第十五話 会談

 深い暗渠の中を数本の松明が輝き、水で濡れた壁面に反射した。天井か滴り落ちる水を受け、彼女は眼を覚ました。

 橙色の明かりは彼女の目を徐々に慣らし、自らのいる場所を否が応でも認識させた。

 どこかで水の流れる音が断続的に続いていた。

「……カートン?誰かいるの?」エリスは起き上がると周りを見回して、執事の名前を呼んだ。

 声は暗渠にこだまするが、答えるものはいない。

「ヴァレル!ヘディ!どこなの?」

 幼いときから彼女に付いている警護士も答えることはない。

「誰か返事をしてよ!」立ち上がって、壁に掛かっている松明を手にしようとするが、彼女の身長ではどんなに腕を伸ばしても、あと少しのところで届かなかった。

 大きな不安と体験したことのない恐怖が一気に押し寄せ、彼女は泣き出した。その泣き声は少しずつ暗渠を抜けて、別の場所に響いていた。


「気にくわねぇな」

 ザガンはうんざりしたような声でカバルを見た。覆面から覗く眼は明らかに侮蔑の色が出ていたが、カバルはそれすらも楽しむように笑みを浮かべている。

 二人の距離は、間合いに入らない程度に空いていた。

「手駒は多い方がいい。しかし、彼らは失敗したようだけどね」

 気を失ったまま動かないウィートリーと彼の様子を見ているラッセルに対して、カバルは皮肉ともとれる言葉を何度か投げかけた。

「カイル・グランはあのガフィーノから剣の教えを受けているんだよ。それに、剣術学校を首席で卒業した男だし、第一、襲う場所も時間も悪い。放っておけばよいものを」

「妙な男の邪魔が入らなければ、仕留められた」ラッセルは苦々しげに反論した。

「そういうことじゃないんだよ。君らは少し気負いすぎているんだ。何のために二十年間も耐えていたんだい?全ては復権の為だろう?」

「お前があの子供を攫わなければ、こうはなっていない」

「そうかい?あの子は人質として申し分ないんだ。でも、カイルはそうじゃない。それからもう一つ言わせてもらうと、君は親父さんと一緒に剣も回収すべきだった。あの剣の価値を知らないわけじゃないだろうに」

「お前の計画は変更が多すぎる。あの剣にしても、子供にしても…」

「変更じゃないんだよ、追加だ。利用できるものがあれば、見逃す手はないんだ」

「屁理屈を…」

「計画が一から十まで完璧なんてことはありえないんだ。そこのところを分かって欲しいね。今のところ、僕らは有利に進めているよ。もっとも、ロズワルドは何も知らないだろうけどね」


 彼らがいるのはケフェウスにある地下水道に作られた待機所だった。

 先の執政官ヨリフィスは、リーン王国との戦いに備えていくつかの抜け道や避難所、また“梟の眼”と呼ばれる密偵部隊の待機所を作っていた。

 それはロズワルドも知らないことであり、待機所への複雑な通路は梟の眼の一員でなければわからないものである。

 アウストラリス帝国側から流れる川は一度、“氷の山脈”にある自然の地下水道に潜り、そこからケフェウス地下に入り込んで、リーン王国側に流れていた。

 “梟の眼”達は、ヨリフィス伯爵の命に従い、ケフェウス周辺を数年かけて探索したところ、地下水道と城塞都市の地下水道がうまく繋がっていることを発見したのだ。

 帝国側の川は深く潜ってしまうが、ケフェウス内部からリーン側には船を使い、流れに沿って出られるため、ヨリフィスは彼らに再度命じて、万が一の籠城戦に備えるために待機所を作らせたのである。

