第十話 短剣使い
ケフェウスの街は賑わっていた。
隣国リーンの人々も多く行き交い、リーンとアウストラリスの言語が混じって会話が飛び交っている。
二つの国の人々を“氷の山脈”が隔ててはいたが、小さな部族同士の交流が為されていた過去もあり、言語体系は非常に似通っていた。
さらにアウストラリスは大陸の中央に位置することから、リーンと大陸北部のライエの言語も混じった形で言葉が作られている。
帝都の人々からすればリーンとライエの言葉は方言といった感じで認識されており、ケフェウスに至ってはリーンの言葉は常用語としても十分通じていた。
エリスは街を歩くのが好きだ。色々な人々がいて、色々なものが売っている。
帝都にも何度か赴いたことはあるが、帝都が洗練された街ならば、ケフェウスは雑多で騒々しい。
それでも、彼女にとってはその騒々しさこそが賑やかと思えた。
「お嬢様、あまりあちこち行かれますと…」執事のカートンが窘めても、十一歳の彼女にとって街はいつ来ても楽しい場所だった。
彼女はケフェウスの幼年基礎学校に通っている。グラン家は元々爵位をもつ家系ではあったが、公爵ともなれば本来は学校ではなく、家に教導士を呼ぶのが一般的である。
ロズワルドはその考えこそが、貴族の没落を招くとして、長男のカイルは剣の修行も兼ねて、北のアルフィルク領を治めるオルフェス公爵の元へ、エリスはケフェウスの学校に入ったのだ。
権力者の子供が、庶民の子供に混ざって学ぶことは稀なことである。
しかし、ロズワルドの考えが功を奏し、エリスは多くの人々と関わることで、世間一般的な教養を学び、友達を作ることで人付き合いの楽しさや辛さ、そして優しさを覚えていった。
一方でロズワルドは万が一に備えて、エリスには常に執事と警護士が付けているが、子供ゆえの底なしとも言える体力は行動範囲を広げ、カートンをいつも困らせていた。
レインに会いに来たエリスだったが、道すがら珍しいものがあるとすぐに興味をそそられてしまう。
「レインさんにお土産を買わなきゃ!」
「お嬢様、それならば私が…」カートンが申し出るとエリスはムッとして言い返した。
「私が選ばなきゃ意味がないじゃない」
「はぁ…」カートンはやれやれといった顔で、警護士のヴァレルとヘディを見たが、二人とも肩をすくめるだけだ。
「おじさん、これをちょうだい!」エリスは露天商でいくつかのたまご菓子を買うと、にこにこと笑いながら、さあ行きましょうと言った。
***
雑多な繁華街の一角にある路地裏で、短剣使いはある男と密会していた。
「うまく持ち出せたようだな」短剣使いの言葉に、相手の男は布にくるまれた剣を差し出した。
「協力するのはこれで最後だ。俺は帝都に帰ったら、家族を連れて故郷に戻る」
短剣使いはその言葉を聞くと、うすい笑みを浮かべて剣を受け取る。
「そうするといい。あんたは十分にやってくれたよ。お陰でうまくいきそうだ」
「…そうか。お前が何を企んでいるかは知らないが、俺にも立場ってもんがある。くれぐれも口外はしてくれるな」
「もちろんだよ。だが、それなりの大金だ。あんたは警護士として優秀だが、それほど金を貯められるたちでもないだろう?ほとぼりがさめるまで、金の使い道は我慢してほしいね」短剣使いが警護士に麻袋に入った金を渡した。
「わかっている」警護士は頷くと、ずっしりとした重みを確かめるようにして懐に入れ、踵を返す。
その背中に向かって、短剣使いは「きっと良いことがあるよ」と声を掛けた。
警護士は、片手をあげて去って行った。
短剣使いの男は、警護士と会っていた路地裏を出た。
高くそびえ立つ千人壁を見て、これから自分がすべきこと、そして成功した時のことを思い浮かべて軽くほくそ笑んだ。
その時、軽い衝撃があり、短剣使いは思わず手にした剣を落とした。
「あ、ごめんなさい」
ぶつかった少女が謝ると、短剣使いは鋭い目つきで彼女を見下ろし、落とした剣を慌てて拾い上げた。その拍子に布がめくれ、装飾の入った柄が太陽に照らし出された。
「わぁ、きれい!」彼女は思わず声をあげた。
「そうかい?ありがとう。気を付けるんだよ」男は布を戻して優しい言葉をかける。
「あ、はい。本当にごめんなさい」
その少女、エリスはもう一度謝って立ち去ろうとしたが、短剣使いが彼女の腕を掴んだ。
様子を見ていたカートンが慌てるのを制し、ヴァレルとヘディが飛び出した。
「おい!貴様!」
「これは失礼。貴女様はひょっとして、グラン公爵閣下のご息女、エリス様では?」彼はエリスの腕を放した。
「そうだ。この方はエリス様だ。もういいだろう?早々に去れ」ヴァレルが少し声を荒げる。
「ヴァレルさん、いいの。ええと、貴方は?」
「申し遅れました。私は帝都出身の警護士でカバルと申します。エリス様には大変な無礼を働きましたこと、お詫びいたします」
カバルと名乗った男は、片膝をついて恭しく礼をした。
「カバルさん、顔をあげてください」
「ありがたきお言葉に感謝いたします。エリス様はいつもこの様に、街へ出向いておられるのですか?」
「はい、だって楽しいんですもの」エリスは屈託無く笑った。
カバルも微笑みを返したが、その目には怪しい光がともなっている。
「お嬢様、もう参りましょう。あまりうろうろされては、陽が暮れてしまいます」カートンが痺れを切らして言った。
「わかったわ。カバルさん、またどこかで会うことがありましたら」
「ええ、もちろんです。それでは…エリス様に幸運を」
カバルの頭の中には、今この瞬間の偶然に喜びが満ちあふれ、ある計画が浮かんでいた。
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