第十六話 魔剣

 松明で橙色に照らし出された広間の中で、剣と剣、あるいは剣と槍が何度か交錯した。その度に、鋭く乾いた金属音が空気を震わせる。

 ローヴェンの剣は赤い輝きを放ちながら、残光は踊るように弧を描き、フィルの剣を受けるとそれを巻き取るようにして弾き返す。

 その隙を突いて、キーラの槍が突きを放つが、ローヴェンは焦ることも無く、つかで矛先を叩き、槍のを掴んで彼女を引き寄せると鋭い蹴りを放った。

 飛ばされた彼女は床を転がって倒れるものの、うめき声ひとつ上げずに立ち上がる。

 顔に着いた砂を無意識に払うと、ローヴェンから投げられた槍を受け止めて再び構えた。

 一方、フィルは剣を後ろ手に構えると素早い動きで、椅子から机に飛び移って剣を振り下ろすが、ローヴェンは難なくかわし、フィルの襟元を掴んで床に放り投げた。

「そいつらはおっさんの護衛じゃないのか?」ザガンが呆れたように言った。

「護衛と同時に、常に訓練する身でもある。フィル、キーラ、本気でと言った筈だぞ」

 フィルとキーラはお互いにうなずき合った。

 フィルがローヴェンに向かって椅子を蹴り飛ばすと、凄まじい速さで椅子を叩き斬る。破片が飛び散り、ローヴェンが後ろに下がったところを狙って、キーラの槍が伸びるようにして突き出されるが、その瞬間、さらに槍が伸びた。槍のを手にするのはフィル。

 ローヴェンが思わず、槍に目を向けた刹那、フィルと武器を交換したキーラが両手で剣を突き出す。

 辛うじてその突きを凌いだローヴェンの剣が再び赤い輝きを放ち始めると、広間の空気が一変した。

「それは……」ラッセルが絶句する。

 フィルとキーラの剣と槍が青く輝き始めたのだ。

 驚くほどの手数の剣と槍がローヴェンに襲いかかるが、彼は肺に大きく息を吸い込み、吐き出すと同時に二人の攻撃を一撃のもとに横に払う。

 が、その剣は鈍い音を立てて真ん中からはじけ飛び、剣先が机の上で跳ねて滑ると、床に美しい音を立てて落ちた。


「もういいぞ」ローヴェンが言うと、双子は剣と槍を仕舞い、彼にひざまずいた。

「……おい、カバル。折れたぞ」

「そのようだね」事も無げにカバルが言った。

「ついでにおっさん、そのガキどもが使ったのは魔剣じゃないのか」

「そうだ。青く光る魔剣は強度、切れ味ともに特に優れている。グランは馬鹿正直に魔族を駆逐して魔剣を捨てたかもしれんが、俺は生憎、そこまで人間が出来ていないのでな」

「これは困りましたね」ルカウスが残念そうに、折れた剣先を拾い上げた。

「ど、どうするんだ!私は魔剣があるというから、協力を考えたのだぞ!」

「黙れよ、ブライス」ザガンはそう言って、双子に近寄った。

「剣を見せろよ、ガキども」

 双子は少し困ったような顔をしてから、互いに見合うと滑るようにして後ろへ下がった。

「おい!テメェら!」

「やめるんだな、ザガン。その双子は俺の命令しか聞かん。それに剣士が自らの武器を顔も見せぬ貴公に見せるわけなかろう」

「ちっ、つまらねぇ奴らだ」

「さて、カバル殿、ルカウス殿。確かに魔剣だったが、あまり良いものとは言えんな。力もうまく出せない。本来ならば、魔剣を使うものはこの双子のように小柄でも、体に秘めた力を解放して、敵を打ち倒すことができる」

「それでもあなたはこの剣で、その二人の攻撃を凌ぎきった。量産品ではありますが、一般の兵士が使うのには十分ではないでしょうか?」ルカウスが言うと、ローヴェンは何かを思いついたように、折れた剣の柄を見た。

