第十一話 和解
エリスが出て行ったすぐあと、カイルはロズワルドに命じられ、ウィートリーと共にクラウスの屋敷に向かっていた。
目的はもちろん、すり替えたアレスの剣の回収だったが、カイル自身はそのことを知らない。
カイルにとってウィートリーは父親の相談相手というだけでなく、剣の目利きを教えてくれた師でもある。
ロズワルドよりも少しばかり年上のウィートリーは、人生経験に満ちた男だ。
ケフェウスで鍛冶屋を始め、その時から彼は様々な剣士の生き様を見てきた。
名剣を持って戦いに出て帰ってこなかった者、安物の剣で様々な戦いを駆け抜けた者、あるいはロズワルドのように出世した者、女剣士といった話を幼い頃のカイルに話して聞かせていた。
胸躍るような冒険、悲しい別れなど様々な物語は、彼の人生観に少なからず影響を与えていた。
春のケフェウスは、交易が盛んということもあり、多くの店が繁盛していた。ウィートリーにとっても稼ぎ時となるが、既に仕事の多くを息子に任せていた。
彼自身は多少、手助けをする程度である。
カイルは何となく、そのことについて聞いてみたくなった。
「ウィートリーさんのご子息は私よりも五つほど年上でしたね。不安はないのですか?」
「ははは、カイル様。不安が無いときなんてありませんな。ラッセルは鍛冶こそ、ようやくまともにはなりましたが、商売はまだまだ…それでも、いずれは自分自身で生活をしていかねばならないのです。私の役目は、奴が間違った方向に行きそうなら、ほんの少し、道案内をしてやるだけですな」
「優しい父親なのですね」
「いやいや、それは勘違いですなぁ。これは仕事を継がせた私の責務…といったところです」
「責務?」
「カイル様がいずれそういった立場になられた時にわかるというものです。」
ウィートリーはそう言って、微笑んだ。
(立場…か。私にはまだ、その経験も資格もないのか)
「ところでカイル様、今から会いに行くアレスという剣士はどういった男なのです?」ウィートリーが尋ねた。
「それは貴方の疑問なのか、それとも父上の?」
「私のです。なにやら随分とご機嫌が優れないようですな」
「そういうわけでは…」カイルは言葉を切った。彼の言うとおり、カイルはずっと考え込んでいる。
しかし、答えは出ない。
カイルにとって、アレスは複雑な感情を持つ相手となっていた。
剣術学校時代、常に首席の座に居続けたカイルだったが、アレスには唯一、剣の試合で勝てなかった。正確に言えば、勝ち切れなかった相手である。
カイルは剣術学校に入る前、父ロズワルドの親友であり、剣の腕前では互角とも言われるオルフェス・ガフィーノを師として、剣の腕を磨いていた。
幼い頃の彼にとって、それは楽しくもあり、辛くもある思い出だった。
剣術をはじめとした武術には、それぞれの適性があり、教える側がどんなに優秀であっても、平凡な剣士にしかなり得ないものが大勢いる。
しかし、カイルは違った。
彼はオルフェスにとって非常に優秀な教え子であり、父ロズワルドと母エレナにとっては自慢の息子、そして妹のエリスには憧れの存在となった。
剣術学校に入る頃には並大抵の剣士候補生には負けないほどの強さを身につけ、オルフェスに師事していた時には既に、北部の山賊を斬り倒すという経験も得ている。
