第四話 梟の眼

 魔石で作られた剣、すなわち魔剣は戦闘中以外、見た目ではわからない。ロズワルド自身も魔族殲滅戦で使ったことはあるが、それはなんとも言えないものだった。

 魔剣は使い手の心に影響する。

 不思議な高揚感、みなぎる力、薄れる恐怖心…その時の使い手の心の状態によって、剣は色を放つ。色といってもはっきりわかりものではなく、刃の部分が淡く輝くのだ。もっとも戦いで血まみれになると、そんな淡い光は見えなくなるといっていい。


「交渉はなんとしても潰したい。アルフィルクでなんとか食い止めたかったのだが、寸でのところで逃げられてなぁ。ロズワルド…申し訳ないが、頼まれてくれないか?」

「頼まれなくても、ケフェウスで一網打尽にして見せる。が、情報が少ない。わかっていることは?」

「剣は恐らく帝都の輸出検閲を抜けるために、護衛の多い大規模な隊商に運ばせているはずだ。いかに検閲士と言えども、すべての荷を検閲しないからな。

 俺も裏で手を回したのだが、怪しいのは帝都のランドルース交易とグランザック輸入商、そしてケフェウスのバレンスタイン商会だ。いずれも老舗ぞろいで、それぞれの主が信頼におけるのは言うまでもないだろ。下手に動いては老舗の顔に泥を塗りかねん。

 あと、交渉役がどんな人物かが不明だが、ライエ側は剣と一緒に動いているはずだ。隊商にまぎれたか、もしくは単独でケフェウスに入った可能性がある」

「ふむ、ランドルースとグランザックは予定では二日後にケフェウスに入るだろうから、私が直接聞きに行こう。入門許可証は先に確認する」

「お前、隊商の入城予定まで把握しているのか?」オルフェスは驚いたように言った。

「その規模の隊商の場合はな。妙なものを持ち込まれたらかなわん。ただ、今回は春の大しけが長引いて、出発が遅れたと聞いている。多少は遅れるかもしれんな」

「仕事熱心だねぇ。リーン側からの交渉役はどうする?王国が動くとなれば、それなりの地位の奴が来るだろうがよ」

「身分は隠しているだろうな…まずは剣を見つけた後に泳がしてみるのもありか」

「そうだな…とにかくここはひとつの正念場になる。奴らの狙いは交渉を成立させた後、このケフェウスの千人壁をなんとしても壊したいはずだ。

 ロズワルド、お前は十分に気を付けろ。奴らにとっての最大の障害はお前だ。必ず狙ってくる」

「わかっている。それほど人に嫌われているという自覚はないが、用心はするさ。私の配下にも優秀な者がいる。街の中の監視に抜かりはない。お前こそ、油断するなよ…状況的に言えば、長距離を移動する方が無防備だ。あと…」

「女、って言いたいんだろ?」

「わかってるじゃないか」

 ロズワルドとオルフェスは思わず笑いあった。


***


「これはグラン公爵閣下、このような場にお出で頂くとは…このアドモス・ランドルース、光栄です」ランドルース交易の主アドモスは恭しく頭を下げた。

 オルフェスがやってきた二日後、ランドルース交易は予定通り、ケフェウス入りした。知らせを聞いたロズワルドは、ケフェウスの隊商検閲所にまで赴き、自ら荷を改めることを伝えたのだ。


 ケフェウスの東門にはいくつかの出入り口がある。個人が通る関所と隊商が通る隊商検閲所だ。検閲所は大きな広場となっており、隊商はここで必ず荷物の中身と数のすり合わせを行わなければならない。

 荷物は持ち出す最初の場所で中身と数を皮紙に記載され、蝋印で封をされる。途中で増える場合は要所で追加の皮紙に記載され、同様に封をし、到着時に確認される。皮紙を無くした場合は、早馬でそれぞれの場所の控えから転記載したものを再度もらわなければならない。

 確認は検閲士が行うが、執政官であるロズワルド自身が確認を行うというのは異例中の異例だった。アドモスにしてみれば、まさか自分の荷がそんな目にあうとは思ってもいなかった事態である。


「それにしても、閣下、今まではこのようなことはなかったかと存じます。なにか問題がございましたか?」

「アドモス、話がある」ロズワルドはアドモスの質問に答えず、手招きすると検閲所にある小さな部屋に連れて行った。

 アドモスは、自分の体が震えていることに気が付いた。

 彼にとって見れば、ケフェウスの執政官であるロズワルドは権力の象徴でしかない。ロズワルドが黒といえば、それは黒になる…と感じていた。

 一方で、ロズワルドが他の一部の強欲な検閲士のように、金品を要求したり、権力を使って無茶を言ってくるといったことはないと確信していた。それでけに何か問題点があれば、恐らく法に基づいてとりつく島もなく罰せられるのは避けられない。


「な、なんでございましょうか?」アドモスは全身から噴き出す汗を止められない。

「なに、大した話ではないのだ。アドモス、荷物の中に剣がいくつかあるな?」ロズワルドは皮紙を広げて、机の上に置いた。

「は、はぁ…確かにいくつか剣を仕入れております」

「仕入れ先は?」ロズワルドは順番に指さした。剣の仕入れ先までは荷物表に記載されない。アドモスは緊張しながら答えた。

「タイシャ国の鍛冶からです。反りの入った片刃がほとんです」

「ふむ、つかぬ事を聞くがライエのものはあるか?」

「まさか!ライエの剣は大ぶりのものが多く、アウストラリス人には適しておりません。売り物にならないものを仕入れたりすることはございません」アドモスが大慌てで否定した。