 川は飲料水、治療に使われ、そして重要な交通の手段となる。また、帝国側からの流れであるため、毒を流される心配はなかった。

 そして、水の流れと共にくる風は待機所周辺を新鮮な空気で満たし、不快になるほどの湿気はない。

 待機所の広間は人が十数名は入れるほどの広さがあり、中央には大机と椅子。壁にはいくつかの扉があった。それらは寝室、医術室、武器倉庫などの部屋に繋がっている。

 カバルとザガンは言うまでも無く間を開けているが、ラッセル達もまた彼らとは離れた場所にいた。

 わずか四名しかいない場所ではそれが最適と思えるほどに、奇妙な緊張感が漂っていた。

「そろそろだろうな」カバルは出入り口の扉を見た。

「本当に来るんだろうな?ライエの神官とリーンの大臣とやらはよ」ザガンが言った。

「もちろんだとも。僕がなぜわざわざ苦労して真正面から、魔剣を持ち込ませたと思う?執政官のロズワルドは慎重な男だ。妙な密偵を使って、僕のことも早々に突き止めたからね」

「……テメェも食えない野郎だ。わざと誘い出して始末したくせによ。そういう意味じゃ、あのガキは絶好の囮だってことは認めてやるよ。だが、気にくわねぇ」

「話が分かる人は好きだよ」カバルは薄く笑うと、ラッセルを見た。

「親父さんはまだ覚めないのか?」

「ああ」ラッセルは短く答えると、ウィートリーの体を抱え上げた。

「どうするつもりだい?」

「寝かせてくる。ここに置いといても、交渉の邪魔になる」

「お好きに」カバルは肩をすくめた。


 扉の外から足音が聞こえ、程なくして扉が三度叩かれた。

 カバルは慎重に歩み寄って、二度叩き返した。それに答えるようにして、今度は四度叩かれる。

 彼はゆっくりと、扉を開けた。

「このケフェウスにこんな場所があったとはな」

 入ってきたのは三人。

 最初の人物は神経質そうな目つきで体が細く、松明の薄暗い明かりの中でも青白い顔だとわかる男。

 続いて入ってきたのは、彫りの深い顔立ちで背が高い男だった。切れ長の鋭い目は一瞬で部屋の中を見回した。

「これではまるで秘密結社だ」

「あながち間違ってはいませんよ、ルカウス」そう言ったのは、彼の後に続いて入ってき女である。長い亜麻色の髪を首筋で括り、鼻筋の通った顔付きとほとんど瞬きをしない眼は、彼女に鋭い冷たさを与えていた。腰の後ろに小型の剣を横に装備している。

 彼らはカバル、ザガン、ラッセルとは間を開けて広間にある椅子にかけた。

 ほどなくして、同じように扉が叩かれて、やはり三人が入ってくる。

 一人目は屈強な体つきで褐色の肌をした男である。精悍な顔つきをしているが、いくつかの皺が彼の年齢が、この場にいる中では上だと知らしめていた。

 残りの二人は、いかにも彼の部下といった感じで、小柄で引き締まった体の少年と少女だった。少年は帯剣し、少女は短めの槍を背に背負っている。最初の男と同じく、褐色の肌が特徴的だ。

 先の三人の真向かいに座った。


「揃ったようだね」

 カバルは大机の左右に来客達を見ながら席に着くが、ザガンとラッセルは壁に寄りかかって座ろうとはしなかった。

「さて、彼らの紹介をしよう。まず彼だ」カバルは神経質そうな男を見た。

「彼はこのケフェウスの準執政官ブライス。はるばる帝都からこのケフェウスに送られてきたロズワルドの監視役。もっとも名ばかりで、準執政官などと言っているが、実質何の役にも立っていない。だが、権力だけは少しばかりある。ウィートリーの鍛冶屋がある一角の警備士をうまく操っている事だけは認めよう」