故に、ザガン一党との戦いでも彼は冷静に敵を倒すことができたのだ。
そんな彼が、剣術学校時代にアレスとの試合で引き分けていた。
それはカイルの絶対的自信を打ち砕くには十分であり、アレスを一方的に毛嫌いする一因ともなっていた。
「ウィートリーさん、誇りとはなんでしょう?」
「誇り、ですか…。そうですな、難しい質問です」
「では、貴方の誇りとは?」
「それも難しい質問です。人は自分の誇りを語ると、それは自惚れになります。あえて言うならば、一生懸命であることですな」
「一生懸命?」意外な答えにカイルは驚いた。想像していたのは、鍛冶屋という職への自尊心や心構えかと思っていたのだ。
「人というのは、自分がやりたいことに一生懸命に取り組んでこそ、誇りが生まれると思うのです。しかし、一生懸命の度合いは人それぞれです。他人から見れば、まったく努力をしていないと思っても、心の内は本人にしかわかりません。他人が推し量れるのは、結果だけですからな」
カイルは胸を打たれたかのように、はっとした。
彼はロズワルドという英雄を父に持ち、グラン家の恥とならないように、恵まれた環境を最大限に活かして、努力を重ねてきた。
それは彼自身の生まれ持った運命だったが、自分の努力の度合いを他人にも当てはめることが、自らの世界を狭めていたのだ。
カイルはアレスが、いつも女の子を口説いてばかりいる彼が、たいした努力もせずにと思い込んで、自分と対等であることが気にくわなかっただけなのだ。
「ウィートリーさん、私は自分が努力してきたことを他人があっさりとできるのが気に入らないと思っていました。その他人が努力してきたかどうかなんて、考えてもいなかった」
「ほう…そしてカイル様ができなかったことを、その他人ができてしまうことにも嫉妬したのですな。それがアレスという剣士だと」
「はっきり言いますね」カイルは苦笑した。
「カイル様、私が言える立場ではございませんが、人は絶えず何かに努力しているものです。それが尊敬に値するものか、受け入れられるかは別ではありますがな」
「そうか…私は…」
ウィートリーはカイルを見つめてから、一言だけ付け加えた。
「誰もが歩む道です」
***
「退屈だ」
体が動かせるようになったアレスは、ひとり呟いた。
退屈さは彼にとって、子供の頃から解決すべき課題でもある。体を動かせるようになったとはいえ、ジェナスからは「剣を振るのはまだ早い」と言われていた。
アレスにとって、今回の怪我は生まれて初めての大怪我である。子供の時は武術訓練で骨を折ったり、剣術学校ではいくつか怪我をしたものの、命に関わるようなことはなかった。
屋敷の中を歩き回ろうと思ったが、図々しいアレスと言えども、恩人の家で勝手をすることはできない。
レインが何度か見舞いに来たようだったが、いずれも彼が寝ている時だったらしく、話し相手はジェナスか、彼の交代でやってくる警護士、食事や掃除の世話に来る年老いた女性と二言三言交わす程度だった。
部屋の外で話し声が聞こえ、扉が叩かれた。
「どうぞ」
アレスが答えると、カイルとアレスの見知らぬ男が入ってきた。
「元気そうだな」
「なんだ、カイルか」
「なんだとはなんだ…どうせ、レインか隊商にいた女性か誰かを期待したのだろうが、残念だったな」
(レイン?)
