第六話 双剣のザガン

 翌朝、隊商は野営地を離れた。警護士三人の遺体は丁寧に葬られたが、山賊のものは谷底へと落とされた。数日もしないうちにそれらは全て獣に食い尽くされ、骨だけになる。悪事を働く者への見せしめの意味が込められていた。

 隊商のしんがりを務めるアレスとカイルはお互いに口を利かないまま、周囲を警戒しつつ黙々と歩いた。


拍子抜けするほどに何事もなく一日が過ぎ、再び野営を行った。アレスは持ち前の当たりの良さを発揮して他の警護士、隊商人と親しげな言葉を交わすようになっていた。

「アレス様はカイル様と同じ学校におられたのですね。カイル様はどんな感じでお過ごしでしたの?」隊商人の若い娘数人がアレスに質問をしていた。

 カイルは端正な顔立ちに加え、剣術学校首席、ケフェウス領主ロズワルド・グランの子息という申し分ない身分であり、あわよくばと唾を付けようとする女性は多い。レインとの関係が正式になっていない以上、玉の輿を狙うのは当然だった。


 アレスは身振り手振りを交えながら、剣術学校時代や自分が旅で体験したことを話して、女性達の笑いと興味を誘っていた。

 時折起きる、彼女たちの楽しそうな笑い声に、クラウスやレイン、他の警護士達も前日の重苦しい雰囲気から逃れられると歓迎していた。


「アレス様は面白い方ですね」アレスの話す様を見て、レインがおかしそうに言うと、カイルは苦々しげに言った。

「あの男は軽薄なだけです。いつもあの様にしてくだらぬ事を話して笑いをとり、女性達を口説いているんです」

「良いではありませんか。それがあの方の魅力なのですから」

「馬鹿なことを」カイルは苛立ちを隠さずに、レインを見つめた。

「実は先ほど、アレス様にあなたのことをお尋ねしたのです」

「なんでまた…」カイルは絶句した。

「なぜ、あなたがアレス様を嫌っているのかもお尋ねしました。あの方は困ったように笑って、育ち方の違いだと仰いました」

「私の育ち方が悪いと?」

「まさか。あなたは悪い方にばかりお考え過ぎです。アレス様はが仰ったのは、それぞれの育ち方で見てきたもの、感じてきたものが違い、それ故に相容れない部分があって、偶々それが表面化しているに過ぎないと…」

「それが正しい答えだと思うのですか?」

「私もあなたもアレス様も、たかだか十八歳です。答えを出すのは早いと思います」

 カイルは押し黙って、レインの聡明な碧い眼を見つめた。


(この人はいつだって私の先を行ってしまう。私がつまらない考えを持つ男だとでも思っているのだろうな…)


 カイルと彼女は幼い頃、よく遊んだ仲だ。しかし、カイルが剣術学校に入る少し前から、二人の間にはいつしか見えない壁のようなものに遮られるようになっていた。お互いをカイル様、レイン嬢などとかしこまった物言いで言葉を交わし、自分たちの意志とは関係なくお互いの親同士でいつか結婚を…などという話が進んでいた。

 カイル自身、そのことに不満はない。剣術学校にいる間、レインは父親のクラウスに共に何度か帝都に来てカイルと会い、街をまわったり、食事をしたりと清い交際のようなものを続けていた。しかし、カイルはそれが彼女自身の義務感からではないかと思い始めていた。


(いつか尋ねようと思っているうちにこのざまだ。もし私を嫌っていれば、わざわざ会いになど来ないはずだ。しかし…尋ねたところで、果たして彼女は答えてくれるだろうか?)

 カイルは苛立ちの原因が自分自身にあると気がつきながらも、答えが出てしまう怖さに腰が引けていた。自分自身が軟弱な人間だと思うほど、不条理な八つ当たりにしか過ぎないとわかっていても、アレスの行動は腹立たしく目障りだったのだ。


***


 翌日、隊商は最後の行程を進み始めた。アレスとカイルは、前日と同じようにしんがりを務めているものの、相も変わらず沈黙していた。

 カイルにとってその沈黙は何よりもありがたかった。レインに言われたことを考えるには黙って歩き続けている方が楽だったからだ。

 しかし、物思いにふけって歩くカイルを見て、アレスはどうしようもなく苛立っていた。彼にとって、カイルという男は全く持って意味不明だった。一方的にアレスを嫌っている割には、悩んでいる顔をさらけ出している。

