第十三話 囚われの者
「それはまた、随分とあの男に恥をかかせたもんだな」
オルフェスはマキの話を聞いて、呆れていた。同時に目の前にいる美女が慕う男に興味を抱いた。
たき火の柔らかい橙色の光が揺らめいていた。
鹿肉の燻製が少しあぶられ、山菜の汁物と一緒に彼女の前に置かれていた。
マキを連れて野営地に戻ったオルフェスは、エイカーに命じてまず食事を用意させていた。他の部下達はそれぞれの仕事をしながら、オルフェスとマキの会話に耳をそばだてていた。
マキはユーリとの経緯を話した。さらに、アレスがケフェウス方面に向かったことを帝都の門番から聞いて、とりあえずは旅に出たのだ。
若い剣士が旅をしているのは珍しくもないため、彼女はまず大街道の最初の宿場で宿を虱潰しにして聞き込んだ。その結果、彼が間違いなくケフェウス方面に向かったことを確認した。
しかし、その時間をかけた行為がユーリ・ハインズから執拗に追われる原因となった。
貴族であるユーリは、大街道の他に道があることを知っており、マキを追いながら人気の少ない街道に誘導したまでは良かったが、その後のことは彼にも予想していなかった。
オルフェスはマキから事の子細を聞くと、少しばかり険しい顔をしてから言った。
「マキ・イズモ、君のやったことはあまり褒められた行為ではないな」
「…はい」
「ユーリのやったことは貴族として、男として最低ではあるが、そういう人物にこそ礼儀を尽くすことも必要だ。今回のことで、奴は恐らく俺に対して恨みを抱いただろう。まあ、過ぎたことだ。今更どうこう言っても仕方ない」
「はい。今になって思えば、ユーリ様には大変失礼なことを…もし、閣下が私を罰すると仰せならば、私に不服はございません」
「そう畏まらなくてもかまわん。君の無礼とユーリの無礼で相殺といったところだろう。それで、その幼馴染みとやらはどんな男だ?」
「それは…」マキは言い淀んだ。まさか、無職で父親に追い出されたなどとはおいそれとは言えない。
「察するに、何も考えていない男だな」オルフェスはしたり顔で笑った。
「えっ?」マキは驚いて、オルフェスの顔を見つめた。
「君は美しい。それだけに、自分の立場を誰かに決められることを恐れている。様々な男に言い寄られ、本心でなくとも笑う術を身につけている」
「それは…」
「だが、何も考えていない男は、時に女の本心を引き出す。君は自分の居場所をその男に見ているのだな?」
マキはたき火を見た。
火が揺らめいて、時折静かに流れる風が暖かを運び、彼女を包み込む。
ああ、そうだ…とマキは思った。
アレスはこの静かで火の暖かさを運ぶ風のように、彼女に温もりを与えていたのだ。少し微睡むような、アレスの屈託のなさが、マキの小さな嘘で塗り固めた笑顔を溶かしていたと。
オルフェスは、マキの様子に満足すると、簡易寝所の準備をしていた女性を呼んだ。
「アリシア、ここに来い」
彼女は足早に近づいてひざまずいた。赤毛の短い髪に、鋭い目つきだが幼さの残る顔をした彼女は心なしか、緊張していた。
「ご用は?」
「明日からは別行動だ。このお嬢さんをケフェウスまで送ってやってくれ」
「は?」アリシアは怪訝な表情を浮かべると、マキを見た。その顔には少しばかり、侮蔑の色が浮かんでいる。
「お前は正直だなぁ」オルフェスは苦笑した。
「お言葉ですが閣下。私の役目は閣下のお世話をすること。このような商人の娘に関わるなど、まっぴら御免です。どのような理由があろうとも、閣下から離れたとあっては、父に叱られます」
「マキ、この女はアリシア・セラス。明日から君を護衛してくれる」
「閣下!」アリシアは怒気を含んだ声で言った。
「心配することはない。君と年齢が近く、女の身ながら剣の腕も立つ」
「閣下!私は!」
「お前は俺の命令に逆らっても、父に叱られることが怖いのか?」オルフェスはにやりと笑うと、アリシアの側に寄って肩を抱いた。
