第五話 学友
「まさか貴様に助けられるとはな」
カイル・グランは端正な顔の眉間に皺を寄せて、吐き捨てるように言った。アレス自身はこの男に嫌われているという確信はあったが、助けて置いてそれはないだろう、という不満をあえてしまい込んだ。
「カイル殿とのご学友とは、なんともよい偶然でした。ありがとうございます」バレンスタイン商会の主、クラウスは口髭を生やした威厳ある風貌とは裏腹に深々と頭を下げた。
「本当に…私からも御礼申し上げます」頬にかかった淡い金色の髪を耳にかきあげ、レイン・バレンスタインは碧い眼でアレスを見つめた。整った顔立ちと碧い眼の輝きは聡明さを表し、アレスは思わず見つめ返した。
山賊に襲われていたのはバレンスタイン商会の隊商だった。
戦いが終わった直後、アレスは全身血まみれになっており、クラウス達から服の代わりをもらい、体を拭いて野営地の簡易寝所から出てきたところだった。
隊商側の被害は警護士が三人死亡、三人が重軽傷を負うという結果になった。彼はそこで偶然にも剣術学校時代の同期であるカイルと再会し、クラウスと娘のレインに礼を言われたのだ。
さらにケフェウスまでの残りの道程について、クラウスから臨時の警護士として隊商に加わって欲しいと頼まれていた。
「実に見事な戦いぶりでした。ぜひとも我が隊商を守っていただければ、これほど心強いことはりません」
「はぁ、しかし、俺は警護士の資格を持っていませんよ。警護士長に許可を頂ければ、問題はないですが…というわけだ、カイル。お前から頼む。推薦人が必要だったよな?」
「クラウス殿、私はこの男の剣術の腕前は認めますが、推薦しかねます」
「カイル、お前は相変わらず固いねーいいさ、俺が直接、警護士長に頼むよ。クラウスさん、ケフェウスは目的地でもあるので、ぜひ同行させてください。このように美しいご息女がおられるからには、獣のような山賊なんぞに指一本触れさせません」
「アレス様、そんなお世辞などは…私などお気になさらずに」レインは少し頬を赤らめた。
「いえ、男子たるもの、女性を守らなければ生まれてきた価値などひとかけらもありませんよ」アレスはレインの前に跪いて、最敬礼した。
「貴様!馴れ馴れしいぞ!」カイルが割って入り、アレスをにらみつけた。
「まあまあ、カイル殿。アレス殿は愉快な方ではないですか」クラウスは笑いながら言ったが、カイルは不満を隠さない。
「この男は、女性と見ればすぐに口説こうとする不埒者です」
「でも、警護士の人数が足りないのも事実でしょう?この方が助けに入ってくださらなければ、もっと多くの人が亡くなっていたかしれません。
私がこのようなことを言うのは大変失礼かと思いますが、亡くなられたお三方に免じて、警護士長様にアレス様を推薦なさってください」
「レイン嬢…しかし…」カイルは懇願するレインを見て、軽くため息をついた。
「そうまで仰るなら…確かに剣の腕だけは頼るべきところ。アレス、お前の剣は認めるが、私の許可なしにうろつくな、レイン嬢にも話しかけるな、できれば存在を消していろ」
「無茶苦茶言いやがる」アレスは肩をすくめた。
カイルは渋々ながら、アレスを警護士長であるジェナスに紹介した。ジェナスは大柄で強面であり、小悪党くらいは簡単に逃げ出しそうな容貌をしている。三十代半ばで既に髪の毛は薄くなりかけていた。
「ジェナス隊長、こいつがアレスです。私の同期で、先ほどの戦いでお分かりのように剣の腕前だけは確かな男です」
ジェナスはギロリとした目でアレスを上から下までじっくりと見た。ほどなくして、目を糸のように細めながら、アレスの両肩をバシバシと叩き「先ほどは助かった!」と言った。
「残念ながら三人も仲間を失ってしまったが…これは俺の不徳の致すところ。さらに怪我人もいる状況では心許なかった。アレス殿、実に助かる」