 声をかけるべきかを考えたが、憎まれ口を叩かれるのがおちだと思い、結果としてアレスも沈黙していた。

 そのようなことを考えているうちに、隊商が大街道に出ると全体に安堵感が漂った。大街道は見通しも良く、集落がいくつかあるために比較的安全とされている。


 我慢しきれなくなったアレスが口を開いた。

「ケフェウスまではあとどのくらいだ?」

「もう間もなくだ。そろそろ千人壁が見える」カイルは適当に答えた。

「そうか!ようやくあの有名な千人壁が見えるのか!」アレスが嬉しそうに言うのを見て、カイルは少し驚いた。

 彼にとって、千人壁などは散々見慣れたものだ。隊商も警護士達にとっても当たり前のことだが、アレスにとっては言葉や絵でしか見たことがなかったものを知るというのは、旅の醍醐味でしかない。

 カイルにはその感覚がよくわからず、それが羨ましいとさえ思った。


 隊商がさらに進むと、ほどなくして巨大な山脈が前方に姿を現した。南北に広がるその山脈は頂が白く染まっている。

 南の地方ならではの暖かく心地良い風が流れていた。街道の両脇にはいくつかの小さな村や畑が見え、昼が近いせいか食べ物の匂いがほのかに漂っている。徐々に道を行き交う人々が増え、隊商人と警護士達の緊張感が和らいだ。

「あれが千人壁か!」アレスが山脈の切れ目に見える、巨大な人工物を指さした。

「そうだ」カイルが短く答えると同時に、アレスが足を止めると後ろを振り返って耳を澄ませた。 


(なんだ?これは馬の足音…数頭はいるのか?)

 大街道故に馬が走ることは珍しくはない。アレスも旅の間に何度か早馬を見ていたが、そのいずれもが急を要する荷物や手紙を送る輸送のためで単独が多い。

(あれは…輸送士の馬じゃない)

 アレスは後方から迫る数頭の馬を確認すると、カイルに駆け寄った。

「…なんだ?」

「馬だ!まとめてこちらに来ている!」

「馬だと?」カイルも立ち止まって振り返ると同時に目の前で土埃があがり、数頭の馬が彼らの脇を駆け抜けた。隊商の先頭で馬の嘶きが聞こえ、足が止まった。アレスは剣の柄に手をかけたまま旅団の先頭へ走り出す。

「お、おい!」カイルも慌てて後を追う。

 隊商人と側面を固める警護士達、さらには居合わせた人々が何事かと成り行きを見守っていた。


「俺の名はザガン!一昨日の礼を返しにきてやったぜ!」声が辺りに響き渡ると、警護士達が剣に手をかけて声の主と対峙する。後方でさらに馬が嘶きが響き渡り、隊商人達から悲鳴が上がった。

 アレスとカイルが先頭に到着すると馬が並び、いかにも屈強そうな男達四人と中央の馬に乗った小柄な人物が睨みを利かせていた。顔には布を巻き、目元だけが見えている。


「頭領のお出ましとはな…ザガンとやら、我らは山賊に荷も金も女性もくれてやるつもりはない!」クラウスが怒鳴った。

「テメェが隊商主か。確かクラウスだったな。バレンスタイン商会はいつから、俺の縄張りを断りもなく通るようになったんだ?お前のところにいたロジとかいうヒョロガリの男は通行料を納めていたぞ!」ザガンはよく透る声で言った。

「カイル、あれはもしかして山賊の頭領なのか?」アレスが囁く。

「だろうな…だが、ケフェウスは目の前だ。これだけの騒ぎ、すぐに援軍が来る」

「奴は双剣のザガンと呼ばれている。俺たちは既に囲まれた」隣にやってきたジェナスが青ざめた顔で言った。

「囲まれた?」

「ああ。後方に剣と弓を持ったのが五人いる。勝ち目はない…それにザガンはあの体躯で相当な剣の使い手だ」

「どうすれば…」カイルはジェナスを見たが、彼は首を振った。


 馬上のザガンとクラウスはにらみ合っていた。

「ロジなら解雇した。まさか、お前に金を出していたとはな…だが、言いかがりはよしてもらおう。お前の土地でもあるまい。それにこの騒ぎはケフェウスまですぐに届くぞ」

「俺の見くびってもらっては困るぜ…が、確かにケフェウスの連中相手じゃ、俺たちにも勝ち目はない。ここは気持ちよく取引と行こう。一昨日、俺の舎弟をぶっ殺した奴を差し出せば、とりあえず見逃してやる」

