第十七話 依頼
「アレス、君に剣の使い方を教えよう」
ロズワルドの申し出に、アレスは怪訝な顔をして尋ねた。
「あの…差し出がましいようですが、一応、剣士なのですが…」
「ああ、これは失礼したな。正確に言うならば、君の持っている剣の使い方だ」
執政官邸に戻ったロズワルドは、カートンからギルダの容態を聞くと安堵した顔を浮かべ、その後にアレスを執務室へと招き入れていた。
「剣をここに置きたまえ」
アレスは頷いて、机の上に剣を置いた。彼にとって未だにこの剣は、アロウスから譲り受けただけのものに過ぎない。しかし、二度の戦いを経験したことで愛着も沸いていた。
ロズワルドは剣を抜くと、再び机の上に置く。
「君は何も知らないと思うが、これはただの剣ではない。正直に言おう。君が怪我で伏せっている間に、一度すり替えたのだ」
「え?それは…」アレスは顔を赤くした。彼自身、持ち物にそれほど執着はしない性格だが、剣士が自分の剣を知らない間にすり替えられたというのは、恥でしかない。
それを察してか、ロズワルドは慰めるように言った。
「恥じることはない。ジェナスは君の剣をよく見せてもらったと言っていたから、よく似たような物を用意できたのだ。この事については謝りたい」
「いえ、俺が気がつくべき事です。肝に銘じておきます。続きをお願いします」
「ふむ。君がこの剣を手に入れた経緯はジェナスからそれとなく聞いてはいる。父親から貰ったそうだな?」
「はい、家宝だとかは言っていましたが、物置の奥にあったようなものなので…」
「そうか…」ロズワルドは考え込むようにして、
それは二十年前に、彼が使った魔剣よりも鋭い感覚だった。
ジェナスに剣をすり替えさせ、千人壁の部屋でウィートリーと話していたときとは根本的に何かが違った。
(アレスがいるせいなのか?)
ふと思いついて、ロズワルドはアレスを見た。
幼さを残しながら、どこかしら大人になろうとあがいているような表情だ。髪は昨今の剣士にしては短く、顔付きは悪くない。しっかりと自分を見つめ、瞳の奥には決意の光が見て取れる。
ロズワルドはオルフェスを思い出した。剣術学校時代、互いに剣の腕を競い合った。実を言えば、オルフェスとの勝負がついたとは言いがたい。
アレスはどこか、オルフェスと似ているところがある…そう思うと、彼はカイルを助けたということを抜きにしても、アレスを信用できると思い始めていた。
「あの?」
「ああ、すまん。君は私の友であるオルフェスによく似ていると思ってな」
「オルフェスというとあの、アルフィルク領のガフィーノ様ですか」
「そうだ。奴とは剣術学校時代からの友人だ。豪快な性格、武術に優れているが、女にめっぽう弱い」
「女に弱い、というのは俺にも当てはまります」
「そうか…話が逸れたな。本題に入ろう」ロズワルドは思わず苦笑し、それからアレスを真っ直ぐと見据えた。
「この剣は、魔剣だ。聞いたことはあるだろう?」
「……魔剣というと、あの二十年前に滅びたという魔族の、ですか」
アレスは剣術学校時代に、何度か魔剣について聞いたことがある。もっとも彼の場合は、座学はそれなりであり、歴史書も斜め読みをしているのでうろ覚えでしかない。
「そうだ。滅びたというのは正しい言い方ではない。私達が滅ぼしたのだ。魔剣と共に。だが、戦乱の中で作られた剣の全てを処分することは叶わなかった」彼は壁に飾られていた剣を手に取ると、ゆっくりと鞘から抜いた。
剣はその身を半分失った形で、ロズワルドの手にあった。
「これは二十年前に私が使っていたものだ。既に魔剣としての力はほぼ失われている。このケフェウスの前任者であるヨリフィス伯爵と交えた際、彼の剣を受けて互いに折れた」
ロズワルドは懐かしそうに剣を見てから、折れた剣を構えて眼を閉じた。
ほどなくして、折れた剣は少しずつ緑色に輝き始めた。
室内の空気が少しだけ張り詰めた雰囲気を帯び、アレスは鳥肌が立った。
(なんだ?)