アレスは気になって、カイルを真っ直ぐ見つめた。
彼は顔に少し笑みを浮かべており、その雰囲気は学校時代や隊商で共に歩いていた時とは随分と異なっていた。
「カイル、お前…卒業したのか?」
「何を言っている。卒業したのはお前も同じだろう」カイルは首をかしげた。
「カイル様、この方が話しているのは…」男はカイルに耳打ちをした。アレスからすれば、男しかいない部屋で、とは思いもしたが。
カイルの顔が赤くなり、アレスをキッと睨んだ。
「貴様、またくだらんことを!」
「怒るなよ。なんか雰囲気が変わったように思ったからさ。で、その人は?」
「これは申し遅れました。私はこのケフェウスで鍛冶屋を営んでおりますウィートリーと申します。この度はとんだ災難でしたな」
「俺はアレス、アレス・トゥロッドです」
「アレス、今回の一件、我が父ロズワルドが貴様の働きに報いて、ケフェウスで一番の鍛冶屋であるこのウィートリーさんに、お前の剣の手入れをするように頼んだのだ。剣はあれだな?」カイルは壁に立てかけてある、剣を手に取った。
「どうせ、貴様のことだ。ろくに手入れもしていないだろう。ウィートリーさんの手入れは、普通ならば銀五枚かかる」
「銀五枚だって!?」アレスは驚きのあまりに目を見開いて、ウィートリーを見た。
帝国の金銭価値は、鉄十枚で銅一枚、銅十枚で銀一枚、銀十枚で金一枚となっている。
安宿の食事は一食に付き、鉄五から八枚程度、宿に泊まるとなれば銅一枚ぐらいが平均的な価格だった。
なるべく旅の費用を節約してきたアレスにとって、銀五枚は目が飛び出るほどだ。
ウィートリーは深い皺の入った顔で、愛想良く笑った。
「お、お任せします。カイル、あとで請求なんてやめてくれよ」
「大丈夫だ。ああ、ウィートリーさん、先に帰って頂いても構いません。私はアレスと少し話しがしたいのです」
「わかりました、ではアレス様、剣はお預かりいたします」
ウィートリーが出て行くと、カイルは黙ったまま椅子に座った。腕組みをして少し考え込むように顔を伏せた後、アレスを見た。
「なんだよ」
「ザガンとの戦いに割り込んですまなかった」
「そのことか。俺も殴って悪かったよ。気が立っていたもんでな」アレスはカイルの意外性に戸惑ったが、彼が嘘をつく男ではないと理解していた。
「あのまま、私が戦いを挑んでも返り討ちに遭っていただろう。こう言ってはなんだが、私と貴様の腕は五分だからな。あのように強い者がいるとは思いもしなかった」
「剣の腕はお前が上だ」
「私は一度も貴様に勝ったことがない」
「負けたこともないだろ。俺もお前に勝ったことはないぜ?それに、練習試合は木剣だ…三本戦って、俺は常に先取されていた。実戦ならとっくに死んでるよ」
カイルは少し驚いてから、苦笑した。自分勝手な苛立ちがようやく、心からすっきりと消えていくのを感じていた。
アレスは続けた。
「カイル、お前が俺を嫌っているのはよくわかってる。俺自身、自分がどうしようもないってことも実感してるさ。なにせ、この旅だって俺が決めたことじゃない。自分で決めたことなんて、ほとんどないんだ」
「そうなのか?確かに私は貴様が嫌いだった。なんのしがらみもなく、自由で、女性とも気軽に話せる。私には到底、無理なことだ」
「レインさんと何かあったのか?」
「なぜそう思う?」
「まあ、なんというかお前、吹っ切れた感じがあるぜ?」アレスはにやりと笑った。
「彼女との関係を一度、解消した…というより、解消されたというべきだろうな。父上が言うには、私の人生経験が足りないと…私も貴様と同じだ。自分で決めた事なんて、ほとんどないんだ」
「そうか。まあ、色々あるな、仕方ないことだがよ。俺は怪我が治ったら、旅を続ける。お前ともそういう約束だったしな」
「いや、それは約束じゃない。もう忘れてくれ。私は五日後には帝都へ向かう。旅から戻ったら、話を聞かせて欲しい」
「ああ、いいぜ。俺が言うのもなんだが、レインさんとはちゃんと話せよ。お前よりは女の子のことはわかっているつもりだからな、これは忠告だ」
「もちろんだ。さて、そろそろ帰る。話ができて良かったよ」
カイル部屋を出る間際に立ち止まると、振り返った。