「なんだと?」クラウスの眉がつり上がった。同時に、警護士も含め、隊商員達の目がアレスに注がれる。


「そいつか」ザガンの眼がぎらつくと、馬の上に立ち上がり、両腰に差した剣を抜いた。

 刹那、ザガンの体は宙を舞い、アレスの脳天を目がけて剣を振り下ろす。

 アレスは反射的に後方へ飛び下がり、剣を抜いた。

「冗談だろ」

「さて、お前が仇と分かった以上、逃すわけにはいかねぇ。ここは潔く決闘といこうじゃねぇか」

「嫌だね」アレスが言った。

「なんだと?」ザガンの目元がひくついた。

「俺は面倒なことが嫌いなんだ。あんたは自分の縄張りから出てきているようだし、それに一昨日はこちらも三人やられている。仇がどうとか、それはお互い様だろうが」

「ふざけたガキだ。断るというなら、ここにいる連中全員をぶっ殺してもいいんだぜ?テメェが決闘を受けるなら、許してやる」

「その言葉、しっかりと聞いたぞ。剣士として望むなら、あんたも約束を守れよ」

「いいだろう。俺も剣士だ。二言はねぇ」

「アレス殿、馬鹿なことを!」クラウスが叫んだが、ザガンの手下が剣を鋭い目で彼を睨みつけた。

「アレス、気を付けろ」ジェナスが緊張した面持ちで言った。隊商人達は怯えた顔で誰もが黙り込み、レインは両手を胸の前で祈るようにして組んだ。


 ザガンが右の剣を突き出し、左の剣を後ろ手にして体に隠すように構える。アレスは両手で剣をしっかりと握った。

「時間はあまりねぇ。テメェには悪いが、事をさっさと終わらせてもらうぜ」言葉が終わるやザガンの体は地を滑るようにして、アレスの体に向かってくる。


(なんだ!?)

 咄嗟の判断で突き出された剣をかわすが、その瞬間に背中を蹴り飛ばされ、アレスの息は一瞬詰まった。反射的に振り返ったところを、左の二の腕に鋭い痛みが走ってよろめく。

「おっと、手加減しすぎたな」ザガンは目元に笑いを浮かべた。

 笑いが消えると右の剣が振り下ろされ、アレスは再びかわす。その瞬間、ジェナスの「危ない!」という声が聞こえ、次は脇腹に鋭い痛みを感じてよろめいた。

 左の剣の切っ先がアレスの脇腹を掠めたのだ。

(斬ると突きの同時なのか?)

 左肩と脇腹がじりじりと痛み、生ぬるい感触が肌を伝う。

 アレスは剣を柄を握り直した。一度もザガンの剣を受けられなかった恐怖心が体を包み込み始めた。


 全身の毛穴から汗が噴き出し、心臓が高鳴る。

 ザガンの小柄な体が跳ねてアレスに迫る。右左の剣は、まるで踊るかのように斬撃と突きが入れ替わりながら、アレスの体を少しずつ傷つけ圧倒した。

「ガルをやった相手とは思えねぇ…な!」

 ザガンの蹴りをまともに受けたアレスは転がり、剣を支えに片膝をついた。地面に血がしたたり落ちる。


「どうしたよ、だんまりとはつまらねぇぞ」

「…あの大男に剣を教えたのはあんたか」

「ああ、そうだ…谷底で野犬に喰われたガルを見たときは、腹立つよりも驚いたぜ。あのでかい体をぶった斬ったのが、まさかテメェみたいなガキとはよ」

「あんたは人に教えるのは向いてない。振り回すだけの無様な戦いだ」

「ほぅ。その体たらくでも口は減らねぇとはな、感心するぜ」ザガンは双剣を軽々と振り回し、再度斬りつける。アレスは体を反転させながら動き回った。


(斬ると突き…ならば!)

 ザガンの剣は斬る動作で相手を惑わし、突きで確実に急所を狙っていたが、アレスはその瞬間を待っていた。

 下段からの斬り上げ、水平斬り、上段から振り下ろされる剣、その間隙を縫うようにして向かってくる突き…アレスは前に飛び出すと振り下ろされた腕を自分の腕で受け、突いてきた剣を脇で挟むようにして受け止めた。

 ザガンが驚きで眼を見開いたと同時に、アレスは思い切り頭突きをした。

「ぐっ!」というくぐもった声をあげながら、ザガンは離れ際にアレスが放った剣を辛うじて受けきると、軽く跳躍して間合いをとる。

 ザガンの顔に巻いた布から血がしみ出た。

「ふざけやがって」怒りに燃えたザガンの剣は速度を増し、アレスを襲う。

(速いっ!)

 考える間もなく、剣が弾かれてよろめいたところを鋭い突きが太股を掠める。その剣が斬り上がり、アレスの胸元を捉えるかに思えた瞬間、それは激しい音を立てて叩き落とされた。


「なんだテメェは…」

「私はカイル・グラン。ケフェウスの領主ロズワルド・グランの息子だ!」

 カイルの声が響き渡った。

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