「ひ、ひどい言い方だ!私は…」ブライスは立ち上がりかけて、カバルの目を見ると大人しく座った。     

「次は神聖ライエ国の神官ルカウス殿。横の女性はサンドラ。彼の護衛だ」

 そう言って、彼は彫りの深い顔立ちの男を見た。

 ルカウスと呼ばれた男は、黙ったまま頷いた。

「そして、リーン王国では戦士としても名高い陸軍大臣ローヴェン殿。お付きの二人は護衛ですね?」

「そうだ。フィルとキーラだ。年は若いが凄腕の双子だ」

「双子、なるほど」カバルは興味深く二人を見たが、彼らはローヴェンの左右に立って、微動だにしない。

「これは僕に勝ち目はないね」

「よく言うぜ」ザガンが吐き捨てるように呟いた。

「ああ、そこの二人、覆面の者はザガン。もう一人はラッセル。このケフェウスに対して色々と複雑な感情を持つ連中だよ」

「貴公の仲間か?」ローヴェンが言った。

「僕の協力者であり、計画の中心人物といった方がいいね。あなた方に協力するかどうかは、交渉次第と言うことになりますよ」

「ここに来るまでに大分時間を使っている。早々に話を進めたい」とルカウス。

「いいでしょう。この場を設けるまでに三年かかっている。ルカウス殿とローヴェン殿もお互いに知らぬ仲ではないしね」カバルは言葉を少し句切ってから続けた。

「このケフェウスは前執政官のヨリフィス伯爵が建設と統治をしていたのは説明するまでもないね。彼は粗暴な男ではあったけど、それに見合うだけの知恵と武力を持っていた。しかし、優秀すぎるが故に自分の考えが絶対だと信じて疑わなかったため、ロズワルド・グランに敗れたんだよ」

「昔話がしたいのか?」ザガンが口を挟んだ。

「まさか。これは単なる前口上だよ。帝国はこのケフェウスがあるからこそ、ここまで発展したのさ。裏を返せば、ここさえ無くなればリーンとライエは思うがまま…正直に言うと、もし帝国が潰れた場合、必ず両国の間で戦いが起きる。そして勝つのはリーンだろうね」

「その根拠は?」ルカウスが尋ねた。

「簡単な事だよ。ライエの冬は長く、作物も育ちにくい。北からの侵攻は、移動時間と食料を考慮しても速度が遅く、到底リーンには敵わないさ。ついでに言えば、リーンは帝都より北には攻め上がろうとは考えない。そうなれば、補給線は伸びずにライエを迎え撃つことができる。そうでしょう、ローヴェン殿?」

「その通りだ。無駄に領土を拡大するのは得策ではない。それにライエは信仰によって作られた国だ。信仰心で結びついた国は、何よりも手強い」

「下手な嘘だ」ルカウスが笑った。

「なんだと?」

「ローヴェン殿、本心はわかっています。あなた方にとって我が国は北の不毛な大地に過ぎないと考えているはずだ。さらに言えば、帝都より北を攻めないという約定を取り付けて、このケフェウスを含む豊穣な大地を占有しようと考えている」

「であればどうする?」

「我がライエはライエ神によって結びついた国。この大陸が三つに分断された時から我が国は、不毛な大地も信仰という結束で大きくしてきました。それは、アウストラリスの初代皇帝アーサーが卑劣な戦いで得たこの大地を我が国に取り戻し、ライエ神の名の下に統治するための行ってきた努力なのです。我々はこの国を信仰で救わなければならない」

 ローヴェンは苦々しい顔をして、身を乗り出した。

「ルカウス殿、俺の考えを言おう。神などというのは実に馬鹿馬鹿しいおとぎ話だ。泣き止まぬ幼子を黙らせるために話すような、絵空事に過ぎん。無論、信仰は自由だ。自分の好きなものを信じればいいだろう。草でも木でも、その辺の石ころでもだ。しかし、信仰で国を救うなどと…俺はこのケフェウスも帝都も見ているが、この国は実に豊かだ。人々の顔は明るく、技術や芸術は見事だし、交易も盛んだ。この国に不満を持つ者は豊かさに対して、さらに上を見ているからに過ぎん。簡単に言えば、この国自体を無傷で手に入れたいのだよ。それを信仰で救うとは、酔狂な戯言だ」