「アレスで結構ですよ、ジェナス隊長。しかし、これだけの規模の隊商でなぜ十人しかいなかったんですか?」アレスは疑問をぶつけた。
三十人の人間を守るには、十人では最低限度の人数であり、従来であれば二十人以上は必要だ。人を守るというのはたやすいことではない。
「では、アレスと呼ばせてもらおう。今回の事は春の大しけのせいだよ。タイシャ国からの荷物が遅れて、ランドルースやグランザック、それ以外の隊商と移動時期が重なって、警護士が足りなくなった。
我々はバレンスタインとの契約優先で動いていたが、間の悪いことに、バレンスタインの荷物が一番遅れたせいで、警護士を集めるのも一苦労だった、というわけだ。」
「なるほど」
「ここから二日ばかりでケフェウスに到着する。もう山道を終わるから先ほどの連中も無理には襲っては来ないだろうが、油断は禁物だ…カイル、同期であるならアレスと組んでしんがりを務めてくれ」
「私がですか!?」カイルは驚いて聞き返した。
「他に誰がいる。お前も認める男なのだろう?」
「いや、しかし…」カイルはうんざりした。そもそもアレスとは剣術学校で知り合ったが、反りが合っていなかった。
カイルは剣術学校時代を思い出した。
彼にとってアレスの印象は最悪だった。女性と見れば、相手が貴族の娘だろうと街の娘だろうと声を掛け、しかもそのほとんどと仲良くなっていた。
アレスが誰かと恋人関係になったという話は噂程度にしかならなかったが、いかに真面目なカイルと言えども、十代の少年にとって十分嫉妬する理由にもなり得た。それだけならまだしも、アレスの剣術は正当に認めざるを得ないものだった。
(なんで私がこいつなんかと…)
カイルは苛立ちながらも、二日の辛抱だと自分に言い聞かせた。
「ケフェウスまでだろ、な、カイル」アレスの能天気な声にカイルは苛立ったが、なんとか押し殺してジェナスに短く「はい」とだけ答えた。
「お前の寝床はそこだ。いいか、決してレイン嬢に近づくな」
「なんだよ、しつこい奴だな。レインさんから近づいてくる分には断る理由はないね。だけどよ、カイル、惚れてるなら惚れてるって言えばいいだろうに」
「な、うるさい!」カイルは真っ赤になって怒鳴った。周りが何事かと振り向いたが、カイルは軽く咳ばらいをして続けた。
「貴様はあくまでも臨時だからな。ケフェウスに着いたらどこにでも行け、いや早々に去れ」
「言われなくてもそうする。俺はお前と違って自由だからな」アレスはふふんと鼻を鳴らした。
「この際だから言っておく。貴様の剣の腕は認めるし、今回の事は礼を言う。だが、私は貴様が大嫌いだ。嫌いな人間に、将来の伴侶となる女性に近づいてほしくはない」
「はっきり言うじゃないか。しかも伴侶ときたもんだ。お前のことだから、なんだかんだと理由を付けて家名を使うつもりだろ?」
「なんだと、私を愚弄するのか!?」カイルは剣の柄に手をかけた。
「怒るってのは、あながち間違いじゃないってことだろうが。女くらい、自分の力で口説けよ」
「…余計なお世話だ!」カイルは言い捨てて、アレスから離れた。
彼自身、気が高ぶっていた。山賊との戦闘は思い出したくもない出来事であり、一方的に嫌っている男に助けられたという負い目も感じていた。
***
アレスは全身にかいた汗の不快感を感じてゆっくりと起きた。クラウスとレインから、疲れただろうからと、早くに寝ることを進められ、彼はその言葉に従った。しかし、実際には半分起きているかのような状態が続いただけだった。
手が震えていることに気が付き、彼は手を抱え込んだ。アロウスから貰った古い剣は予想以上の切れ味で、人の体をいとも簡単に切り裂いた。反射的に体が動いたとはいえ、アレスは自分があっさりと人を殺せたことに驚いていた。同時に、そんなふうに鍛えたアロウスに対して、恨み言が出たのも確かだ。
(なんだってんだ、ちくしょうが)