 アウストラリスとライエは交易があるとはいえ、武器の類を仕入れることはない。


「そうか。お前の話を信じよう。もう一つ聞く、ここ最近で隊商に加わったものはいるか?特に旅の者を加えたなどは?」

「いえ、ございません。ああ、そういえば…」

「どうした?」

「途中まで一緒だった男がおります。帝都で警護士を雇ったのですが、その一人がヨリ村で抜けました。元々、その条件でしたので特に気には留めませんでしたが…」

「ヨリ村か。妙だな、私が言うのも何だがあの山道は山賊も多く、一番の稼ぎどころではないか。手前で抜ければ、その分の賃金も安かろう?」

「ええ、その通りでございます。ただ、たまに旅をするついでに金を稼ぐ警護士もおりますので」

「その男の風貌などは覚えているか?」

「はい。名前は確か…カバル。二十代前半の男で警護士の認可証は持っておりましたが、個人で仕事を得ているようでした。背はそれほど高くはなく短剣を二本持っておりました。顔はなんというかどこにでもいるような、話し方が妙になまっておりまして、それだけが印象に残っております」

「訛りはどの地方かわかるか?」

「北のような感じも受けましたが、詳しくは…申し訳ございません」

「かまわん。その男はどこに向かうかは話していたか?」

「特には…その閣下、私たちは罪に問われるのでしょうか」

「ああ、いやすまなかった。荷物は特に問題はない」

「左様でございますか、一安心いたしました」アドモスはほっとして胸をなで下ろした。

「手間をとらせた。カバルという男について、何か思い出したら教えてくれ」

「もちろんでございます。店の者や警護士に親しくなった者がいるかもしれません。何かわかればすぐにお知らせいたします」

 アドモスは恩を売れるという打算を働かせ、商人的な笑顔で取り繕った。

 もっともロズワルドは意にも介さず「頼んだぞ」と言い残して、部屋を出て行った。


***


 ロズワルドは同じようにグランザック輸入商も検閲したが、不審な点は見つからず、執務室に戻って三日前と同じように考え込み始めた。オルフェスは既に帰郷の途に着いたが、いくつかの情報を残していた。

 ライエの国境に近い、アルフィルク領の村で不穏な動きがあり、検挙を行ったこと。その際に何人かのライエ人が自害し、その場にいたと思われる男女二人が逃走したこと。


「オルフェスの指揮で取り逃がしたとあれば、相当な腕利きか…」彼は引き出しからいくつかの冊子を取り出した。几帳面な性格であるロズワルドは、帝国やケフェウス、さらに自身が気になる情報を事細かに残している。

 噂話に過ぎないことにも、意外な情報が隠されていることが何度かあったからだ。

「北の訛りはともかく、短剣使いか。確か以前にどこかで…」

 短剣は相手の懐に飛び込むことが必然の武器である。それ故に短剣使いは相当な腕前でなければつとまらない。そういった人物は限られており、ロズワルドは冊子をめくりながら記憶を辿った。


 二十年前のケフェウス、ヨリフィス伯爵との決闘。その後の混乱と魔族の鎮圧…。

「伯爵の組織した部隊に妙な密偵がいたな」ロズワルドは過去に自分が書いた記述を見て、めくる手を止めた。

 ヨリフィスはケフェウス執政官だった当時、山賊などに模した私設軍隊ともいうべきものを組織し、リーンと戦いを行っていた。深く険しい氷の山脈では戦える場所も少なく、基本的には国境付近で戦闘が多くあったが、如何に相手の先手をとるかが重要な情報戦が鍵を握っていた。


「これか。夜に目が利く連中を集め、敵陣に忍び込んで暗殺などを行う短剣使いの集団…」記述には“梟の眼”とあった。

 ヨリフィス亡き後、ロズワルドは親衛隊と一緒に、魔族共々ヨリフィス一派の殲滅も行った。多くは投降したものの、中には戦神の異名を持つヨリフィスに心酔し、自ら戦いを望んだ者も少なからず存在した。

「魔族と北に逃亡して、ヨリフィスの仇討ちを考える連中がいてもおかしくないか」

 

 ロズワルドは思わず笑った。

 二十年という月日が一瞬にして、たかが二十年になったのだ。その瞬間、既に忘れていたと思っていた別の記憶が蘇る。

 血反吐で喉もとを染めたヨリフィス伯爵に駆け寄る一人の子供。憎しみに満ちた眼、それを冷静に見つめ返していた自分自身。二十年間、自分には非がないと信じていた。

 胸を突き刺すようなあの子供の眼を思い出さないほどに、帝国に身を捧げたのだ。それが今になって、なぜ思い出されるのだろうか、と。


『奴らにとってお前は最大の障害になる』


 オルフェスの言葉が脳裏によみがえった。

 自分という障害を排除するためか、もしくは恨みを晴らすためか、誰が来てもおかしくはない…ロズワルドは決意を固めた。

 机の上の呼び鈴を手に取って静かに鳴らすと、執務室の壁の一部が手前に押し出され、ゆっくりと開いた。


「閣下、任務は?」壁の暗闇から出てきたのは、若い女だった。見た目はどこにでもいる街の女だが整った顔をしている。静かな足運びは武術を知るものなら、一目でこの女が厳しい訓練を受けてきたとわかるだろう。

「ギルダ、すべて理解しているな?」

「はい」ギルダは男とも女とも思える声で静かに返事をした。彼女はオルフェスの行動範囲の陰におり、常に状況を把握するという役割を担っている。しかし、ギルダという存在は一人ではなく、その答えはロズワルドのみが知っていた。


「まずはカバルという男を探し出せ。何もなければ捨て置いてかまわん。リーンの連中に不穏な動きがあればすぐに報告を」

「承知いたしました」ギルダは頷くと、壁の暗闇に消えた。

 執務室はいつも通り、ロズワルド一人となった。

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