背筋を伝うような感覚に誘われるままに、アレスは自らの剣を自然と握っていた。
そして、それは起こった。
アレスの剣はまばゆいほどに白く光輝き始めたのだ。
室内を満たしていた蝋燭の橙色は失われ、白い光はアレスを、ロズワルドを包みこみ、奇妙な暖かさを伴って、二人の心に何かを見せた。
漠然としたその何かは、アレスの全身を駆け巡り、そして光が収まると煙がかき消えるように去って行った。
呆然としたアレスは、ロズワルドを見た。
彼もまた、唖然とした表情で自分の折れた剣とアレスの剣を見比べたあと、剣を鞘に仕舞って壁に戻した。アレスも剣をしばらく眺めてから、鞘に剣を収める。
「どこかの風景が見えた」ロズワルドは呟くように言った。
「人も見えたような気がします」アレスが応じる。
「しかし、それ以上の何かだ…」
「はい」
「こんなことは初めてだ。その剣は…」彼は言葉を切ってから、再び言った。
「魔剣ではないのかもしれない」
「それならこれは…」
「ウィートリーの話では、それは遙か昔に作られた魔剣の類いということになる。あの男の話が本当であるならば、だが」ロズワルドは少し悔しそうな顔を見せた。
「父は建国当時からあると言っていました」
「ふむ、先ほどの現象を考えれば、それはあながち嘘というわけでもないだろうな。魔族について、もう少し学ぶべきだった。私達は戦時を終わらせることにだけ苦心して、自分達が滅ぼす相手のことをもっと考える必要があったと思う…君に話しても仕方の無いことだがな」
「閣下、実は…この剣ですが、クラウスさんの隊商と合流した時に野営地で光ったことがあります。あと、あの鍛冶屋でも…」
「それは剣を使っているときか?」
「いえ、剣に近づくと光は消えたんです。青く光っていました。俺の父は旅に出るときにこの剣を無くすなと念押ししました。今となっては、父が何かを知っていたと合点がいくのです」
「君は山賊と戦った際、大男の腕を切り落としたと聞いている。冷静に考えてみて、剣がそれほどの切れ味を持って、人の体を切ることはできるか?」
「言われてみると…そうですね」
「いいだろう。その剣の歴史については、全てが終わってからにしよう。アレス、魔剣というのは使い方さえ学べば、自分自身にとって最強の剣になる」
「最強…」
その言葉は、武術を学ぶ者なら必ずといっていいほどに憧れる言葉である。
「そうだ。なぜに魔剣が重宝されたか。それは剣が剣士の力を引き出すからだ。
ロズワルドは一息つくと、剣の柄を指さした。
「この装飾は手に直に触れることで、術を発揮する。剣士の心の内を、その刃に反映し、いかようにも強くなれる。しかし…」
「心で負ければ、勝てないということですか?」
「そうだ。私が君を見る限り、君はかなり強い。親の手前ではあるが、息子もかなり強いと思っているが、知っての通り、カイルは些か心が弱い。もし、同じ剣で互いに戦えば君が勝つだろう」
「いえ、そんな…俺はまだ、カイルに勝ったことはありませんよ」
「負けたこともないだろう?」
「先取するのはいつもカイルでした」
「しかし、君は山賊との戦いで、立派な働きをした。カイルはオルフェスに師事していた頃に、何度か戦いを経験している。それを考えれば、君の度胸は見事だ」
アレスは少し照れたようにして、うつむいた。
あの不思議な高揚感、戦いの中で感じたそれは剣の力だったとしても、ロズワルドの言葉が正しければ、心の強さで勝負をつけたとも言える。
「話を続けよう。アレス、剣を使うときは冷静さを保ち、自らの力の限界を感じるな。相手がどんなに強くとも、隙が無い人間はいない」
「それは…例えば俺でも閣下に勝てるということでしょうか?」
「そうだ。私もかつて戦神と呼ばれたヨリフィス伯爵に勝つことができた。これは私の剣士としての一番の成果だ。アレス、どんな人間でも必ず食事をする。眠る。排泄をする。病気にもかかる。そしていつか必ず死ぬ。それには絶対的に逆らうことができない。その繰り返しの中で、無敵とも言えるような人間でも隙が無いなどとは言えないのだ」
ロズワルドは続けた。
「人が動けば、どんなことであれ、無駄があり、隙がある。相手だけでなく、自分にも当てはまる」
アレスは頷いた。初めて会った人物にここまで深く言葉をかけられたのは初めてだった。それがなぜか、彼の心にまた別の強さを作り始めていた。
「わかりました。頑張ってみます」
「うむ。長くなってしまったが、君にしてもらいたいことがある」
「エリスお嬢様の救出でしょうか?」
「それは相手次第だ。君は“清き雲の山脈”の麓にあるヨリ村で短剣使いにあったそうだな?」
「短剣使い?ああ…」
アレスは妙な話し方をする男を思い出すと同時に、山の中で彷徨った苦い思い出も蘇っていた。
「その男がこのケフェウスにいる。私の執事のカートンとエリスの警護士ヴァレルとヘディも、その男を見ているが今ひとつはっきりとしない。さらに言えば、私の密偵達がその男に殺された」
「殺された?」アレスは驚いた。
「そうだ。名前はカバルという、恐ろしく腕の立つ男だ。私の密偵達もかなり腕が立つものだったが…状況はまだよくわかっていない。生き残ったものが、先ほど落ち着いたと言っていたから、後で詳しく聞こうとは思っている。その男がエリスと会ったあと、ほどなくしてエリスは攫われた。この事にウィートリーが絡んでいるとは思いもしなかったが」
アレスは執政官邸に来たときに、ロズワルドが執事と思われる男から何かを聞いていたのを思い出した。
(思った以上に
「アレス、君に頼みたいのはそのカバルの動向と隠れ家の探索だ。このケフェウスはヨリフィス伯爵が長い年月をかけて基礎から作り上げたものだ。二十年治めている私でも分からないことが多い。密偵達の行動もほとんどはリーンからの入国者や改革派の者たちを監視させるために使っていた。しかし、ウィートリーの一件で流れが大きく変わった」
「それは、あの梟の眼とかでしたか?」
「そうだ、よく覚えているな。梟の眼はヨリフィス伯爵が組織した密偵部隊だ。主に短剣を武器に、戦時下での諜報や暗殺を行っていた。恐らく、ウィートリーのように今でも
ロズワルドは机の引き出しを開けて、冊子を出した。
数枚めくると、アレスに向けて差し出した。
「梟の眼の資料だ。二十年前に私が書き留めたものではあるが、何かの役には立つと思う。君の記憶、それから私の密偵の話を元に、このケフェウスで彼らがどこに潜伏し、そして今何をしようとしているのか、ほんの少しでも構わない。見つけてくれないだろうか」
アレスは皮紙に書かれた細かく丁寧な文字をじっくりと眺めた。
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