第十四話 危機

(私はもっと注意深くなるべきだった!)

 カイルは雑踏の中を縫うようにして、ウィートリーの鍛冶屋に向かっていた。カートンにはバレンスタイン商会に向かうと伝えたのは、ロズワルドの注意を反らすことができると考えた上でのことだ。

 同時に、カイルは自分の視野がいかに狭いかを反省していた。自分のことで精一杯で、ロズワルドの妙な態度に気がつきながらも、それは山賊や久しぶり会ったせいだと思い込んでいた。


(アレスの働きに褒美などと…しかも、剣の手入れをあのウィートリーに任せるとは、アレスの剣に何か理由があるはずだ)


 “ウィートリー刀剣鍛冶”と看板が掲げられた店の前にたどり着くと、既に陽は暮れており、仕事を終えた人々が酒屋や定食屋に向かっていた。

 そんな中、店の木戸を若い男が閉めているところだった。

「すまない!ウィートリー殿は…」カイルが声をかけると、男は店じまいの際になんだという顔をした。

「はい?ああ、親父のことですね」

「父ということは、あなたはラッセル・ウィートリー?」

「ええ、失礼ですがあなたは?」

「私はカイル・グラン。ロズワルド・グランの息子です」

「なんと!これは大変失礼いたしました!」ラッセルが慌てて跪こうとするのを、カイルは止めて言った。

「私はまだ若輩者です。その様なお気遣いは無用です。ルディさんに話があってきたのです」

「少々お待ちを、今すぐ呼んで参ります」ラッセルが慌てて店の中に駆け込むと、親父という声が何度か聞こえた後、ウィートリーがゆっくりと出てきた。


「これはカイル様。この様な場所に足を運んで頂いたとは…どうなされました?」彼は眉根を寄せて、深い皺をより濃くしていた。

「ウィートリーさん、包み隠さず話して欲しいのです。アレスの剣を手入れするという話、私は自分のことでいっぱいで、特に気にもしていなかった。しかし、今になって妙だと思ったのです。アレスの剣には何か秘密があるのでは?」

「はて、その様なことを言われましてもな…」

 カイルはウィートリーの眼に出たわずかな揺らぎを見逃さなかった。

「今は時間が惜しいのです」そう言って、カイルはウィートリーに詰め寄ると、腕を引っ張って店の中に入った。

「一体何事なのですかな?」

「ウィートリーさん、よく聞いて欲しい。私があなたを信頼しているから話すのです」カイルは声をひそめて、ウィートリーの耳元で言った。

「エリスがさらわれました」

「なんと!」ウィートリーは思わず声を上げた。ラッセルが怪訝そうな顔で二人を見る。

「ラッセル。カイル様と少し話がある。ここは外しなさい」

 ラッセルはその言葉に頷いて、奥にさがる。

 店の中には剣や短剣、盾などが飾られ、金属の冷たさが店の中の雰囲気をより一層張り詰めさせた。

 カイルはウィートリーに向き直った。

「父は何かを隠している。それは私にでもわかる。もし、何事もなければそれで済んだ話なのです。しかし、その隠し事のせいでエリスがさらわれた…そう思うのです。うまくは言えませんが…エリスの誘拐とアレスの剣、無関係ではないのでしょう?」

「それはなんとも言えませんな…」彼はそう言うと、作業場の棚に置いてある剣を持ってくると、おもむろに鞘から抜いて机の上に置いた。

 柄に複雑に施された模様、蝋燭の火で輝く剣は美しく、カイルはしばらく呆然としてそれを見ていた。

 

「なんなんです…この剣は…いや、あなたが手入れをしたのならこの美しさは納得できるのですが…」

「私はまだ何もしてはおりませんよ。この剣は、人を斬っても、その辺の剣と相対したところで欠けもしないでしょうな」

 ウィートリーは剣を持ち、その切っ先をカイルに突きつけた。

「なにを…」カイルはたじろいだ。

「本当にあなたはまだまだのようです。反省から何も学んではいない。ひとつのことに夢中になると、他のことには眼が行かなくなる。それはロズワルド公爵も同じ事…あの親にしてこの子ありとはよく言ったものですな。ラッセル!」

 店の奥から、ラッセルが出てきた。腰に剣を帯び、殺気走った眼は、先ほど店の外で見た若者とは雰囲気がまるで変わっていた。

 カイルは自らの剣のつかに手をかけつつ、後ずさりをした。

「カイル様、梟の眼を侮るなかれですよ」ウィートリーは険しい顔には似つかわしくない笑みを浮かべた。

「梟の眼、何故その言葉を…」

 カイルの首筋を汗が伝い、背中がじわりと湿気を帯びていく。ラッセルがつかに手をかけにじり寄ってきた。

「エリス様のことは偶然でしてな…なに、無事ですよ、今のところは…しかし、ここであなたに逃げられると我々も都合が悪いのです。実に心苦しいのですが、大人しく捕まって頂けませんかな?」 

「全て仕組んだ事だと言うのかっ!」カイルは激高した。

 彼の手は流れるように剣を抜き払い、ウィートリーの突きつけた剣をその手から弾き飛ばすと、鋭い気迫のままラッセルに突進する。

 ラッセルは剣を抜きかけたまま、カイルの突進を食らって飛ばされ、背中から棚に突っ込んだ。凄まじい音を立てて、彼の上に鎧や盾などが降り注ぎ、そのいくつかが頭に当たるとそのまま突っ伏して倒れた。

