第九話 思惑

 アレスはゆっくりと目を覚ました。体の節々と脇腹がひどく痛み、すこしうめき声を漏らした。

 頭と目だけを動かして、状況を確かめる。寝心地の良い寝台と布団、木漏れ日が差し込む窓、いかにも高級そうな木製の箪笥、枕元の脇にある小さい机には水差しと硝子製の水飲みが置いてあった。

 体を起こして水を飲み干す。からからに乾いた喉に染み渡り、体が落ち着いた。

 衣服が机の上に畳んであり、剣は壁に立てかけられていた。

 その瞬間、アレスは自分が倒れた時の事が思い出した。


(俺は…あのザガンとかいう奴に負けた)

 アレスにはわかっていた。あの戦いはザガンにとって余興のようなもので、本気ではなかったこと。同時に、なぜ隊商を追いかけてきたのかが気になっていた。

(大男の仇をとるというような感じではなかったな…)

 脇腹を押さえて寝台から降りると、部屋の扉を開けた。微かに人の声が廊下に響いている。


「起きたのか」

「わぁ!」アレスは驚いて振り返った。

「ジェナス隊長」

 帯剣はしているが、警護士の装備をといたジェナスが立っていた。扉の脇に椅子と小さな机があり、書きかけの皮紙がある。

「俺はもうお前の隊長ではないよ。ケフェウスに着いた時点で契約は終わったからな」

「ケフェウス…ここはもうケフェウスなんですね」

「気を失ったお前を急いで運んできたからな。あれから二日経っている。脇の傷が思ったより深くて、随分と熱にうなされていたぞ」

 アレスは自分の脇腹をさすった。まだ、痛みで熱く感じている。

「ジェナス隊長…いえ、ジェナスさん。ここはどこなんです?」

「クラウス殿の屋敷だ。クラウス殿もレイン嬢も、それにカイルも全員無事だ。クラウス殿とレイン嬢は執政官のロズワルド公爵様の元に出向いている。お前は当分ここで休んでいて構わない」

「そうですか。しかし、警護士としての仕事が終わったのであれば、ここにいる理由は…」

「かまわんよ。傷が癒えるまではな…それと、公爵様がお前と話したいそうだ。お前は若いし、傷なんぞすぐにふさがるだろうよ。そうだ、腹が減っているなら何か持ってきて貰おう。遠慮なく言っていいぞ」

 ジェナスは強面の顔に似合わない笑みを浮かべた。アレスは急激に腹が空いたことを実感して、とりあえずなんでも構わないと答えた。


***


 ロズワルドは腕組みをして、机に置かれた一本の剣を見つめていた。柄には複雑な装飾が彫られ、刃の部分は欠けひとつない。窓から差し込む太陽の光で、その剣は美しさを誇示するかのように煌めいていた。

 千人壁の上部には部屋がいくつかある。そんな部屋のひとつにロズワルドはある人物と一緒にいた。部屋は狭く、窓はひとつしかない。当然外から話を聞かれることもないため、ロズワルドは秘匿性の高い話をする場合によく使っていた。


「さて、ウィートリー。この剣をどう見る?」

 ウィートリーと呼ばれた男は、目を細めて顔の深い皺をさらに濃くした。彼はケフェウスが城塞都市として歩み始めた時から鍛冶屋を営み、いくつもの名剣を生み出してきた。大きな戦いが無くなった今では、剣だけではなく、日用品の刃物も作っている。 

 ロズワルドは自らが使う剣を彼に全て託しており、その他にも式典用や装飾用の剣や槍も依頼している。剣豪と呼ばれるロズワルドとは作る側と使う側として気が合い、よく酒を飲み交わしていた。


「この装飾は間違いなく魔剣でしょうな」ウィートリーは節くれ立った指で、柄の装飾をそっと撫でた。彼にとって魔剣は、天敵のようなものだったが、同時に目指すべきものでもあった。

 “魔石”という素材を使った剣は、その本質の全てが違っていた。彼がいくら名剣を作っても、戦いで切り結び、人を斬り、刺せば必ず刃こぼれするか、果ては折れてしまう。それは剣の持つ逃れられない宿命である。

 しかし、魔剣は違った。

 魔剣同士ならともかく、一兵卒が使う剣と切り結んだところで刃こぼれや、まして折れることもほとんどなかった。ウィートリーが作った剣も匹敵するかどうかという位、魔剣は存在価値が高かったのだ。


「この剣は大分古いものですな。このような複雑な装飾は、このケフェウスが戦乱の渦中にあった時でも稀なものです。それにこの美しい輝き…いかに魔剣といえども、一番数多く作られた際は、色々と質の悪いものがあったものです。しかし、これは素材となる魔石の中でも余程良い物を使ったのでしょうな」

「ふむ…」ロズワルドは頷きながらも、疑念を払拭できなかった。

 アレスという剣士が寝込んでいる間に、彼はジェナスに依頼して剣をすり替えたのだ。クラウスやジェナス、そして息子のカイルから山賊襲撃時の話を詳しく聞いた彼は、アレスこそが魔剣を運んできた人物だと考えていた。堂々と帯剣していれば、逆に疑われない…疑うには十分である。