「お前は美しいのでな、側にいると俺も良からぬことを考えてしまう。そんなことをしては、お前の父マーレイに首を差し出さねばならん」
「な、冗談が過ぎます…」アリシアは耳まで顔を赤く染めた。それを見ていたマキは思わず顔を伏せる。
オルフェスはアリシアの耳元で囁くように続けた。
「俺もあと二十年若ければ、お前のように強く美しい女と添い遂げようと誓ったかもしれん。しかし、俺よりも年下の養父とはさすがに、な。うまく任務をこなせばエイカーとの仲も取り持ってやるぞ」
「わ、私は別に…」
「隠し立てしても無駄だぞ。旅の道中、お前はずっとエイカーのことを気にしていただろう。あいつは頭は良いが、女のこととなると童貞丸出しの態度で面白いから放っておいたのだ。それとも、自分の父より年上の男に尽くすのがよければ俺は構わんぞ」
「お、おやめください。そのような破廉恥な…」
「では、受けてくれるな?」
「わかりました、わかりましたから!」アリシアは慌てて、オルフェスから離れた。
「泣くことはないだろう」オルフェスがからかうと、彼女はあわてて目を拭った。
「あ、あの~私はその一人でも…」マキがおずおずと言ったが、アリシアがキッと彼女を睨んだ。
「私はあなたの護衛を仰せつかったのです。口を挟まないで!」
「そういうことだ、マキ。一度助けた者が再び襲われることがあれば、俺自身の名前に傷が付く。俺はどうでもいいんだが、周りがうるさいのでな」
「しかし、それではあまりにも…私は閣下に恩返しする術を持ちません」
「…ふむ、ならば俺の妻になるか?」
「閣下!」エイカーが慌てて飛んできた。
「なんだ、冗談に決まっているだろう?」
「先ほどから聞いておりましたが、このような若い女性に不埒な事ばかり。これでは姉に叱られます」
「なんだ、お前も身内が怖いのか」
「姉の怖さは閣下もご存じの筈です!」エイカーの剣幕に、さしものオルフェスもたじろいだ。
「ま、まあ、確かに…アイラを怒らせると、俺もしばらくは執務室に軟禁されるからな…決して言うなよ」
「それは閣下次第です」
「うっそれは…」オルフェスは苦い顔をして腕組みして黙り込んだ。
「アリシア、マキさんを必ずお守りしろ。後のことはグラン公爵様が面倒を見てくれる筈だ。私も付いて行きたいところだが、この方が帝都で無茶をせぬよう見張っていなければならん。姉にもお前の父にもうまく伝えておく」
「…は、はい」アリシアは頬を染めた。
「あーあ、可愛い顔しちゃって」オルフェスがぼそっと呟くと、それを聞いたマキは思わず笑いをこらえた。
***
螺鈿の蝶があしらわれた薄紅色の髪留めを見て、ロズワルドとカイルは青ざめていた。
執事のカートン、警護士のヴァレルとヘディは憔悴しきり、ひざまずいたまま顔を上げなかった。
「…私が少し目を離した隙にこの様なことに…申し開きのしようがございません。どのような処分でもお受けいたします」カートンが声を絞り出すようにして言った。
「お前はよく尽くしてくれている。今回のことはエリスの奔放さと私の油断が招いた結果だ…」
「父上、一体どういうことなんです?エリスがなぜ攫われるようなことに…それに、この梟の眼とはなんなんです?」
カイルは手にした皮紙をロズワルドに突きつけた。
『梟の眼を侮るな』
その一言だけが書かれていた。
時は少し遡る。
ロズワルドはその日、カイルにアレスの剣を受け取りに行くように伝えた後、エリスを探していた。
彼には二つの懸念があった。
ひとつはアレスへの疑念が完全に晴れていないこと、もうひとつは恐らく自分を狙ってくるだろうという憶測めいたもの。
バレンスタイン商会が街に戻ってきてから、彼はギルダに命じて探索させていた。
しかし、ギルダが戻るよりも先に執政官邸に届けられたのは、オルフェスがエリスに贈った髪留めと皮紙の手紙である。