 カイルは鋭い殺気を感じて振り返ると、ウィートリーが小型の剣を手に下段から切り上げる。

 咄嗟に打ち合おうとしたカイルだったが、剣は彼の左腕を切り裂いて血をほとばしらせた。

 しかし、彼は迷わなかった。

 血で染まった左手で、振り上がったウィートリーの腕を掴むと、剣の柄頭つかがしらでこめかみを打ち据えた。

 ウィートリーが呻いて倒れ込んだところに蹴りを入れようとするが、起き上がったラッセルが雄叫びを上げながら彼の腹に頭突きをし、そのまま体を掴むと店の木戸に投げ飛ばした。

 背中を激しく木戸にぶつけて店の外に転がり出たカイルに、顔面を血に染めたラッセルが剣を手にゆっくりと近づいた。

 

 通りの人々は突然の出来事にざわつき、何事かと遠巻きにしはじめる。

 カイルは頭を振って、立ち上がろうとするが、腹にラッセルの強い蹴りを食らって仰向けに倒れた。

(く、くそっ…誰か…警備士は…)

 腹と背中の痛みで体の自由の利かない中、唯一動く眼を動かすが、周囲の人々はどうしただとか、何が起きてると騒ぐばかりで彼を助けようとするものはいない。

 誰もが血だらけの二人と、ラッセルの持つ剣に恐怖を感じていたのだ。

「大人しくしていればよいものを…」

 ラッセルの剣が振り下ろされた瞬間、カイルは渾身の力で鞘を抜いて剣を受ける。

 木製の鞘は軋んだ音を立てながらも、割れることなく刃を食い込ませたままこらえていた。

「しつこい奴だ!」ラッセルが吼えて、鞘に食い込んだ剣ごとカイルの首筋に刃を押し当てようと力を込めた。


「助けるのは二度目だぜ」

 その言葉と共に、ラッセルが後ろに飛ばされた。

 彼の襟元が若い男に掴まれて引き離されたのだ。

 剣が手から離れると、ラッセルは眼に入ったであろう血を拭いながら立ち上がった。

 カイルを一瞥して舌打ちすると、彼は店の中に走り込み、昏倒しているウィートリーを軽々と抱きかかえて奥へと消えていった。 

「ア、アレス…」

 アレスはカイルを抱え起こした。

「ひどい様だな。男前が台無しだぜ。おい、お前ら…さっさと手当てできるものを持ってこい!」アレスが周囲の野次馬に怒鳴りつけると、人々は大慌てで動き出した。

 近くの店から手拭いや水を持ってくる者、包帯を持ってくる者がわらわらと集まり、その周囲では今起きた出来事をひそひそと話す声で溢れた。

 アレスはカイルの出血を抑えるため、左の二の腕を縛りながら、周りの人々にあれがいる、これがいると指示を出す。

「なぜ、ここに…」カイルは声を絞り出した。

「実は剣が気になってさ。親父から家宝だとか無くすなとか色々言われていたし…俺もあの剣は少し妙だと思ってたもんだから、まあ、返して貰おうと。そうしたら、この騒ぎで驚いたぜ。あのウィートリーとかいうおっさん、危ない奴だったんだな」

「すまん、面目ない。父の古くからの知り合いで、私も色々と親切にしてもらっていた…それが、まさか」

 カイルの両目から涙が溢れ出た。

 裏切られたばかりか、妹すらもさらい、訳も分からぬままに戦うことになった彼にとって、その事実は何よりも苦痛であり、屈辱だった。

「私は愚かだ…何も知らない間抜けな男だ…」カイルは嗚咽を漏らした。

「その話は後だ。お前、腕の傷はかなりひどいぞ。ここら辺には警備士はいないのか?」

 アレスは周りの人々を見まわして言った。

「兄ちゃん、警備士なら剣を見て真っ先に逃げたぞ」年配の男が答える。

「逃げた?まったく…おい、誰でもいいから手を貸せ」

「アレス…なんとか立てる…お前の剣、店の中にあるはずだ…」

「わかった。ちょっと待ってろ。おい、あんた、頼めるか?」アレスは側にいた若い女が頷くのを見ると人混みをかき分けて、店の中に入っていったた。


 崩れた棚、散らばった盾や鎧と剣、その中でアレスは自らの剣をすぐに見つけ出した。

「本当に家宝かもしれないな」

 剣は薄く青い光を放っていた。

 彼が散らかった鎧や盾をどかして剣を拾い上げると、その光はまるで満足したかのように消えた。

 机の横に落ちていた鞘を拾って剣を仕舞い、腰に差す。

(しかし、何があった?あいつはあのおっさんを大分信用していたはずだが……とにかくカイルを執政官邸に連れていくか?いや、距離としてはバレンスタイン商会に行った方がいいか)

 アレスは一人頷くと、減り始めた人混みをかき分けて戻った。

「カイル、お前をレインさんのところに連れて行く。あそこなら近いし、まともな処置ができる。いいな」

「…ああ」力なく頷くカイルの右腕を肩にまわして立たせると、どいてくれと言いながら、人々の好奇の目を背に彼は歩き出した。

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