はありとあらゆるものを観察して、この最適解を得た。清介と史郎は、私をコタツ至上主義者と非難するが、人々の安寧のために導き出した答えを誰が排除できよう。


 しかし、これらの課題は、最終的な課題に比べればなんら問題のないレベルである。




 課題3「どうやったら人間が空を飛べるというのか」


 そもそも私は魔法で空を飛ぶことなどできない。

 

 これは致命的問題である。魔法に覚醒した人たちにとっては幾分か利便性が増したことは確かだ。だが、未だ経済を混乱に陥れるような純粋な意味での錬金術は実現しておらず、仏壇からこの世を去った人が出てくるわけでもない。


 飛ぶ体勢や道具がうんぬんの前に、まず飛べよと自分を罵倒ばとうしたくなる。けれどあまりに辛い現代を魔法使いとして生き抜く私の境遇がかわいそうになり抱きしめてやりたくなる。でも直前に、やっぱり男性なんか抱擁ほうようしたくないと止めるのだ。抱き締めるなら、断固、恋に落ちた乙女に限る。


 官憲権力の目を盗み、依り代である日本刀を携えた我が友人が、アパートの屋上からホウキとともに果敢に挑んだことは記憶に新しい。大空はいとも簡単にこの挑戦を叩き潰し、彼は救急車で速やかに運ばれ、物騒な依り代により事情聴取という同情を禁じ得ない境遇に陥った。


 私が呪文によって酒ビンやジョッキを(人力で)宙に浮かすことと比べて、あまりにハードルが高い。高すぎてくぐりぬけ、二度と振り返りたくなくなる。それほどまでに空は広大であった。やはり分相応の法則にのっとり、我々は地べたで生活し、時おり飛行機で空を楽しむ程度が関の山なのだろうか。



 ドラゴンやペガサス、ヒッポグリフなどにまたがって空を駆け抜ける魔法使いの姿を頭に描く。そして今の日常生活から大きく飛出し、二度と戻ってこないのだ。猫がおで、肩にすいた毛先が軽く触れるくらいの清楚な乙女と共に。できることならば、そのまま魔法で社会に出たくない。ピーターパンも、同じような思いだからこそ、空を飛べたのではないだろうか。


 私自身は飛べないが、頭の中の妄想だけは、天高く、そして力強く羽ばたいていった。


まだまだ考察は尽きないが、えんぴつ削りが見当らず余白も足りないのでここにて筆を置く。


(考察 了)


 



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