 帝都内の政治的改革派には、若者が多い。剣術学校に通っていた貴族の子供の中にもそういった立場の人間が何人もいることが確認されている。

 例え、カイルの同期生であり、山賊から隊商を救ったとしても、それがアレスを疑わない理由にはなり得なかったのだ。

 そしてザガンの襲撃もそうだった。彼らは山の中が縄張りであり、仲間の仇討ちだとしても、危険を冒してまで隊商を付け狙う理由としては弱い。ザガンはケフェウスにまで聞こえた残虐な人物で、アレスの容態を聞く限り、手加減をしていたと考えるべきだった。


「この剣をどうなさるおつもりで…」

「ふむ。少々迷っている。アレスという剣士に直接会って話を聞くまでは、保管しておきたいところだが、持ってくるにあたって少々癖の悪いことをした。もっとも、ジェナスの話では、剣士とは思えぬほど剣に無頓着な男らしいから、早々気がつくことはないとは思っている」

「なるほど。そのアレスとやらが怪我をしているのであれば、帯剣を許可させないというのは?」

「それはできるが、名目はどうする?」さすがのロズワルドも、剣士に剣を持つな、などとは軽々しく言えるものではない。

「戦いの褒美のひとつとして、私が手入れをするということにしてはいかがでしょう?」

「そうだな。ザガンとの戦いで気を失ったと言っていたから、剣のことまでは気が回っていないだろう。では、カイルと共にすり替えた剣の回収を頼む。アレスにはしばらく監視を付ける」

「わかりました。それにしても閣下、今更なぜ?」

「色々と不穏な動きがあるのだよ、ウィートリー。深く知らない方がよいこともある」

「確かに。私は長生きしたいので、これ以上の詮索はやめておきましょう」

 ウィートリーの言葉に、ロズワルドは思わず苦笑した。


***


「カイル兄様、ずっとつまらない顔をしてる」

 エリスの言葉に、カイルは顔を上げた。オルフェス公爵からの卒業祝いの鹿肉の燻製は、彼の大好物である。しかし、それを一口二口食べただけで、彼は手を休めていた。そんなカイルを見て、妹のエリスはつまらなさそうに口を尖らせた。

 彼女は、カイルの帰りを待ちわびていた。剣術学校は夏と冬に長期の休みがあり、その度にカイルはエリスに土産を買ってきては、学校での出来事を話してくれていた。

 首席で卒業、さらに皇帝直属の親衛隊に入ったという話を聞いたときもエリスは大喜びしていた。彼女にとってカイルは自慢の兄であり、憧れの存在でもあった。

 実地訓練として警護士の仕事は帝都への帰りも残っている。次に隊商が動くのは五日後、それまでは休みと警護士の訓練が入っていた。

「兄様、どうしたの?」エリスの問いに、カイルは素っ気なく「なんでもない」と答えた。


 原因は昨日に遡る。

 クラウスとレインが、事の顛末と今後の事を打ち合わせるためにロズワルドを訪ねてきた。その際、カイルとレインの将来的な話になったものの、ロズワルドはやんわりと断ったのだ。

 正確に言えば、延期を申し出たという方が正しい。


「カイルにはもう少し世間というものを勉強させたい。申し訳ないが、私が判断するまで待ってはもらえないだろうか。それに、私も少々事を急ぎすぎたことは否めない。ご息女の気持ちも考えず、先走っていた」

 その言葉にカイルは驚いた。そして、自らの心の内を悟られたようで辛かった。

 本来であれば、レインの気持ちを考えるのは彼自身であるべきだったのだ。

「閣下がそう仰るのであれば、私も急ごうとは思いません。レイン、お前もいいな?」

「はい、仰せのままに。ただ、私の気持ちは…いつか、カイル様に直接お話したく思います」レインは少し迷ったように言葉を選んで話した。その言葉もまた、カイルは自分自身の不甲斐なさを感じさせた。

「そうか。ではカイル、私の一存で決めてしまった形になるが、もし言いたいことがあるなら、なんなりと話せ」

「いえ、特には…私も自分の経験不足を痛感しています」それだけ言うのが精一杯だった。


 エリスはしつこくカイルの顔をのぞき込もうとしたが、気が引けてやめた。いつもなら、明るく相手をしてくれる兄ではないことに、少しばかり失望していた。


(そうだ、レインさんところに行こう!)

 彼女は思い立ったら、行動が早い。

 レインとは仲が良く、兄の次に好きだった。レインは父親のクラウスについて、よく帝都に出向き、その度に女の子が喜びそうな小物であるとか、雑貨などを土産としてエリスに渡し、カイルの様子も話してくれていた。

 いつか兄と結婚すると聞いていても、こんな姉様なら…とエリスは楽しみにしている。

 執事とケフェウスの警護士二人を伴い、エリスはバレンスタイン商会へと向かった。

 それが彼女の運命を少しばかり変えてしまうことになる。

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