「アレス、父はお前のことを何か疑っている節がある。それが何かはわからない。だが、父はこのケフェウスを治めるにあたって、色々と厳しい決断を下してきた。私はお前の味方でいるが、ここを離れてはしまってはそうもいかない。できれば、そうだな…明後日あたりに父と会って誤解を解いておくのが良いと思う」
「わかったよ。カイル、俺から出向く。閣下にはそうお伝えしてくれ」
カイルは深く頷くと部屋をあとにした。
(公爵様が俺を疑っている?カイルの今の態度からすれば、嘘は言っていない…わからん)
アレスは考えることを捨てて、寝台に寝転んだ。
***
カイルが屋敷を出ようとすると、彼を待つようにして門の近くでレインが立っていた。カイルは少しばかり、緊張で胸が高鳴った。
レインは小走りにカイルに駆け寄って立ち止まった。
「レイン…嬢」
「…あの、昨日のことですが、うまくは言えないのです」レインは伏し目がちにして、うつむいた。
“氷の山脈”から吹き下ろされる風が、レインの淡い金髪を泳がせた。カイルにとって彼女は、かけがえのない女性だ。しかし、そうであったとしても表面的な部分だけしか見ていないことに、カイルは気がついたのだ。
「レイン…幼い頃のように、レインと呼ばせて欲しい。私はまだ未熟で、父の言う通り、人生経験が足りないばかりでなく、思慮も浅い男だ。今更こんなことを言っても、仕方のないことかもしれないが…私はあなたが何を思っているのか、聞きもしなかった。いや、聞くことが怖かった」
レインは顔を上げた。
碧い瞳が少しばかり潤み、そしてまた顔を伏せ、絞り出すように言った。
「カイル様、いえ、カイル。貴方がアレス様を助けたとき、私は思いました。きっとあなたは、他人の体裁などまるで気にしていないのだと…」
レインが言葉がカイルの胸に突き刺さった。
それでも、カイルは黙って続きを待った。
彼女は再び顔を上げる。
カイルはその顔を、とても美しいと思った。
「私も貴方も、初めからやり直しです。同じなのです…ロズワルド様が仰ったことは、私にも当てはまるのです。どうか、お時間をください」
カイルは彼女の頭をそっと抱いた。使用人に見られるかもしれない。それでも、カイルは自分がそうすべきだと感じていた。
「レイン、お互いに自分で決断できる時まで…」
「はい」レインは小さく頷いた。
体を離すと、二人は少し照れくさそうに笑い合った。
「ところで、レイン、エリスが先に来ていた筈なんだがもう帰ったのだろうか?」
「エリス?いえ、会っていないわ」
「そうか…では、どこかで道草でもくっているのだろうな。あの子は街を歩くのが好きだから」
「きっとそうでしょう」
「では、私は帰るよ。ああ、そうだ。アレスのことだが、明後日、父に会ってもらうことにした。あのなりではさすがに思慮に欠けると思われて、心象も悪い。申し訳ないが、多少まともな服を用意してやって欲しい」
「ええ、わかりました」エリスは微笑んで頷いた。
***
ギルダは太股に刺さった短剣の痛みで倒れていた。
なんとか立とうとしても、うまく力が入らずに倒れてしまう。
彼女が倒れている路地裏は、大通りからそれほど離れてはいないが、どこかの店の荷が積まれているような場所だった。
人の気配は、他にはない。
いや、ないというよりも、あったと言うべきか…ギルダを刺した短剣使いの周囲には。何人かの若い男女が体から大量の血を流して事切れていた。
カバルは薄い笑いを浮かべると、気を失ったエリスを抱え上げた。
「公爵に伝えるんだね。娘はしばらく預からせて貰うと。わかっていると思うが、それを抜かない方がいい。失血死なんてされたら、自分で伝えなきゃいけないからね。まあ、君には明日くらいに良いことがあるんじゃないかな」
カバルは喉の奥を鳴らすようにして笑うと、エリスを抱えたまま、路地裏のさらに奥へと消えていった。
ギルダは壁に手を付いて何とか立ち上がった。
「……閣下に、お伝えしなければ」
足下に倒れた仲間たちを振り返ることもなく、ギルダは歩き始めた。
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