野営地は、見張り番が小声で話している内容が漏れ聞こえる程度に静かで、時折、夜の鳥が鳴いていた。それが静かさを助長し、アレスは拭いきれない不安をどうにかしたくて、寝所から出た。春の夜風が心地よく流れ、体の不快感が幾分か和らいだ。
「起きたのか」
焚火のそばに座っていたジェナスが声をかけてきた。木の爆ぜる音が響いて、心地良い暖かさが感じられる。
「どうにも眠れなくて。見張り、お疲れ様です」
「慣れたもんさ。まあ、座れよ」
「お言葉に甘えて」
「これでも飲め」ジェナスは木椀に温かい茶を注いで差し出した。アレスは受け取ると、温もりを確かめるようにすする。
「戦いは初めてだな?」
アレスは頷いた。
「その割には落ち着いていた。一人であれほどの集団に突っ込むなんてな…今になって思えば大馬鹿のやることだ。もっともその大馬鹿のお陰で助かった。改めて礼を言う」
「いいんですよ。俺だって助かったんです」
「どういうことだ?」
アレスは肩をすくめて、事の顛末を話した。ジェナスは最初、呆れた顔をしていたが、少し考え込むようにして腕組みをした。
「妙な話だな。その短剣使いが裏道を薦めたのは何らかの意図がありそうだ」
「俺もそう思います。ただ、なんで俺だったのか…」
「一つ気になることがある。短剣使いは剣のことを言ったのだな?」
「はい。親父からもらった古い剣です。あんなに切れるとは思ってもいなかった」
「剣を見せてもらえないか?」
アレスは了承し、剣を取りに戻った。寝所に入るとひんやりとした空気が、焚火で温まった体を震わせた。
(なんだ?光っている?)
枕元に置いていた剣は、鞘と柄の間から淡い光が漏れていた。アレスは手に取ることをためらった。
(親父の奴、何か妙なものを持たせたんじゃないだろうな。剣が光るなんて…まさかな)
気が付くと、既に光は消えていた。
「どうした?」
アレスが戻ると、様子を察してジェナスは怪訝な顔をした。
「いえ、なんでも…どうぞ」
「随分と古いな」彼は剣を受け取ると、留め具を外して剣を抜いた。すらりとした剣に焚火の明かりが反射して煌いた。彼は何度か剣を裏返しながら、刃を見た後、感心したように「ほう」と息を吐いた。
(これが昼間に人を斬った剣だとは…刃こぼれ一つしていない。柄の複雑な装飾は今では見られない細工だな。しかし、普通の剣よりも刀身が少し短いのか…いや、柄が少し長いのか)
彼は剣の美しさにしばし魅了された。タイシャ国の言い伝えに、古いものには魂が宿るという言葉を思い出していた。
「どうです?」
「見事、としか言いようがない。金さえあれば譲ってほしいくらいだ」
「まさか…ただの古い剣ですよ。物置に置かれていたようなもんです」
「いつ頃のものだ?」
「親父は建国以来あると…箔をつけるために、適当なことを言ったんだと思いますが」
「そうか?今の剣は実用重視で、柄に装飾を施すことは珍しい。古い剣に違いはあるまい。お前に話しかけたという短剣使いは何か知っていたのかもしれないな。それに…」
「それに?」
「古い剣だという割には、あまりも綺麗すぎる。昼間の戦い、お前が斬った連中は骨まで見事に断ち切れていた。その剣が短剣使いの目に留まったように、別の誰かが目を付けるかもしれない。装飾が目立たぬように柄にに革でも巻いておくといい」
「そうします。色々とありがとうございます。もう一度寝ておきます」
「そうするといい。ケフェウスまではあとわずかだ。こういっちゃなんだが、一度経験すれば、慣れるものだ。明日からは頼むぞ」
ジェナスは思い出したように付け加えた。
「カイルのことだが、少し柔軟性に欠ける。お前との間に何があったかは知らんが、うまくやってくれないか」
「もちろんです」アレスは頷いた。
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