 ルカウスは失笑すると、カバルを見た。

「なにがおかしい!」ローヴェンが思わず怒鳴った。

 カバルもまた、苦笑いをすると懐から畳まれた皮紙を取り出して、机の上に広げた。

 それは、ケフェウスを中心とした地図だった。


「ローヴェン殿は実に真っ直ぐな方だ。私の言葉を真正面から受け止めてくださる」ルカウスは立ち上がった。

「あなたが言うとおり、信仰で国を救うというのは酔狂な戯れ言です」

「なんだと?」ローヴェンは眉をつり上げて、勢いよく立ち上がった。

「落ち着いてくれますかね。ルカウス殿は実に先進的な男でしてね、僕も驚きましたよ。彼はライエの神官の中で、一番信仰心の薄い人間ですよ」

「どういうことだ?」

「現実的な話をしましょう、ローヴェン殿。私が思う信仰とは、人を動かすための手段に過ぎません。都合の悪いことから目を反らせるのが、宗教というものです。神がライエの大地を望んだといえば、信者は頷く。作物が育たないのは、アウストラリス帝国から大地を取り戻すための試練だと言えば、彼らは従うでしょう」

「俺を試したのか?」

「正直に言えば…もし、私が最初に言ったことをそのまま受け入れるような方であれば、今回の話はそこで終わっていたでしょう。私たちの目的はあくまでもこのケフェウスを排除し、帝国の豊かさを分け合うことにあります」

「無礼な男だが、今回は見逃してやる。いいだろう、ケフェウスを排除したいのは我々も同じだ。しかし、さっきも言った通り、俺の考えではケフェウスを排除した後はなるべく穏便に済ませたい。それには挟撃が一番だが、帝国の戦力は非常に高い。戦いがどのくらいに長引くかは想像もつかん」

「私たちも同じ事を考えています。であれば、戦いをせずに国を奪う術をまず第一に考えるのが得策でしょう。そこでカバル殿の出番というわけです」

 カバルは頷いて合図をした。ラッセルが無言のまま、武器倉庫の部屋に入って一振りの剣を手に戻ってきた。

「ローヴェン殿はよくご存じでしょうね」カバルは鞘から剣を抜いた。

「それが魔剣か」

 ローヴェンはカバルから剣を受け取ると、じっくりと見つめた。刃の部分はうっすら透き通るように薄く、全体的に程よい重さがあり、なんとも言えない高揚感が彼の中にわき出していた。


「ライエからここに運ぶまで苦労しましたよ。サンドラがいなければ、僕はガフィーノに殺されてましたから」そう言って、カバルはサンドラを見た。

「ガフィーノとは、あのオルフェス・ガフィーノか?」

「ええ、あれほどの男はなかなかいませんね。彼がアルフィルク領にいる限り、ライエは帝国に侵攻できない。しかし、魔剣は人の心を増幅する。信仰心の篤いライエ国の剣士達が使えば、その力は帝国軍を十分に脅かすことができる」

「魔族がまだいたとはな。リーンのこともかなり恨んでいる筈だ」

「ひとつ勘違いをされています」

「どういうことだ、ルカウス殿?」

「リーンと帝国の戦いに剣を供給していたのは、魔族の中でも極一部。彼らの中でも異端と呼ばれていた者達です。それ故に氷の山脈へ封じ込めたと…もっとも、これは彼らが主張するだけで、確証のある話ではありません。しかし、魔剣は作り上げた。存在自体は知っていても、現物を見たことがない私には判断がつくはずもない。それで、カバル殿に秘密裏に運んで貰ったのです。もし、協力してくれるなら、剣はアークス連合国を通じて出来うる限り供給しましょう」

「ふむ。少し、この場を借りるぞ。フィル、キーラ、本気でかかって来い」

「おい、おっさん、ここで何をするつもりだ?」ザガンが言った。

「魔剣は見ただけではほとんどわからん。戦いの場でこそ、証明ができるからな」そう言って、ローヴェンは剣を構えた。

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