「模様が少ないな」

「模様…やはり模様か」カバルは少し目元を引きつらせた。

「知らないのか。つかも含めて魔剣なのだ。一流の魔剣を作る者は、使う者の精神と剣を結びつけるために、つかに術式を彫り込む。何でも良いというわけではない。この剣に彫られているのは、ごく単純な模様だ。ただ魔剣が欲しいものは、こういうものでも手に入れてはいたが…俺から言わせれば、粗悪品の一歩手前だぞ」

「模様のことは知っていますよ。だからこそ、あの剣を手に入れるべきだった」

「あの剣とは?」

「ケフェウスに来る途中、旅のいろはも知らない少年に会いましてね。彼が持っていたのはまさに魔剣だった。途中まではうまくいったが、目の前で逃げられた。あれさえあれば、一流の彫り師につかに同じ模様を彫らせることができたかもしれないな」

「なるほど、興味ある話です。ところでローヴェン殿、折れた剣は赤く、その双子の剣は青く光りましたが、質の高さとは別に意味があるのですか?」

 ルカウスは不思議そうに、折れた剣先を見つめた。

「表面的な感情を表すなら赤、内面的なものなら青といったところだな。心の奥深くまで修練して魔剣を使うと深い青に輝く」

「その感情を読み取るのが模様で、使う者にも修練が必要…なるほど、量産品を修練の浅い一般兵に持たせたところで、たいした活躍は期待できませんね」

「だからこそだよ、ルカウス殿。優れた剣と優れた兵士が組み合わされば、フィルとキーラのように小柄なものでも、先ほどのような戦い方ができる。それは脅威になるだろう?」

「確かに」ルカウスは頷いた。

「それで、どうするんだよ、あんたらは。俺はこんな見世物を見るために来たわけじゃねぇんだぞ」ザガンは苛立ちを隠そうともせずに言った。

「ザガン、魔剣は確かに存在するんだよ。であれば、魔族の未熟な鍛冶を、一流の鍛冶に師事させればいいだけなんだ」

「どういうことだ?」

「タイシャ国。あの国の剣は、実に見事だと思わないか?」

「カバル殿、それは本気で言っているのですか?」

「もちろんですよ、ルカウス殿。そして、ルディ・ウィートリー、あなたも恋い焦がれた魔剣の作りに興味があるのでは?」カバルがそう言って、寝室から出てきたウィートリーを見やった。

「私にやらせてくれるのであれば、なんでもしよう」ウィートリーは痛む頭を押さえながら、壁に寄りかかった。

「親父…」ラッセルは駆け寄って、ウィートリーを支えた。

「ラッセル、これは絶好の機会だ。梟の眼はヨリフィス様の命を完遂するために存在している」

「決まりだね。さて、次はロズワルド・グランだ。この男がいる限り、このケフェウスは落とせない」

 カバルは先ほど広げた地図を指すと、懐から細い木炭を出した。木炭は片方の端を残して布が巻いてある。彼はそれで地図に印を付けた。ちょうど待機所があるとおぼしき箇所である。次に彼はそこから線をリーン側に引いた。

「このケフェウスの地下水脈はリーン王国側に繋がっている。しかし、流れが速く、リーン側から入っても容易に進むことはできないんだ。ヨリフィス伯爵はいい場所に眼を付けたものだよ」

「まったくだな」ローヴェンが感心したように頷いた。

「千人壁は南北に位置し、東北には氷の山脈…が、しかし、天然の防壁と言えども隙がある。帝国はなぜ、魔族殲滅を命じたのか、それが答えだよ」

「氷の山脈を住処にしていた魔族は道を知っていたということですね」ルカウスが言った。

「その通り。しかし、道は険しく、リーン側から山を越えて、ケフェウスに入るには相当な時間がかかってしまう。きっと、何人も死人が出るだろうね。ローヴェン殿が手塩にかけた精鋭を送り込ませるのが精一杯といったところかな」