その瞬間、ロズワルドは全身に震えが走り、自分自身の迂闊さを呪った。
エリスの自由奔放な性格は、ロズワルドにとって何ものにも代えがたい成長の証でもあった。自由に街を歩き、友人を作り、遊んで学ぶこと。
それは彼と妻であるエレナの希望でもあった。
皇帝一族であるエレナは、自らの出自と育てられ方に不満を募らせていた。そして、ロズワルドとの結婚は、政略的な意味合いと同時に彼女にとって最大の苦痛になるはずだった。
かつてケフェウスを治めていたヨリフィス伯爵を倒した剣士を、国に縛り付けておく為の結婚。
しかし、物事は良い方に転がった。
ロズワルドとエレナは出会った瞬間から惹かれ合ったのである。
それ故に、カイルとエリスは二人にとって政治的な意味合いなどが関係ないほどに、愛してやまない存在となっている。
バレンスタイン商会が戻り、アレスと彼が持っていた剣が、ロズワルドの判断を遅らせた。
エリスが出かける直前、ロズワルドは彼女にしばらく街に出ないように、と言うつもりだったのだ。
「お前達はもうさがってよい」ロズワルドは沈痛な面持ちで言った。
「し、しかし…」ヴァレルが真っ赤に腫らした目で、ロズワルドを見た。
ヴァレルとヘディは、エリスが幼い頃から警護している。それだけに、悔しさは人一倍強く、すぐにでも再び街に出て探そうとしていた。
だが、既に夜が迫り、仕事を終えた者達で街は溢れかえっていた。昼間とは異なった街で、誘拐された少女を探し出すのは不可能だ。
「やはり、あの男が怪しいのです!あの、短剣使いの…」ヘディがまくし立てる。
「いいからさがれ。お前達の気持ちはわかっている。エリスを連れ去った男は、何かしら連絡をしてくるだろう。エリスとその男が出会ったのは偶然という他ない。この様なものを送りつけてくるということは、早々に手を出すことはあるまい」
「父上、私は納得いきません!」
「後で話す。お前達、このことは決して他言するな」
「母にはなんとお伝えするつもりなのですか!」
「バレンスタイン商会のレイン嬢のところへ泊まったことにする。カイル、お前も外には出るな。いいな!」
「ですが!」
ロズワルドは食い下がるカイルを無視して、その場を去った。
執務室に入ると鍵をかけ、机上の鈴を鳴らそうと手を伸ばしかけて驚いた。
「ギルダ!どうした、その怪我は!」ロズワルドが駆け寄ると、床に横たわったギルダは薄く目を覚ました。
「…閣下、申し訳ございません…エリス様をお助けすることが…叶わず…」
ギルダは自ら太股の付け根を縛りあげ、血を止めてはいたがその顔は血の気を失っていた。
「待て、まずは怪我の手当が先だ」
立ち上がろうとしたロズワルドの手を、ギルダは恐ろしい力で掴んだ。
青白い顔とは対照的に、その目には力強い意志があった。
「あの男は…エリス様をしばらく預かると…」
「そう言ったのか?」
「はい…確かに、そう伝えろと…」
「わかった。とにかく手当をしろ。他の者はどうした?」
「あの男に…敵わず…」
「全員やられたというのか」ロズワルドは愕然とした。
「……並大抵の者では…それから…」ギルダはそれだけ言うと、力尽きて目を閉じた。
ロズワルドは頭を振り、彼女を抱きかかえた。
「カートン!」ロズワルドは執務室を出ると叫んだ。
カートンの他にヴァレルとヘディが駆けつける。
「この者の手当を頼む。相当に血を失っている」
「あの、この者は…」動揺するカートン。
「詮索はいい!カイルはどこに行った?」
「お止めはしたのですが…バレンスタイン商会に行くと」
「なんだと…あの馬鹿者が!仕方ない。私も向かう!」
「閣下!しかし…」
「よいか、その者を絶対に死なせるな!」
ロズワルドはそう言って、廊下を走り出した。
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