「それでも奴が生きている限り、このケフェウスは落ちない…か。ではどうする?」

 ローヴェンの問いに、カバルは薄笑いをした。

「奴の娘を捕らえましたよ」

「娘だと?エリス・グランをか?」

 ローヴェンは途端に険しい顔をして、腕組みをすると椅子に座った。彼自身、何度かロズワルドとこのケフェウスで交渉をしたことがあり、エリスを見かけたことがあった。

 快活で明るく、物怖じせず、父親を慕っている様子を微笑ましいとさえ思っていた。


「そ、それでか。ロズワルドが随分と焦っていたのは…いい気味だ」ブライスは卑屈に笑った。

 そんな彼をローヴェンは睨み付けて黙らせると、低い声で言った。

「世の中には不文律というものがある」

「まさか、戦いに子供を使うなと?しかし、ローヴェン殿はその双子を護衛にしている。彼らは子供では無いと?」

「リーンでは十六歳は成人だ。一緒にするな…やり方が気に入らんな。奴とは正々堂々と戦いたい。それか、ブライス準執政官、お前が毒でも盛って始末を付ければよかろう」

「わ、わたしが!?冗談じゃない。ロズワルドを殺したとなれば、いくら何でも露見してしまう!そうなれば私は処刑されてしまうじゃないか!」ブライスはとんでもない、という顔をして首を振った。

「使えねぇ男だな。おい、カバル、俺がやるぜ?」

「ザガン、申し出はありがたいが、あんたは些かつめが甘い。気に入らないとは思うけど。仕方ないな。汚れ仕事は僕に任せてくれ。ロズワルドという男は、国に忠誠を誓った男だ。ただ脅しただけでは娘よりも国を選ぶに違いないのでね。ルカウス殿もよろしいか?」

「正直言って、不愉快な話ではありますが、国を救うためです。子供一人の命で事が進むなら致し方ありませんね。サンドラはどう思う?」

「仰せのままに」サンドラは瞬きもせずに答えた。

「だそうです」ルカウスは肩をすくめた。


「待ってくれ、カバル」ウィートリーはふらつく体で、椅子に腰を下ろした。

「なにかな、ルディ?カイルを殺しかけた男が、エリスは駄目だとでも言うつもりかな?」

「そうは言わんが…」

「二十年もの間、あなたはロズワルドと親交を深めていた。カイルとエリスに情が移ったといっても、僕は何一つ批難しない。妙な嘆願をするなら、あなたには外れてもらうしかないな」

「……カバル、私が言いたいのはたったひとつだ。もし、お前がエリスを手にかけるというならば、せめて苦しませずにしてやってくれ」ウィートリーはそう言うと机に肘をついて頭を抱えた。

「いいだろう、約束はするよ」カバルは眼に冷たい光を放ちながら、静かに答えた。


***


「この馬鹿者が!」ロズワルドは思わず声を張り上げたが、張り詰めた糸を切らすようにして力なく椅子に腰を下ろした。

「……まさか、あのウィートリーが梟の眼だったとはな…」

 戦いで傷だらけになったカイルは、寝台に横たわりながら、心配そうに彼を見つめるレインの頭ごしに、涙で滲む目で父親の項垂れた姿を見つめていた。

 二十年もの間、信頼していた相手に裏切られた痛手は深く、グラン親子はただひたすらに困惑し、ただエリスがまだ生きているといったウィートリーの言葉だけを信じるしかなかった。

 それだけにロズワルドは、自分自身に打つべき術がないことを痛感していた。

 自らの密偵であったギルダは深手を負い、仲間もほぼ失った状態である。さらに言えば、ロズワルドが信頼を寄せる相手の中に、まだ“梟の眼”がいるかもしれないという事実が事をさらに深刻化させていた。

「それであの、俺はどうすれば?」アレスが気まずくなって言った。

 

 アレスが傷だらけのカイルを引きずりながら、バレンスタイン商会の屋敷にたどり着いたのは、少し前になる。

 アレスは大声を張り上げてレインやジェナスを呼び出した。

 そこからは大騒ぎとなった。

 レインは悲鳴をあげてカイルに駆け寄り、意識が混濁しはじめた彼に呼びかけ続けていた。ジェナスや警護士達はそんなカイルを運んで寝台に寝かせ、医術士を呼ぶと同時に応急処置を施したのだ。

 ほぼ同時にやってきたのだ、ロズワルドだった。

 混乱覚めやらぬ中に来訪したロズワルドに対し、バレンスタイン家は右往左往することとなった。

 アレスがなんとか適当に事の顛末を話したところで、カイルが目を覚ましたのだ。


「まずは礼を言わねばならない。アレス、アレス・トゥロッドだったな。息子を助けてくれたことに感謝する」ロズワルドは立ち上がって、アレスの前に片膝を付いた。

 公爵の位にあるものが、なんの階位も持たない剣士に跪くことはありえないことである。さすがのアレスも驚き、しどろもどろに「た、大したことは…」などと言って、慌てて「御礼など必要ありません」と取り繕った。

「閣下、エリスお嬢様は…」様子を見ていたクラウスが言いにくそうに質問をした。

「……エ、エリスは」カイルが口を開いた。

「お水を」レインが布に含んだ水を絞って、カイルの口に垂らす。

「あ、ありがとう、レイン…父上、エリスは、まだ、このケフェウスにいる、筈です」少しずつ言葉を句切りながら、カイルは言った。背中と腹が痛み、思うように言葉を出すには少しばかり考えなければならなかった。

「わかっている。わかってはいるんだよ、カイル」

「我々はもちろん、時間の空く限り、捜索を手助けいたします」ジェナスが言うと、ロズワルドは首を振った。

「無闇に探すのは得策ではない。恐らく、このケフェウスを排除したい連中が絡んでいる。帝都の改革派の中にも…私の家庭の問題だけではない。奴らは近いうちに連絡を寄越すだろう。だが…」

「閣下、まさか…エリス様を」レインが思わず口走った。

「娘一人の命で、このケフェウスを守れるならばそうする。ケフェウスを守ることは、国を守ることに繋がるのだ」苦渋に満ちた顔で、ロズワルドは言い放った。

 アレスはその様子を見ながら、胸を衝かれるようなやりきれなさを感じていた。

 彼は気ままに旅を続けたいという気持ちを抱き続けると同時に、旅の中で知り合ったクラウスやレイン、ジェナス、そしてなんとか和解のような形でお互いの事を話せるようになったカイルの事を、ただひたすらに心配しはじめていた。


(俺が何か言うべきなのか?そうなんだろうか…このケフェウスがどうとか、国がとか…わからないが…)

 アレスは目だけを動かして、カイルの周りにいる人々を見ていった。

 父親のロズワルド、レイン、クラウス、そしてジェナス達警護士。

 アレスはカイルを羨ましいとさえ思った。自分ですら、カイルの周りにいる人間の一人だった。そして、同じような彼のことを心配する人間が恐らく最低限でもこれだけいるということに、気がついたからだ。

(今ここで、自由なのは俺だけだ)


「まずはウィートリー達の連絡を待つしかない。カイル、お前のやったことを私は公爵という立場として決して褒めはしない。だが、エリスがどこにいるのかを突き止めたことは、お前とエリスの父として礼を言う」

「父上…エリスを…」体を起こそうとするカイルを、ロズワルドは制した。

「ゆっくり休め。私に何かあれば、オルフェスを頼れ。レイン嬢、息子を頼みます」

「…はい。あの…できればエリス様も」

「貴女が気に病む必要はない」

 そんなロズワルドを、カイルが失意に似た眼で見つめていた。彼の視線を振り払うかのようにロズワルドは静かに部屋を出た。

 

「閣下!」

 ロズワルドが振り返ると、アレスが意を決した眼で、彼を真っ直ぐ見つめていた。

「君か、どうした?」

「俺を、使ってはくれませんか?」

 アレスの申し出に、ロズワルドは一瞬呆気にとられた。彼をどう使えばいいのか、皆目見当がつかなかった、というのが正しい。

「使って欲しいとは…どういうことだ」

「言葉のままです。その…エリスお嬢様の救出に…今はなにがどうとか、うまくは説明できません。ただ…」

 ロズワルドは思わず笑みを浮かべた。

(誰かの役に立ちたいと思うのは、若さがあるからこそ…か)

「説明はあとで聞こう。構わない、少し待っていよう。支度を整えてくるがいい」

「あ、ありがとうございます!」

 アレスは廊下に響き渡る声で応えた。

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